わが盲想

  • 2013/08/25(日) 13:36:35

なんとなく図書館の新刊書棚にあった「わが盲想」という本を借りてみた。外人系のお笑い芸人か?とも思ってほうっていたら、妻の方が先に読んでしまってエラク感心していた。



著者はモハメド・オマル・アブディン、スーダン人、盲目、日本に留学中ですでに15年が経ち、現在研究者生活をしている。そもそも日本にスーダン人が多数いるとは思えない。盲目という大変なハンディを背負って、現在では超流暢に日本語を話す。なおかつ彼は読み・書きもほぼ完璧なのである。全く日本語を知らない状態から、来日後の悪戦苦闘の経過を綴ったものが、この春ポプラ社から単行本として刊行され、評判になっている。

ポプラ社ではブログ形式でウェブ上で公開していて、本の内容はおおむねそれと重複しているのでお金のない人はコチラで読めばタダである。お金のある方はぜひ本を買って彼に印税収入をもたらして欲しい。

ポプラ社が動画をアップロードしている。彼がパソコンで日本語入力しているのを見るだけでも価値がある。


ツイッターはコチラ

スーダンと言う国が我々には全くお馴染みではない。イスラム国だという。スーダンのことはそう詳しく描かれてはいない。もっぱら彼が日本の盲学校や大学で日本語修得や盲目であるがゆえに苦労したことがとても面白、おかしく描かれている。私は2時間で読んでしまったくらいだから、とても読みやすい。出版社は変換ミスの訂正くらいしかしていないから、ほぼオリジナル。

盲人の生活の苦労も健常者にはなかなか想像がつかないが、その一端がわかる。東京の荒川区から府中の東京外大まで電車を4つ乗り継いで通学するだけでも一冊本が書けそうな位の大事業である。盲人が電車に乗る、ということは晴眼者が手すりのないビルの屋上の外周を歩くようなもので、普通なら禁止されるような危険な行為である。彼にはハンディを笑い飛ばせるユーモアがあるので彼が本に書けるようなテーマはたくさんありそうだ。

私はいまだテレビで彼を見たことはないが、今後、異色外人タレントとしてそのうちブレークするんじゃないだろうか。話も大変面白いし、知識人でもある。

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「はだしのゲン」の汐文社

  • 2013/08/23(金) 01:13:56

松江市教育委員会が学校で児童が「はだしのゲン」を閲覧することを制限したことが問題になっている。これを聞いたほとんどの人は「なにをいまさら?」と思ったことだろう。

常識的は意見はこうである。---産経ニュースより----

公明党の山口那津男代表は22日の記者会見で、松江市教育委員会が漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を市立小中学校に求めたのは不適切だとの認識を示した。「これまでみんな見ることができて(漫画で描かれた)表現もずっと享受されてきた。知る機会はきちんと保たれた方がいい」と述べた。

一方で自民党には理解を示す人もいる。---朝日新聞電子版より---

下村博文文部科学相は21日の記者会見で「特段の問題はない」と述べた。漫画の内容について「教育上好ましくないと考える人が出るのはあり得る」とも話し、対応に理解を示した。

そもそも今回の松江市の対応が、一部のしつこい「市民」の苦情に対応したものらしい。その「市民」の本当のネライは残虐場面にではなく、「反戦・反核」憎し、の方にあるようだ。自民党に呼応する声があるのはうなづける。

「はだしのゲン」は大昔から全国どこでも学級文庫の定番である。一般にマンガは学級文庫や学校図書館に置かないが、「はだしのゲン」だけは別である。単なる無味乾燥な平和教育の教材というわけではなく、子供が喜んで読む面白いマンガなので、こんなに長い間愛読されてきたのだろう。



実は私は「はだしのゲン」にほんの少しかかわりがある。

「ゲン」の版元は昔から汐文社である。他社版も集英社とかホルプとかあったが、基本は汐文社。かなりマイナーな出版社である。現在では児童・学校向けの書物が中心になっているようだ。私が学生時代この出版社でアルバイトをしたことがある。経営不振でアルバイトは全員解雇されたので、短期間だったとおもう。お茶の水に会社があったので近所の中央大学の学生アルバイトが多かった。およそ40年前の話だから、社員も経営者も入れ替わっているし、話しても時効だろう。

汐文社は元来は京都の会社で、当初は部落問題関連書籍が多かった。まぁ、左翼系の版元である。その後、社会科学系や一般書籍も出すようになり、コミックにも手を出した。コミックは大量に部数が捌けるので当たると大きい。しかし、昔も今も売れる著者は大手の講談社・集英社・小学館がほとんど押さえているから、落穂ひろいのように、大手版元に収録されていない有名作家のマイナーな作品をかき集めていた。白土三平・矢口高雄・水木しげるなどの作品もあったが、聞いたこともない単発物ばかり。返品の洪水で、倉庫は文字通り「返品の山」で、出庫係はその山に登って、本をかきわけて目当ての本を探していた。

アルバイトの仕事は全国の書店に直接電話して、コミックを置いてもらうことである。通常だと書店は日販・東販などの取次としか交渉しないので、書店まかせにしていると、書店の限られた書棚は大手のコミックだけに占拠されて、零細版元の聞いたこともないタイトル群が割り込む余地はない。そこで「はだしのゲン」の登場である。汐文社はどの書店も知らないが、「はだしのゲン」の知名度は抜群であった。

「はだしのゲン」の汐文社で〜す。「ゲン」を始めとした売れ筋作品ばかりのセットを組んだので置いて下さい。いつでも返品可ですよ〜!

と切り出すのであるが、これが容易なことでは置いてくれない。当時は個人経営の零細書店が全国に1万店以上あったと思われるが、コミックの洪水でどの書店も飽和状態だから物理的にスペースがないのである。そこをお人よしの店主や、訳のわからん老人店主を口車に乗せて置いてもらうのである。しかし、いざ店にそのコミックセットのダンボール箱が届いてみると、「はだしのゲン」以外は聞いたこともない作品ばかりだからたちまち「ゲン」を除いて返品となる。

実はこれは会社の資金繰りの面があった。返品は覚悟だが、取り合えず翌月には一旦セット丸ごとの代金の入金がある。
その請求が立つことは電話ではあいまいにしておく。返品に伴い返金もあるが、とりあえずの短期運転資金を入手できる。あまり誉められたやり方ではない。すぐに行き詰った。

その後、私は郷里で書店経営に関わったことがあり、その時は棚に汐文コミックスを置くようにした。売れなかったが「ゲン」だけは売れた記憶がある。

※ヤブヘビか!?

