NHK プロフェッショナル仕事の流儀 風立ちぬ

  • 2013/09/01(日) 00:53:02

8月26日放送、「NHKプロフェッショナル仕事の流儀・宮崎駿スペシャル 風立ちぬ」・・・長ったらしいタイトルだ。

ポニョ以来、NHKはジブリ長編製作に張り付いて、映画上映中にそのメイキングドキュメンタリーを放送することが恒例になった。毎回とても面白い。全部録画して取ってある。どうやらこの秋リリースの高畑勲作品「かぐや姫の物語」も見れそうだ。この番組中で宮崎氏がNHKカメラに「パクさんの取材の成果はどうですか?パクさんは何やってんだろうね?」と言っている。今からそのスペシャル番組を楽しみにしている。

下:「かぐや姫の物語」製作中の高畑氏。宮崎氏より高齢だが若く見えるし、元気そうだ。


今回、の冒頭部は「風立ちぬ」の企画書を書いてる様子である。スタジオではそのころ「コクリコ坂」製作中であったから、NHKの「コクリコ坂」ドキュメンタリー「ふたり」の中でも宮崎氏が絵コンテを描いている様子を垣間見る事ができた。ちょうどその頃、3/11大震災があり、スタジオの中の緊迫をみることができた。その様子については以前コチラに書いた事がある。


宮崎氏の製作スタイルは絵コンテを描きながら実製作に突入し、最後は時間に追われながら、収まりのいい結末を模索して苦しみつつギリギリで絵コンテを終える・・・というもの。実際の動画製作は大勢のスタッフの手にあるから、宮崎氏の姿を追うといつもかつも絵コンテを描いている、という地味な画面ばかりである。

この番組の中で気になったところ、面白く感じたところをいくつかピックアップしてみる。

まず悪評サクサクの主人公堀越二郎の声、庵野秀明について。2012年12月、公開を7ヵ月後にしてそろそろ音入れが迫る頃、宮崎は誰の声を当てるか思い悩んでいた。会議で思案投げ首の時「昔のインテリは滑舌がよくて声が高いんだよ。無口なんじゃなくて、頭いいから余計なこと言わない。ややこしいキャラクターなんだよ」・・・なんてやり取りがあったとき鈴木プロデューサーがふと「素人の方がいいのかなぁ。・・・・・庵野・・・」と、洩らす。宮崎氏は「庵野ですか?」とその意外さに驚くが「面白いね」と同意する。鈴木氏は実は腹案として持っていたのかも。さっそくその場でタブレットで庵野が話しているところを映しだす。

その二日後にスタジオに庵野を呼び出し、堀越が下宿近くの駄菓子屋で買ったシベリアを貧民の子供に与えようとする場面で音声のテストをする。別室でそれを聴いていた宮崎氏は思いがけぬ掘り出し物に大満足で「いいじゃん。やった」と鈴木氏をたたく。これを見ると、あの妙な声と素人棒読み風は宮崎氏も納得済みの意図的なものであったことがわかる。


震災の大群衆の場面が大変だ、とは数年前から聞いてきたことであるが、その4秒のカットに1年3ヶ月もかかった、というのを聞いて驚いた。「耳をすませば」で雫が歌う場面に1年かかった、というのとは比較にならない手間だ。担当アニメーターがラッシュ上映を見て「あっという間でビックリしましたよ」というと宮崎氏は「あっという間以上のことはあったよ。うまくできた。」とねぎらった。


震災後、宮崎氏一行が東北の支援に行く場面がある。映画上映会場で色紙に次々とサインして子ども達にあげる場面がある。「アレッ?子ども達はどんでもないお宝をもらってるぞ」と思う。実は宮崎氏は原則としてサイン要求に応じないという。ネットオークションで数十万円の高値で取引されているのを知り、怒ってサインをしないことにしたそうだ。現在ヤフオクで見ても出品はマレである。この時には「支援」のサイン会であるから後日換金されることを承知だったとか。NHK番組中でも原画をどんどんゴミ箱に捨てる場面があるが、原画だってオークションでは結構な値段がするから、ジブリのゴミ箱はオークション出品者にとってはお宝の山だ。


毎度、ジブリ密着のNHKドキュメンタリーを見ると宮崎監督の仕事は鉛筆で絵を描いては消しゴムで消すばかりで、なにも派手な立ち回りがない。机の上のきわめて地味なアナログ作業だ。一年以上かかって描いてきた絵コンテの束をみて「よくこんなに描いてきたもんだね。一寸先は闇でやってんだから」と言う。今回の絵コンテは水彩絵の具で色つきだからすごい手間だ。オリラジの中田は読了するのに2時間かかったというが、普通の人なら5〜6時間かかるのでは。