--その後、8月24日朝日新聞電子版によれば、話題沸騰の「ゲン」が売れに売れて、汐文社では急遽大増刷しているという。例年だと夏休み・終戦の日特需で10冊セットが2000セットくらい出るらしいが、今年は7000セットが売れ、8月15日を過ぎても勢いが止まらず増刷中とか!1セット7000円ほどだからこの夏だけで5000万円ほど(定価換算)売れたことになる。こりゃボーナスが出るぞ、よかったねぇ、汐文社!---

それはとこかく、ゲンの作者で被爆者でもある中沢啓治さんは昨年亡くなった。汐文社は中沢さんには大恩があるのは確かだ。中沢さんは若い頃に描いたこの作品だけで一生を過ごしたようなマンガ家である。うたかたにように消え去る消耗品のコミックが多い中で、一作だけとはいえ超ロングセラーで歴史に残る作品を残せたんだからもって瞑すべし。

汐文社刊「マタギ列伝」


その売れなかった汐文コミックスの中にはいい作品もあった。私は矢口高雄の「マタギ列伝」が大好きだった。矢口は少年マガジンで「釣りきち三平」が大ヒットしていた。釣りをしない私は読みもしなかったが、「マタギ列伝」ではじめて奥羽山中でクマを追うマタギたちのことを知った。緻密で美しい絵も魅力だった。矢口氏の郷里のことを描いている。現在では「マタギ列伝」は他社版で入手できる。


※DTI閉鎖にともない、ブログ移転してます。以下にどうぞ。FC2の「一歩 日豊 散歩」













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白洲正子

  • 2013/07/12(金) 01:09:54

前回ポストの柳原白蓮は遡ると公家・藤原氏の由緒ある貴族・伯爵の出。伯爵令嬢つながりで、今回は白洲正子。白洲正子は、もう亡くなって15年が経っている

やや以前のことだが、BS朝日・資生堂「エコの作法」で 「辿る×白洲正子」 (2013年5月31日放送)を見た。

番組では白州次郎・正子夫妻の屋敷である武相荘を東洋文化研究家のアレックス・カーと花人・川瀬敏郎が訪ねる。さらにカメラが正子が愛した近江の寺を訪ねる。武相荘は武蔵・相模の境に位置することに由来するのだろうがブアイソウという読みがダジャレにもなっている。古い農家の作りで、内部もワビ・サビの世界。置かれている器や家具もあくまで渋い。白州次郎は神戸の富豪の息子、正子は伯爵家令嬢であるが、武相荘には一切の成金趣味やこれ見よがしの金持ち趣味が見られない。主の趣味の良さが歴然としている。ちなみに御両人とも亡くなった時、葬式もせず、戒名もないそうだ。これは真似しよう。なにせお金がかからない。武相荘は公開されている。コチラが公式サイト。


正子は特に何の専門家、という訳ではなかったのであるが、趣味のよさと審美眼の抜きん出た確かさ、という点で特に秀でた人物であったのだろう。白州正子のテリトリーは能・骨董・古典文芸・寺と仏像、など。華族の出らしく、実に品がよろしい。彼女の本を読んでみても、なかなか田舎の貧乏人にはついていけない感がある。

白洲
白洲 posted by (C)オトジマ

白洲は寺巡りの著作が多い。和辻哲郎の「古寺巡礼」に影響を受けてごく若い頃から近畿の古寺を巡っている。特に信仰心があるわけではないが、雰囲気のよい古寺が大好きらしい。まぁ、そこだけなら私にも見習えそうだ。彼女は当初は京・奈良の寺を巡ったが、西国三十三箇所を巡るうちに、近江の寺や石仏に魅せられて、近江関連の著作も多い。彼女はエッセイストとしていろんな雑誌の依頼に応じ寺以外にも各所を取材で巡っている。高千穂にも来ていて、天岩戸、櫛触社、二上社などを訪れ、深く感銘を受けている。

二上山
二上神社
二上神社 posted by (C)オトジマ

二上社
二上神社
二上神社 posted by (C)オトジマ

詳しくは知らないのであるが、白洲は国東には来ていないのではないか? 著作一覧を見ても、国東に関するものはない。もし来ていれば絶対に気にいったはずである。白洲には四国八十八箇所に関する著作も見当たらない。こちらはたぶん彼女の趣味に合わないのではないか。

ところで上記の番組に川瀬敏郎が出ており、武相荘にある植物で花を生けていた。20代の頃、すでに白洲に気に入られたらしい。流派に属さない花人である。川瀬は芸術新潮で活花エッセイ「たてはな神話」を連載していたので、名前は知っていたが、テレビで見たのは初めてであった。昔ネスカフェのCMに出てたらしいが、覚えてない。私は活花にも興味がなく、川瀬の作品もさして気にも留めてなかったのであるが、テレビで改めてみると、なかなか素敵だな、と大変遅まきながら思った。

コチラに川瀬の公式サイトがあり、芸術新潮で連載した「たてはな神話」に登場した作品が見れるので見ていただきたい。残念ながら写真が小さいが。
お金のある方は立派な写真集『川瀬敏郎 一日一花』が出版されているので買われるといいだろう。


川瀬の花を見ると、ほとんどが野の花か、雑木の枝である。花屋さんに売ってるものは使わないそうだ。ということはお金がかからないということである。流派にも作法にもとらわれないんだから、生まれてこのかた花を活けたことのないド素人の私にだってできるんじゃないの? さっそくマネして見ましょう、ということで庭に出てみた。テキトーに庭の花を切ってはみたものの、重大なことに気づいた。花を活けるには花器が必要なことに!それも花よりも花器のほうがよっぽど大切なことに思い至ったのである。花はタダでも雰囲気のある花器は当然高価なことも容易に想像がつく。さらにもう一つ遅まきながら気づいた。我家には床の間がない!!・・・川瀬さんのページを見ればわかるように活花というのは花や植物と器、周囲の雰囲気との調和で決まるものなんだなぁ・・・。

とりあえずダイソーから器を買ってきて何の工夫もなく撮った写真がコレ。御笑覧あれ。
アジサイ
アジサイ posted by (C)オトジマ

タカラズカ
タカラズカ posted by (C)オトジマ

ユキヤナギ
ユキヤナギ posted by (C)オトジマ





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白蓮れんれん

  • 2013/07/07(日) 13:36:26

女流作家の作品も私にはやや縁遠い。林真理子は昔から知ってはいるが、全く読んだ事がない。このところ何の番宣か、テレビでの林真理子の露出が多く、NHKのインタビュー番組やTBSの金スマに登場しているのを見て、そういえば彼女は柳原白蓮を題材とした小説を書いてたっけ、と思い出した。試しに読んでみるか、とアマゾンで中古の文庫本「白蓮れんれん」を買い、読んでみた。


伊藤伝右衛門邸に行った事があるだけにイメージが浮かびやすい。

小説の粗筋はおおむね事実経過の通り。白蓮こと柳原子(あきこ)は伯爵の娘で大正天皇の従姉妹にあたる。いったん出戻りの後、27歳の時、年齢差が倍もある筑豊の石炭成金伊藤伝右衛門の後妻となったところから物語は始まる。しかし、伊藤家の内部は田舎の成金らしくガサツで、伝右衛門やその父の放埓な女漁りの結果複雑で、子の居心地ははなはだ悪い。無学無教養な伝右衛門にも結局なじめず、歌作を続けながら悶々と過ごす.
35歳の時、東京から来た帝大生で社会活動家の宮崎龍介と知り合う。二人は7歳の年齢差がありながらたちまち恋に落ちた。姦通罪があった時代に、二人は秘かに京都や東京で逢瀬を重ねる。二人は自らの不倫と伝右衛門の不実をマスコミに発表し世間を揺るがす大事件となる。結果、曲折の末、5年後に合法的に結婚できた。物語はそこで終わる。

PB210337
PB210337 posted by (C)オトジマ

飯塚の伊藤伝右衛門邸には二度行った。昔の石炭成金の豪邸は見ごたえがあるが、その屋敷に単なる古建築以上の彩りとロマンがあるのは、伝右衛門の妻、柳原子(白蓮はペンネーム)がいたからである。貴族の出で、歌人であり、道ならぬ恋に生きた美女! やはりここは美女でなければ話にならない。私はそれまでは、柳原白蓮についてほとんど知らなかったが、伊藤邸の蔵の中で大きく引き伸ばされた柳原白蓮の写真を見て納得した。なるほどこんな才色兼備の麗人がいればドラマが起こっても不思議はないと・・・。美女の魔力は、縁もゆかりもなく時代も身分も全くちがう私をも引き付けたのである。

左:伊藤邸の庭にある白蓮館  右:白蓮


その後、ネットで検索し、柳原白蓮のあらましを知ることができたが、なにせ白蓮にまつわる騒動は100年前の大正時代のことであるし、今の我々からだと時代感覚がつかめない。「へぇ、そうなの。ともかく彼女は、成金のヒヒオヤジの手を逃れ、年下の男との恋を貫いたんだね。昔のことだから大変だったかもね。」くらいのものである。「白蓮れんれん」は彼女の物語に見事に肉付けをして、まるで見てきたかのように100年前の出来事を赤裸々に我々の前に現出させてくれる。巻末の参考文献をみると膨大な資料を渉猟していることがわかる。ほとんどの登場人物が実在し、中には小説出版時にまだ存命の方もいるとなれば、あまりデタラメも書けぬし、名誉毀損にも配慮せねばならぬから、林真理子としても相当の覚悟で書いたのではないだろうか。

伊藤邸の白蓮の居室。二階である。広大な庭を見渡せる。
PB210363e
PB210363e posted by (C)オトジマ

白蓮の墨蹟。 「朝化粧五月となれは 京紅のあをき光もなつかしきかな」
伊藤邸
伊藤邸 posted by (C)オトジマ


伊藤邸
伊藤邸 posted by (C)オトジマ

二階左が白蓮の居室。
伊藤邸
伊藤邸 posted by (C)オトジマ

伊藤邸
伊藤邸 posted by (C)オトジマ

PB210356e
PB210356e posted by (C)オトジマ

ダイニングルームから庭を見る。
伊藤邸
伊藤邸 posted by (C)オトジマ

この洗面所を白蓮を使ったものか。
PB210369e
PB210369e posted by (C)オトジマ

伊藤邸
伊藤邸 posted by (C)オトジマ


大正期というと、第一次世界大戦・大正デモクラシー・関東大震災など歴史的事件は知ってはいるが、世相や人々の心の持ちようは現代人には想像がつかない。貴族というのもよくわからない存在だが、これを読むとさもありなん、という気になる。当時には貴族などのセレブを中心とした社交界というものがあり、マスコミの関心はそこに向けられた。今の芸能界みたいなものか。伯爵令嬢で美貌の流行歌人白蓮は当時のスターだったという。大正三美人の一人と言われた。もう一人の美人・九条武子も主要人物として出てくる。今も昔もスキャンダルはマスコミの好餌である。白蓮の不倫は当時の大事件だった。不倫・離婚が日常茶飯事の現代からすると、白蓮の苦労は大変なものだ。その大きな障害を乗り越え、自らの運命を切り開いた二人だけに、物語が成立するのである。

大正三美人といわれれば是非その尊顔を拝したくなる。ただし美人といっても現代とは概念がやや異なるようだ。身分や教養や話題性を含めてのもの。左は日本画家鏑木清方の名作「築地明石町」であるが、 三美人の一人江木欣々をモデルにしているといわれる。右は九条武子。現代の目からするとはたして美人?