エンディングでうまいこと着地できるかどうかはほとんどバクチである。映画の感想は各人各様だから断定はしないが、私は今回はなんとかうまくフィニッシュできたと感じた。私にとっては「千と千尋」以来の満足。「トトロ」「魔女の宅急便」、さては「耳をすませば」の奇跡的なエンディングとは、映画の種類が異なるので比べにくいが、「もののけ姫」「ハウル」「ポニョ」の喰い足りないフィニッシュに比べおおいに満足した。

ただし、今回のNHK番組はコクリコ坂の時の「ふたり」に比べると親子の葛藤や、若手監督の未熟ゆえの苦悩などがない分、さしてドラマティックではなかった。まぁ、しかし巨匠の手仕事をじっくり見れるというのは貴重な体験だ。それも宮崎氏は今回限りでの引退宣言をしているのだから、これが最後と思えはなおさら。ただし、彼の「最後」は幸いにも度々覆っているのでそれに期待したい。

彼の引退宣言は世界中に配信され話題になった。日本を代表する芸術家である。日本の首相の名はすぐに忘れ去られても宮崎氏の名前は不滅だろう。そんな人物が人間国宝でも国民栄誉賞でも文化勲章でもない、というのも変である。死んでからかな?

彼は日テレのキャスターに今後のことを聞かれて「金のことを考えなくていい仕事をしたいね」とも言っていた。それにも興味あるなぁ。彼の午前中は毎日近所のゴミ拾いに費やされているというから、なにかボランティアかな?
ジブリ発行の雑誌「熱風」では7月号では憲法改悪反対特集で宮崎氏自身、平和憲法死守に熱弁を奮っていたので政治運動かも・・・。引退後も目の離せぬ気骨の人である。

※映画「風立ちぬ」のレビューはコチラ


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風立ちぬ

  • 2013/07/21(日) 00:27:43

本日はジブリ作品「風立ちぬ」初日。朝一で劇場に行った。延岡の映画館には珍しくチケット売り場に行列!短いけれど・・・。 20年前はジブリの夏休み作品というと、延岡でも超満員だったものだが、近年は若い人たちにそもそも劇場に行く習慣がなくなりつつある。
ともかく「風立ちぬ」は子供が楽しめる映画でない。結論的に言うと鑑賞力のない人にも退屈するかも。2時間20分の長丁場は子供にはかわいそうだ。宮崎氏は「よくわからない映画を見る体験も子供にはあっていい」と言っているが。

門川に飛来した9試単戦。背景は遠見半島。
P7201413ee
P7201413ee posted by (C)オトジマ

私の世代以上の人には堀越二郎の名前は周知であるが、ミリタリーに興味のない人や若い世代は知らないかもしれない。堀越は戦前・戦中の航空機設計者である。ゼロ戦や雷電の設計で有名である。戦後はYS-11の設計にも参加している。映画は実在の人物を扱うが、評伝ではなくほとんどフィクションと考えていい。しかし実名を使う以上は遺族の許可を得ているものと思われる。まだ存命の堀越の御子息とその夫人の名がスタッフクレジットのなかにあり、試写会ではユーミンの横に座って泣いておられたとか。

映画は堀越二郎の少年時代から始まる。時代は明治から大正にかけて。二郎少年は良家の坊ちゃんでハカマにゲタ。子供の頃からメガネの秀才である。生地は群馬県藤岡市。100年前の北関東の田園風景が美しく描かれる。川には帆走の川舟。駅前風景とか汽車とかもいかにもそれらしくて、美しかったであろう昔の日本が再現されている。



少年時代の二郎とカプロニ。カプロニは二郎の夢に出てくるイタリアの飛行機設計者


堀越二郎は長じて東京帝大に進む。上京する汽車の上で関東大震災にあう。そこから声が庵野秀明になる。試写会レビュワーたちの総スカンを喰っているド素人の声、さらには50過ぎのオッサンが青年の声を演じるのにも批判がある。まぁ、それを事前に知っているからそういえばパッとしない声だな、とは思うが私は特にヒドイとは思わなかった。



関東大震災では避難する大群衆が描かれる。これが一番の大仕事だっただろう。宮崎氏はこの場面を描かさせるために40人の新人アニメーターを大量採用し、この作品でジブリが潰れてもかまわない、と語ったことがある。この場面の絵コンテができたあとで3・11大震災が起きたが、修正はせずそのまま製作したという。ちょうど「コクリコ坂」製作たけなわの頃。