林真理子が白蓮の恋の旅路を詳しく追えたのは白蓮と宮崎の往復書簡700通を見ることができたからだろう。膨大な量の恋文を白蓮と宮崎の娘である蕗苳(ふきこ)が所蔵していた。小説中に随所で引用されている。九州にいる白蓮と東京にいる宮崎の間を繋ぐのは手紙。ほとんど毎日書いていたのではないだろうか。しかも墨で!日本では100年前から郵便事情は完璧だったようだ。

「白蓮れんれん」は白蓮の側から経過を見ている。しかし、この二人が頑迷固陋な時代に、運命を切り開けたのは多分に宮崎龍介の強固な意志と個性による。宮崎はあの革命家・宮崎滔天の息子である。宮崎龍介は東大新人会で活動し、その後は弁護士・社会運動家としても活躍した人物。そんな人物が単に資産家夫人のつばめにとどまる訳がない。ちなみにこの「つばめ」という言葉は平塚らいてうが彼女の若い愛人を呼ぶのに使った比喩から生まれた言葉だそうだ。知らなかったなぁ。平塚も白蓮の同時代人で、物語に出てくる。

東大新人会の演説会で。前列左から2番目が宮崎龍介。その右へ尾崎行雄・吉野作造。ビッグネーム達の中の重要人物であった。

宮崎龍介は新人会の創設メンバーである。新人会は多数の社会活動家を輩出する。当時の新人会は吉野作造の思想的影響下にあったことでもわかるように今で考えれば穏健な民本主義的なものであったが、その後左傾化していき、昭和になると共産党の下部組織的になっていき、1928年の三・一五事件で解散する。私の父も東大在学中に三・一五弾圧に連座している。戦後、宮崎夫妻は護憲運動・平和運動に携わった。

戦後、柳川で舟遊びをする白蓮。中央。丸印は服の模様ではなく、目印だと思う。品の良い白髪のおばあさんになっている。


白蓮は1961年、81歳で亡くなっている。晩年を看取った宮崎龍介は白蓮を回顧して「結婚後の半生は幸せに暮らした」と述べたそうだ。大正時代、いかに世間を騒がせた大事件といえども、歴史の教科書に載る訳もないので、世代の更新とともに忘れ去られる。しかし物語に纏められ、読み継がれれば白蓮の数奇な運命は人々の心に印象を残すだろう。それもその作品の出来いかんだが、「白蓮れんれん」は良くできている。なかなか面白かった。これを読んだ後で飯塚の伊藤伝右衛門邸に行くべきだった。


伊藤伝右衛門は福岡天神と幸袋(飯塚)と別府に屋敷を持っていた。天神の屋敷はその後火災で焼失したが、そこの長屋門が幸袋に移設されていて今、見る事ができる。

下:長屋門。門だけでも普通の豪邸くらいある。移築されたのは昭和になってからだから白蓮は見ていないはず。
PB210334e
PB210334e posted by (C)オトジマ

天神の屋敷も屋根が銅版葺きで赤がね御殿と呼ばれたそうだが、別府の別邸も赤がね御殿と呼ばれた。伝右衛門を疎む白蓮は別府の別邸をよく利用したようだ。宮崎との最初の出会いもここである。大変広壮な豪邸だったらしいが、今は失われている。もったいない。その一部が個人により竹田に移築されているが非公開である。それも別府にあればこそ、だろう。残っていれば別府の有力な観光スポットになっていただろうに。

伊藤邸前の幸袋の家並
PB210404
PB210404 posted by (C)オトジマ

幸袋には昔の花街を思わせる建築も残っているが、廃墟寸前。


コチラのサイトでは当時の新聞記事などを見る事ができる。
当時の朝日新聞は今の日刊ゲンダイか東京スポーツのような性格を持ってたんだなぁ。









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酔いどれ小藤次留書

  • 2013/06/22(土) 22:47:19

前回ポスト前々回ポストに引き続き佐伯泰英つながり。

NHK・BSで時代劇「酔いどれ小藤次留書」が放送中。「居眠り磐音」と同じく佐伯泰英の原作である。こちらも試しに原作の1・2巻を読んで見た。



主人公の赤目小藤次は豊後森藩の下士である。「居眠り磐音」の豊後関前藩は架空の藩であるが、豊後森藩は実在した。藩主は久留島氏で、物語の中に出てくる第8代藩主久留島通嘉(みちひろ)は実在する。森藩のあった森は、現在玖珠町となっている。久大線森駅はかつては大きな機関区があり廃墟となった扇形庫が名所となっている。久留島氏はわずか12,500石の小名で城主格でなかったため、城を持たなかった。現在でも森に残る久留島陣屋は小さいが立派な石垣があってほとんど城と呼んでさしつかえないという。久留島陣屋の詳細は多数の写真があるコチラのサイトで。



「酔いどれ小藤次留書」第1話「御鑓(おやり)拝借」は物語の発端である。この巻では久留島氏が城を持たなかったことが物語の重要な鍵となっている。江戸城中で西国の諸侯、森藩久留島、赤穂藩森、丸亀藩京極、肥前小城藩鍋島、臼杵藩稲葉の各大名が同席したおり、稲葉雍通(てるみち)は久留島通嘉が城を持たぬことを愚弄し、他の3人も同調した。久留島通嘉はその恥辱を忍んだが、ある機会に本来目通りかなわぬはずの最末端下士・厩番の赤目小藤次にふと洩らす。後日、小藤次は離藩し秘かに藩主の無念を雪ぐべくたった一人で四藩を敵に回し報復を画する・・・・

臼杵藩稲葉氏屋敷。小説中の登場人物稲葉雍通は実在の藩主である。小説中では悪役を演じる。
佐伯 稲葉氏屋敷
佐伯 稲葉氏屋敷 posted by (C)オトジマ

NHK正月ドラマ「酔いどれ小藤次・御鑓拝借」の一場面


この小説もまた文句なしに面白い。私には「居眠り磐音」よりずっと面白かった。磐音はNHKドラマでは山本耕史が演じたのでどうしてもあのスマートなイケメンのイメージがあるが、小藤次は竹中直人が演じている。物語中では、短躯・醜男・高齢であるが、剣の腕は例によって超人的であり胸のすく活躍をするので男性読者にはなかなか共感できるキャラクターである。竹中直人は身長がもっと低ければ適役である。しかし、小藤次は左利きだったのかな?



実は小藤次は代々、藩の江戸屋敷詰めの厩番であり、江戸の生まれで故国の豊後森に行ったことがなく、第1話「御鑓拝借」では豊後はまったく出てこず、物語は江戸から東海道箱根の間で展開する。豊後に興味を引かれて読み始めたがやや残念。しかし小藤次は一度豊後森を訪ねることを期しているので、その後の展開で森が出てくるのかもしれない。いずれにせよ、その後も延々と続く物語は「居眠り磐音」や佐伯の他のシリーズ物と同様に江戸を中心に展開するようだ。



「酔いどれ小藤次留書・御鑓拝借」は西国赤穂・丸亀・小城・臼杵・森の5藩がからんでいる。そのうち臼杵・森は佐伯好みの豊後国。いずれも現在でも地方の小都市だから昔はなおさら田舎だっただろう。赤穂は小藩とは言え忠臣蔵の舞台だから知らぬ者はいないが、他は全国的知名度はあやしい。しかし、物語中では登場人物たちは公知の地名としてそれを語る。「それどこ?」と言う人物はいない。学校教育やマスコミが普及し、国民の教育水準が江戸時代と比較にならないほど高い現在でも、東京の街角で「小城」や「臼杵」、ましてや「森」を知っているかアンケートを取ったら悲惨な結果になるだろう。まぁ、物語だからそんなもんだろう、とも考えられるが、意外と江戸時代の人々の地理的教養は高かったのかもしれない。

下:武鑑の加賀前田家のページ   一ツ橋大学ライブラリーより


江戸時代を通じ、「武鑑」は一貫してベストセラー本だったという。大名をはじめとした武家の領地・知行高・家紋・家系などが記された紳士録である。身分制社会では何につけて個人の能力よりも先祖伝来の知行高がそのまま身分の尺度となる。交際や商売には前もって相手の諸元を知っておく必要があるから武鑑は武家のみならず、商人にも必需品であった。そんな中でおのずと人々は国名や藩名、石高を諳んじるようになっていたのではないか。一般の寺子屋でも手習いのテーマに「国尽くし」という全国の地名を覚える課題は定番だったらしい。今の中学生が47都道府県を覚えるのに手こずるのに、昔の子供は70ばかりある旧国名を覚えていたのだ。ともかく地理好きの私は、物語に地名がたくさん出てくるとそれだけでも楽しいのである。

6月21日放送の一場面。庭師に扮した小藤次が悪を懲らしめる。


NHKドラマ版では藩名はすべて架空のものであった。森藩は九重藩となっている。確かに森よりも九重の方が大方の人には場所がわかりやすくはあるが、荒唐無稽な物語をなんとか支えていたリアリティは雲散霧消してしまう。それでなくともドラマではセット撮影でこなすためや、展開を速くするためにストーリーは大幅に改変されているし、セットや衣装は小奇麗だし殺陣では血は飛び散らないし、小説の醍醐味はなくなっている。原作では小藤次の日常生活のディティールがこまごまと描写されて生活感のリアリティを出している。これが殺陣場面の連続だったらいかにも単調になってしまう。NHKドラマで興味を持たれた方は本の方でもお読みになるとまた楽しめるに違いない。

コチラに後日豊後森の城下を訪れた時のレポートを書いているので参照。











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佐伯泰英と豊後

  • 2013/06/11(火) 01:06:13

前回ポスト「惜櫟荘だより」からの続き。

私は大昔に東京で出版社でアルバイトをしていたことがある。単なる肉体労働ではあるが大手取次の日販でもアルバイトした。さらには書店にも勤めていた。多少は出版業界の片隅に身を置いたことがある、と言えなくはない。30年前と今では出版業界を取り巻く環境は大きく変わり、雑誌がネット情報に置き換わり、書籍のネット配信の普及するこの先、更に激変も予想されるが・・・。 

出版業界のヒエラルキーはかならずしも規模や売り上げ高によらない。リクルートや学研などはいくら規模が大きくとも情報誌や学参ばかりで一流版元とは言えない。大手では講談社・小学館・集英社はコミックの売り上げも多いが一流出版社である。文芸関係では新潮社・文芸春秋・角川などが伝統的。そんな中で岩波は規模ではさしたることはないが、漱石の昔から別格の一流出版社である。いまだに「岩波=良書」という神話は生きていると思う。ただし出版不況は硬派出版社ほど厳しいので先行きは不透明。昔は岩波と張り合った平凡社は百科事典と道連れに没落し、昔の面影はないんではないか?

本の氏素性を知るためにはタイトル・著者はもちろんだが版元は絶対欠かせぬ情報である。門川の図書館ではこの版元の部分に管理用コードを貼り付けてあるのでわざわざ奥付を開かねば版元がわからないので大変不便である。図書館の担当者に苦情を申し述べたこともあるが、意味を解さなかったようであった。たとえば「宇宙人に出会った」というタイトルの本があったとして、その版元が「岩波」であるのか「たま出版」であるのかでは興味も信憑性もまるで異なる。これが「双葉社」であってもまともな読書人なら見向きもしない。双葉社は『クレヨンしんちゃん』を看板とする中堅出版社であるが、近年は佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズが大看板となっている。

図書館の本は背表紙のシールで版元が確認できない!
P6108083
P6108083 posted by (C)オトジマ

「惜櫟荘だより」を出版した岩波と著者の佐伯泰英というと、常識的にはまったくイメージの反する両者であるが、前回エントリで書いたように、たまたま惜櫟荘が結んだ縁である。佐伯泰英が熱海に家を買って、後に隣家が岩波の別荘であることを知った時、「ああ岩波さんかぁ」と自分と取引のない会社であるから、さして気にも留めなかったという。双葉社・祥伝社・光文社など二流どころが舞台の佐伯にとってはまるで縁のない出版社である。佐伯はことある度に自分は読み捨ての粗製乱造時代小説作家であることを卑下している。そんな佐伯を強く後押ししてくれた人物がいた。俳優の児玉清である。

児玉清は大変な読書家で生前はNHKの書評番組「週刊ブックレビュー」のホストを長年務めていた。あらゆるジャンルの本を毎週5冊も6冊も読む、というのに感心していたものだ。書評も平易・的確・穏当で見識の確かさをうかがわせた。芸能人の趣味の域をはるかに超えた読書のプロで、作家達も児玉の評価を気にした、というくらい。温厚な児玉はどんな本でも決してけなさないことで知られていたから逆に読んだくせにノーコメントというのが作家にとって恐怖だった、という。