二郎は震災の時乗り合わせた汽車で菜穂子に出会う。当然高崎線である。菜穂子はお嬢様だから軽井沢からの帰りだろう。二郎は3等車、菜穂子は2等車というグレイドの違いがある。「風立ちぬ」は元来堀辰雄の小説であり、このアニメもそこからシチュエーションを借りている。しかし菜穂子は別の小説「菜穂子」から借用した名前である。

その後、二郎は東京帝大を出ると名古屋の三菱に入社し、設計者への道を歩む。当初は三菱内燃機、後に三菱飛行機。現在の三菱重工で、工場は臨海部の埋立地にある現在の大江工場。秀才の二郎は水を得た魚のように設計に励む。技術導入元ユンカース視察のためにドイツに行く場面がある。

ユンカース特有の波板外板の巨人機G-38に乗る場面がある。
下は実写のG-38


二郎が設計した七試艦戦。試験飛行中に墜落する。


試作機失敗の失意の中で保養に行った軽井沢で偶然菜穂子に再会し、美しい避暑地で二人は恋に落ちて、婚約する。昔は軽井沢と群馬県側の草津温泉を結ぶ草軽電気鉄道という鉄道会社があったが、二郎や菜穂子の宿が草軽ホテルで、関連企業なのだろうか。

しかし菜穂子は肺を病んでいた。その後、菜穂子の病は進行し、八ヶ岳山麓のサナトリウム、富士見高原病院に入院する。この病院は現在も実在する。粉雪舞う中で屋外で日光浴する患者達の姿が印象的。抗生物質のなかった頃の結核治療は転地療養なんていう効果不明の治療法しかなかった。堀辰雄の「風立ちぬ」のヒロインはここに入院する。実際は堀自身も結核でここに入院していた。


宮崎氏による戦前の結核療養施設の解説(モデルグラフィックスより)---クリックで拡大---


しかし先の長くないことを悟る彼女は病院を脱出し、名古屋の二郎のもとに走る。二人は急ごしらえの簡素な祝言を挙げて結ばれる。二人のつかの間の切ない新婚生活と二郎の傑作機九試単座戦闘機の完成・・・・。



原作となったモデルグラフィックス連載のマンガ「風立ちぬ」は宮崎氏の飛行機のウンチクと戦前の日本の工業技術水準について縷々描かれていてとても読み応えがあり面白い。その中で菜穂子との交渉はオマケ程度であった。しかし映画版では大方の人は昔のテクノロジーの詳細に関心はないだろうから、そこらの詳細は省かれ、二郎の関わる試作機中心におおまかな開発過程が描写される。それだけでもヒコーキ好きには十分に楽しめる。たとえば複葉機時代の艦載機の離着艦なんてなかなか動画でみれるものではない。

下:これは「風立ちぬ」からではなく、戦前の人気挿絵画家、樺島勝一のイラスト。


ストーリーをつなぐのは二郎と菜穂子の関係である。つまり原作のウンチクマンガよりはずっと堀辰雄の「風たちぬ」側に寄ってしまっている。ドラマ構成上は大いに効を奏している。結核の人には死が約束され、軍国日本にも未来はなかったのでこの物語はハッピーエンドになりようがない。

時折、目を奪うような美しい緑の自然の描写もあるが、時代が時代だけに庶民の生活は貧しく、住宅や職場の場面は薄暗くくすんだ色調が支配的である。主人公が艱難辛苦に苦しむこともなく、ライバルとの葛藤もなく、派手な戦闘シーンもないのでストーリーには特に大きな起伏もない。我々は結核患者の行く末を知っているので、どうにも愉快になる場面はない。物語は太平洋戦争まで行かない。しかし、特に劇的でもないエンディングのあとには思いがけない深い感動が来る。放心状態の中で、エンディングロールの流れる中、ユーミンの「飛行機雲」を聞きながら涙を流さない人はアンポンタンだけである。私はジブリ作品でこんな種類の感動を味わったことはない。ただでさえ涙腺の弱い妻は1時間ほどボーダの涙。

映画パンフレットより。


知人は予備知識なく映画を見て、堀越二郎の実話だと思い込んだという。もちろん違う。堀越の設計者としての人生については彼の年譜に即している。結核の女性との恋については堀越ではなく堀辰雄の人生に準じているはずだ。つまり二人の実話をつき混ぜてわけで、ドラマ構成の必然性から話が展開しているわけでもない。だから、面白くない話だ、と文句を言うのは的外れかもしれない。そういう点でも従来のジブリ作品とは全く別の系列に属する作品である。