2006年、新聞の全面広告用に児玉と佐伯が対談した。佐伯は単なるビジネスの一環でお義理なんだろう、くらいにしか思ってなかったが、実は児玉は「居眠り磐音 」の大ファンで全部読んでいたという。児玉は娯楽読み物の文壇的評価を気にするな、書店のレジを鳴らしてなんぼだ、と佐伯を激励した。児玉はその後いたるところで「居眠り磐音」を宣伝してくれて、結果現在の1500万部の大きな助けとなったと佐伯は語る。

児玉はNHK番組の対談の折も惜櫟荘修復計画に対し、「佐伯さん、これはやりがいのあるプロジェクトです。」と高く評価してくれたという。児玉は2011年に亡くなった。児玉は死の間際、入院先で「居眠り磐音 」の最新刊を読んで「磐音に子どもが生まれた。」と自分のことのように喜んだと言う。佐伯はそれを伝え聞いて「児玉さんの残されたわずかな時間を奪うに値した本であっただろうか・・・と自問し、涙がこぼれそうになった」と書いている。

磐音
磐音 posted by (C)オトジマ

私も高踏的な先入観に毒されて大衆娯楽時代小説にあまり縁がなかったのであるが、あの児玉さんがお薦めするくらいなんだから読んでみるか、ということで大変遅まきながら「居眠り磐音」第1巻「陽炎の辻」を買ってきた。その夜のうちにわずか4時間もかからず350ページを読み終えた。読者のほとんどは50代以上の男性らしいから、活字が大きく、セリフが多く、平易・快調、物語はどんどん進み、要所要所にチャンバラが入り、切られた側は「ぐえっ」と叫んで死ぬ。江戸情緒も纏綿、時代背景も活写。まぁ、面白いといえば面白いが、私にはクセになる、というほどではなかった。なにせ現状でも全43巻もあるのであるから前途遼遠で思いやられる。しかし、次の巻を読んでもいいな、という気にはならないではない。都会の長距離電車通勤の人やリタイア世代にはうってつけか。

杵築の武家屋敷街。右が大原邸。
杵築2010
杵築2010 posted by (C)オトジマ

ところでこの「居眠り磐音」の主人公坂崎磐音は豊後・関前藩6万石の藩士である。物語の冒頭はそこで展開する。いざこざの末、磐音は浪人となって江戸に住まうことになり、その後の物語はずっと江戸で展開する。これがそのまま豊後の小さな町で展開するなら藤沢周平の海坂藩もののようになる。関前とは当然架空の町である。



豊後の海に面し、坂のある城下町というと、杵築・日出・臼杵・佐伯などが思い浮かぶ。関前藩は大阪から海路臼杵浦に至り、そこからは陸路、という記述がある。日出は物語中で隣藩として出てくる。作者の姓が「佐伯」だから佐伯もよさそうだが、私の希望では石高・譜代外様にこだわらなければ杵築を想定したい。NHKの時代劇「陽炎の辻」のロケは杵築市の武家屋敷「大原邸」で行われている。

大原邸
国東 2011 秋
国東 2011 秋 posted by (C)オトジマ

「居眠り磐音」にかぎらず佐伯作品の舞台として豊後の小藩が多いのが特徴である。「密命」の金杉惣三郎は豊後相良藩出身、「吉原裏同心」の神守幹次郎は豊後岡藩出身である。NHK時代劇『酔いどれ小籐次留書』の小籐次は豊後森藩久留島氏の配下。相良藩は存在しないが、後の岡藩・森藩は存在する。

なぜ豊後なのか、について佐伯は『惜櫟荘だより』の中でこう言っている。母方の祖先は豊後在で大友宗麟の配下であったが天正年間に薩摩に追われ肥後に逃げた一族らしいので豊後に愛着がある。別のところではこう言っていた。佐伯は北九州・折尾の出身で、九州に土地勘がある。小藩を舞台にするとなると九州はどこも外様の大藩ばかりであるが、豊後には小藩ばかりという特徴がある。それなら日向だって島津領を除けば小藩ばかりなんだけどな・・・

大原邸の庭
杵築2010
杵築2010 posted by (C)オトジマ

コチラに「居眠り磐音」公式サイト。

※DTI閉鎖にともない、ブログ移転してます。以下にどうぞ。FC2の「一歩 日豊 散歩」













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赤猫異聞

  • 2013/06/02(日) 02:19:05

入梅で雨の日々。さらにいろいろ身辺雑事が多く、特に記すほどのこともない日々である。

前回記した浅田次郎の「一路」につづき、同じ著者の「赤猫異聞」を読んだ。何の予備知識もないが単にタイトルが面白そうだから読んだだけ。浅田は話作りのうまさには定評があるのでどれを読んでもだいたいは面白いはず。

P6028076
P6028076 posted by (C)オトジマ

タイトルの赤猫とは全然ネコのことではない。江戸名物の大火の折、収監中の囚人を一時的に解き放つことの隠語である。
明治維新、年号が明治に改まった頃、まだ奥州や蝦夷では旧幕軍と官軍の戦争が続いており、江戸は幕府支配から新政府支配への過渡期。江戸時代を通じて小伝馬町に置かれた牢獄が舞台。ここを差配するのは幕府以来の牢役人達である。折りしもの大火で天保以来の「解き放ち」が行われる。それを「赤猫」と称した。火事が牢獄に類焼して混乱が起こるのを防ぐために、いったん400名の囚人は解放されるが、鎮火後には自主的に速やかに戻らねばならない。物語はその囚人達の中の3人の重罪人を巡る彼らの人生模様と転変する時代、解き放ちの3日間のミステリアスな出来事を描く。時代設定は「一路」から10年も経っていないが、世相は大きく変わってしまっている。

物語は事件から7年後に、牢役人の二人と重罪人3人(牢名主である博徒、夜鷹の元締めである女、旗本くずれの剣客)の回想として語られる。ということは地の文は全くなく、会話も極力少なく、ほとんどは当事者の語り、であるが、例によってメチャメチャ面白い。ここでも浅田の文体の巧みさにうならされる。ストーリーの面白さだけでなく、文体が心地よいと、読書の醍醐味は倍増する。江戸から明治の移行期の世相も興味深い。読んで損はない小説である。

P6028077
P6028077 posted by (C)オトジマ

たまたま安部龍太郎の「開陽丸、北へ」も同時に読んだのであるが、これも全く同じ時代背景である戊辰戦争から函館戦争にかけて。安部の文体は簡潔で話の展開にだけ注意を注げるようになっている。この物語の登場人物たちは榎本武揚ら旧幕臣なのであるが、彼ら海軍軍人の会話はほとんど「江戸時代」を感じさせない近代的なものである。安部がそれなりに時代考証をしているなら、幕末の幕府海軍内の用語・術語、言い回しはすでに帝国海軍並になっていたのだろうか。同じ1868年の出来事を描きながら、浅田の文からは浮世絵とか白黒写真が連想され、安部の文からはカラー写真が連想されるくらい時代の印象が異なる。もちろん、いずれが良いという意味ではない。








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一路

  • 2013/05/24(金) 23:14:58

BS日テレの「浅田次郎と眞野あずさが巡る中山道の旅」を見た。

浅田の小説「一路」の舞台となる中山道をめぐる一種の旅番組。
浅田はこう言っていた----昔から江戸時代の参勤交代という奇妙な制度に興味があったが、どうせ誰か他の作家により小説化されているんだろう、と思って放置しておいたが、どうやら参勤交代そのものを具体的に描いた作品はなさそうだ、と気づいて、作品化をはかり「一路」となった---



私も参勤交代にはおおいに興味がある。昔に行って、加賀藩の4000人のパレードをぜひ見てみたいものだ。数十名のお祭りの行列でも楽しいんだから、絶対に見ものであるに決まっている。しかし、その行列は通り過ぎるのに数時間を要し、下々は土下座で平伏しておらねばならないので、見物できる保障はないが・・・

ウィキペディアから引用した丹波・園部藩の行列。園部藩は2万5000石。小さな藩でも結構立派だ。加賀藩ならこれの10倍以上の規模のはず。


わたしは普段あまり時代小説を好んで読むことはないし、浅田次郎にいたっては昔の「鉄道員」(ぽっぽ屋)という短編集しか読んだことがない。が、参勤交代に引かれてこの「一路」を読んでみた。上下2巻の大部な小説である。これが、めちゃくちゃに面白かった。ストーリーも面白いし、江戸時代の道中を豊かにイメージできるし、擬古文的な言い回しや時代的な表現・語彙に満ちた達意の文が快調で日本語の心地よさを十二分に堪能できる。映画化・TVドラマ化も考えられるがその際にはこの浅田節は味わえないだろうから、魅力半減だ。しかし、映像でも見てみたくなる作品ではある。

話は、美濃国に知行をもつある旗本の、中仙道経由で江戸に至る参勤道中を描く。主役は道中を差配する若き共頭。お家騒動が筋運びの道糸となり、厳冬の中仙道の12泊の行軍を描く。なぜ普通の大名の東海道道中にせず、特殊な地位・小録の旗本の中仙道道中にしたのかは、最初違和感があるが、おいおいドラマの仕立て上の必然性がわかってくる。魅力的なのは主役の一路ではなく、もう一人の中心人物の殿様。バカ殿なのか名君なのか、なかなか傑物で時に爆笑もさせてくれるので読む場所にご用心。

コチラに中仙道の楽しい地図がある

この小説で読む限りは参勤交代は大変な事業である。全国300諸侯が250年間も続けた、ということは単純計算では延べで300X250=75000回も大旅行が行われた、ということである。こんなものすごい量の大移動はじつは江戸時代・ひいては日本の形を規定するくらいの影響があったのではないか。

たとえば、300諸侯の領地は全国に散らばるが、参勤交代の制度上、殿様の正室と子どもは江戸常住で、ほとんどの殿様は子ども時代を江戸で育つことになる。すなわち江戸時代の指導者層はほとんど江戸を故郷としていたことになる。明治維新後の版籍奉還・廃藩置県で諸侯は爵位を与えられて全員東京に召還されることになった時、皆唯々諾々と従ったのであるが、実は全員故郷に帰っただけのことであったから、内心喜んだのではないか。貴人にとっては田舎より東京の方が楽しいに決まっている。現在の地方選出国会議員たちの子弟が東京の名門私立学校に行っているようなものだ。選挙区が岩手の小沢氏も山口の安部氏も福岡の麻生氏もみんな東京育ちのお坊ちゃんたち。宮崎2区の江藤拓議員は世襲議員であるが、ド田舎の地元・門川中に通ったというだけでもエライのかもしれない。

大名行列ならぬ佐伯八坂神社の秋祭りの行列。
八坂神社 祭り
八坂神社 祭り posted by (C)オトジマ

九州の諸藩は旅程が1000km以上になり、江戸に近い諸藩に比べ出費の点でも大変なハンディを背負う。日向延岡藩は譜代藩。船で方財から出航して海路大阪まで行き、そこからは陸路東海道や中仙道で江戸に向かっていた。徒歩も大変だが、船旅も大変だ。艪漕ぎを併用していたから大勢の水夫が必要で、やはり多額の費用がかかったものだろう。日南の飫肥藩の場合、細島から船に乗り大阪に向かった。大小7隻の船を使い士卒276人内外、水夫269人くらいの規模である。乗客と同じくらいの人数の水夫が必要であった。コチラに詳細がある。

学校の歴史の時間には、幕府が参勤交代を命じた訳として、軍事的反抗を防ぐため大名に散財させて窮乏化をはかった・・・みたいなことを教えるが、浅田次郎はそれは結果論であって、当初はあくまで危急の際、江戸まで行軍するための演習という側面が強かったはず、と言っている。「一路」はそれを前提として物語が展開する。時代背景は幕末であるからかなりアナクロで、そこが面白い所でもある。フトンの中で読みながら眠るには面白すぎて眠れなくなるかもしれないが、ヒマな方には一読をお薦めする。