ストーリーもさりながら、ジブリならではの濃密な背景を見れるだけでも眼福。緑したたる田園風景や軽井沢の自然も美しいが、都市部の立ち並ぶ商店や土蔵など時代考証を感じさせる風景も面白い。宮崎氏らしく各所に松の大木が配される。海や川など水辺には必ず帆掛け舟がある。80年前の風景を現出させる。実写のセット撮影よりもはるかにリアリティがあるような気がする。汽車やバスの描写も素晴らしい。堀越と同様に北関東で育った宮崎氏の幼い頃の原風景だろう。貧しかったが古き良き風景のあった頃--良き時代ではなかったが・・・。
詳しくは徳間書店から出ている「ジ・アート・オブ。ジブリ・風立ちぬ」に背景画が多数収録されている。

二郎の郷里の街角。


地味な展開、地味な色調が続くなかで、時々夢の中で現れて、派手な色とファンタスティックな場面を時々与えてくれるのが、二郎が心の師と仰ぐ、イタリアの航空機設計者カプロニである。そこでは存分に奇妙な形の飛行機が空を飛び、宮崎氏の面目躍如である。カプロニは実在し、湖からの離水に失敗する巨大飛行艇も実在した。

---モデルグラフィックスより---


西欧先進国と比べると当時の日本には後進性も多々あった。最新の戦闘機の試作機を飛行場に運ぶのに馬車ならぬ牛車が使われる。名古屋臨海部の大江工場から岐阜の各務ヶ原飛行場まで60kmに二日かかったとか。


この映画のシンボルとして使われる二郎設計の傑作機、九試単戦。下の絵では機首が見えないので素晴らしくスマートで美しい。この翼が逆ガル翼。ガルとはカモメ。逆ではない場合にはこの機体を逆さまにするとカモメの形になる。映画の中には中国機のソ連製ポリカルポフがチラと登場するが、これがそう。それはロシア語のカモメでチャイカと呼ばれたとか。そういえばソ連の女性宇宙飛行士テレシコワのコールサインがチャイカだったなぁ。「私はカモメ」を覚えているのは年寄り。


マンガ「風立ちぬ」に登場するガル翼機。宮崎氏の作った架空の戦闘機である。ガル翼にする利点はないはずだが・・・

逆ガル翼にする利点は、翼からおろす脚の長さを短くできるからである。大戦時の米軍艦載機コルセアとか、ドイツの急降下爆撃機スツーカ(ユンカース Ju-87)などが代表的。大戦時の名機といわれる戦闘機を見ると通常の平坦な翼の戦闘機が多いから、逆ガルは必然でもないようだ。二郎はこの新奇なデザインをやってみたかっただけだろう。

堀越二郎をはじめ、日本の技術者たちは短期間に日本の航空技術を飛躍的に高め、太平洋戦争当初は米軍機に引けを取らぬ活躍を見せるくらいにした。しかし、日本の工業は基礎的なところでまだまだ欧米水準に遅れていた。飛行機では肝心のエンジン技術が、信頼性ある水冷エンジンを作れるところまで行かず、二郎の設計した飛行機たちもその制約に縛られる。九試単戦もその美しさに画龍点睛を欠くのは不恰好な空冷エンジンと固定脚であった。


私の人生は山田洋次と宮崎駿の次回作を待つ年月であった。昔は夏にジブリ作品を見る度につまらない日常が一瞬輝いた。しかし、実のところ駿氏の近作「ポニョ」「ハウル」「もののけ姫」にはいささか不満だった。しかし、「風立ちぬ」は従来の作品とは全く異なった味わいであるが大変気に入った。最近の宮崎氏はこれが最後の作品だ、とは断言していないので、こんなテイストの作品をまた見たい。駿氏の好きな漱石作品でも文芸物でもいいから是非作って欲しいものである。

ただし、「風立ちぬ」は万人に面白く感じられるという保障はしない。私は遠からず二度目を見に行こうと考えている。

※2年前に書いて、いまだにアクセスの多い「風立ちぬ」関連ポストコチラと、コチラ

※今年の初めに書いた関連ポストコチラ

※堀辰雄{風立ちぬ」はネット上で読める。年配者には文庫本の小さい文字よりもラクかも。コチラ

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地味な展開、地味な色調が続くなかで、時々夢の中で現れて、派手な色とファンタスティックな場面を時々与えてくれるのが、二郎が心の師と仰ぐ、イタリアの航空機設計者カプロニである。そこでは存分に奇妙な形の飛行機が空を飛び、宮崎氏の面目躍如である。カプロニは実在し、湖からの離水に失敗する巨大飛行艇も実在した。