コチラに「一路」の関連ページがあるので興味ある方は参照。
















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郷土の映画人

  • 2013/01/31(木) 00:21:29

いまや全国どこでもご当地映画がさかんに作られている。
門川町でも吉本興行によって「ウミスズめし」が製作されて5月公開。県出身の吉本タレント「とろサーモン」らが出るとか。吉本所属の「博多華丸大吉」の大吉の奥さんは門川出身だ。すでに撮影は町内各所でとっくに済んだらしいが私の全く知らない間の出来事。町の観光協会に行ってもまだ全然資料はない。

私が愛読しているharbyさんのブログによると、氏のご子息、港岳彦氏は新進のシナリオライターで、この度「百年の時計」という作品の脚本を担当され、映画が公開の運びになるという。すでにYoutubeに予告編がある。延岡出身の映画人はほかにもいろいろおられるのかもしれないが、そのことだけでも一挙に作品への興味がわく。公式サイトを見てもなかなか面白そうだ。


この映画は高松の私鉄「琴平参宮電鉄」略称「ことでん」の創立100周年記念映画である。鉄道ファンなら知らぬもののないローカル私鉄である。当然電車の場面が多いだろうから鉄道ファンなら是非見てみたい。メジャーな映画作品でも最近鉄道ファンをあてこんだかのような作品が見られる。島根の一畑電鉄を舞台にした中井貴一主演の「RAILWAYS」、阪急今津線を舞台にした「阪急電車」など。

「百年の時計」には市長・県知事も出演するご当地映画であるが、ストーリーはその範疇にとどまらないなかなか深いもののようだ。ぜひ見てみたいものであるが、ただでさえ映画へのアクセスが悪い県北のことだからどうなんだろう。

日向高校出身の映画監督・内藤隆嗣氏の初作品「不灯港」も面白そうで是非見たかったのであるが、いまだに見る機会がない。ゲオにいってもレンタルしてない。Youtubeでは予告編が見れる。


ビッグネームでは延岡中学(旧制)出身の俳優・志村喬がいる。黒澤映画の常連だから世界的俳優であるが、若い人は知らないかな。




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ひまわりと子犬の7日間

  • 2013/01/23(水) 01:19:49

日向山田会の「東京家族」上映会では「ひまわりと子犬の7日間」が併映された。理由が二つ。監督の平松恵美子氏が山田監督の助監督と共同脚本家を長年務めていること、映画の舞台が宮崎であること。日向の上映会では山田氏とともに平松恵美子氏も舞台挨拶に立った。とても小柄な女性である。





犬物映画は昨今とても多い。2000年代になってだけでも邦画では「白い犬とワルツを」「DOG STAR」「仔犬ダンの物語」「さよなら、クロ -世界一幸せな犬の物語-」「クイール」「犬と歩けば -チロリとタムラ-」「いぬのえいが」「イヌゴエ」「ベルナのしっぽ」「イヌゴエ 幸せの肉球」「わんこ THE MOVIE」「犬と私の10の約束」「DOG×POLICE 純白の絆」「わさお」「LOVEまさお君が行く!」「星守る犬」・・・・・。まだまだあると思う。実は私はDVDですら一つも見てない。犬はきらいではないが犬物映画は「お涙頂戴路線」が多いし、子どもや犬好きという安定ファンをねらった安直なマーケティングが透けて見えるのであまり好きではない。

とはいえ、併映だし、我が敬愛する山田監督の愛弟子のデビュー作なんだし、ご当地映画でもあるわけだから見ざるを得ない。公開は3月中旬なので春休み映画か。結論的に言えば、子ども連れの家族なら見ても損はない映画に仕上がっていた。何はともあれ、犬の映画だし、子どもが重要な役割をするので子どもには感情移入しやすいし、人間ドラマとしてもよく出来ているし、教訓的だし・・・・。さらにはちゃんと泣けるように出来ている。舞台上で山田監督に花束贈呈した地元の小6の少女はこの映画の試写会で号泣したという。ちなみに彼女は山田会会長の娘さんらしい。

ただし、やや鬱陶しくて肩が凝る、という向きも多いかもしれない。少なくとも楽しい娯楽作品とはなっていない。他の犬物はよく知らないのであるが、この作品はいささか毛色が違っており、保健所での犬の殺処分という重いテーマを扱っている。保健所の職員である主人公は犬を殺処分することに大きな葛藤がある。昔、私の飼い犬も危ういところで保健所に捕獲されて収容所送りになるところだった。映画の中での話によれば、宮崎県内で年間4000頭もの野犬や捨て犬が殺処分されているとか!私の息子は現在保健所で働いており、必ずしも他人事ではない。



マイナーな県である宮崎県人としては、そのローカルぶりが気になるところだ。宮崎市が舞台なので、ほぼ全出演者が宮崎弁を話す。皆さんなかなか上手である。子役の二人がかなり自然な子どもらしい宮崎弁でかわいくてとてもよかった。唯一のネイティブで主演の堺雅人の宮崎弁は当然ながらパーフェクトなんだが、あの独特のイントネーションはいささかやりすぎなんじゃないか?他県の人はどうだか知らんが、宮崎の人間は、リアルな宮崎弁を客観的な立場から聞くと心地よく感じないのではないだろうか? 妻も堺の宮崎弁を「気色悪い」と言っていた。特に我々県北の者にとって県央や県南の奇妙な抑揚はいただけない。たぶん他県の人にとっては差はないのかもしれないが。



昔、学生時代、山手線の電車に乗っていたら、数名の若者がド宮崎弁で大声でしゃべりまくっているのに遭遇した。そのときの気恥ずかしさ。自分がしゃべる分には全く気にならないのであるが、他人が東京でしゃべっているのを見ると恥ずかしいのはナゼ?

実は一本だけ洋画ではあるが犬物を見たことがある。リチャード・ギアのリメイク版「ハチ」である。なかなか良かった。この映画で欧米では秋田犬人気が高くなった。日本の家屋で飼うのにはでかすぎるが欧米の大きな家では屋内でも飼えるらしい。リチャード・ギアと同じくらいでかい。


実は我家で飼っていた犬も「ハチ」であった。


「ひまわりと子犬の7日間」公式ページはコチラ

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