---モデルグラフィックスより---

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「コクリコ坂から」と「レ・ミゼラブル」

  • 2013/01/13(日) 23:02:08

11日金曜日、金曜ロードショーでスタジオジブリ作品「コクリコ坂から」が初めて放映された。いままで劇場公開、DVDやブルーレイで見ていない多くの人がこの番組で初めて見たはずである。


驚いたのは当ブログへのアクセスの殺到である。普段の日はおよそ1日に150位のユニークアクセスがその夜のわずか2時間でおよそ4000!その後もずっと継続している。ためしにDTIブログランキングを見てみたら上位に入っていた。驚き!アクセス数を稼ぐためだけならやはり芸能ネタが大変有効らしい。

今回のアクセスは拙ブログで「コクリコ坂から」劇場公開の2011年7月に、映画に関して考察したさまざまについての記事へのものである。過去記事は右カラムの2011年7月を参照。従来も劇中歌「紺色のうねりが」を検索ワードとするアクセスが多かったが、今回の特徴は「カルチェラタン」という検索ワードが圧倒的に多いことだ。劇中で高校の学生会館の古い洋館が「カルチェラタン」と呼ばれる。


我々の世代までは「カルチェラタン」という語にあるイメージを共有していて、説明の必要もないどころか、その名称で劇中の学生会館の性格や役割を感得できるのであるが、今の世代にはほとんど聞きなれない語であるようだ。

いうまでもなくカルチェラタンとはパリにある学生街である。革命の国フランスではここはたびたび学生運動の発火点となった。日本でも学生運動たけなわの頃、「神田カルチェラタン」などと言われたこともある。現在のように大学が郊外移転する前には神田・御茶ノ水は明治・中央をはじめとした学生街であった。


実は「コクリコ坂」の原作マンガにはこのカルチェラタンは登場しないし、学生運動の争点は学生会館の取り壊し問題ではなく、制服自由化問題なのである。カルチェラタンは宮崎駿氏による創作である。この映画は時代を1963年と設定してるが、日本人に「カルチェラタン」という語が定着したのは1968年のフランス5月革命以降ではないだろうか。

我々は革命というとフランスのイメージがある。民衆がバリケードを築いて街区を占拠し、権力と対峙する・・・。1968年のフランス5月革命でも学生はカルチェラタンにバリケードを築いた。日本ではそんな革命を経験していないのでちょっとうらやましくもある。さて、話は変わって、いま話題の映画「レミゼラブル」を見た。映画の内容や評価を言い出すとキリがないので略する。



物語は19世紀初頭のフランスの革命騒ぎを背景としている。例によって学生達は街頭にバリケードを築き、軍隊と対峙するが、劇中のバリケードと戦いのスケールがえらく小規模なのである。(上の写真) ミュージカル仕立てで、数名の主要人物をクローズアップするためには致し方ないのかもしれない。民衆から浮いた小数の尖鋭分子が主導する革命運動は挫折しかない。

ところがエンディングで目を疑うような巨大なバリケードを見ることができる。革命は挫折するが、自由と民主を求める民衆の気概は不滅であることを表象する幻想の場面。舞台なら死んだものも生き返って全員集合し大合唱する大団円場面。合唱「民衆の歌」(Do you hear the people sing)が流れる中、人民は巨大なバリケードに依って立ち旗を掲げる。それまでのすべてが歌で展開するまどろっこしく込み入った物語は脇に置いておいても感動できるエンディングである。我々のように学生時代に学生運動の隅っこに身を置いて革命歌を歌ったことのある者は涙なくして見られない。「砦の上に我等の世界〜」という鹿地亘訳のワルシャワ労働歌を思い出すのである。

下:下の動画では映画の革命シーンのダイジェストが見れる。「Do you hear the people sing」でYoutubeで検索すると合唱付・英語歌詞付のものがあるので是非、英文歌詞を味わいながら聴いて欲しい。あなたも革命に身を投じたくなる。


その場面の天を衝くような巨大なバリケードの画像を探したが見当たらない。おそらくセットではなくCGだとおもう。家具やガラクタを積み上げてあんな高いバリケードを作るのは困難だし、史実とも全然違うだろうが、ともかく美しい!!

下はネット上でみつけた類似場面であるが、これはセットだろう。


この後に上から俯瞰するシーンがあり、ありえないくらいのバリケードを見ることができる。いずれ画像を見つけたらアップしよう。


歌に感動したので英語の歌詞を添付しておく。

Do you hear the people sing?
Singing a song of angry men?
It is the music of a people
Who will not be slaves again!
When the beating of your heart
Echoes the beating of the drums
There is a life about to start
When tomorrow comes!

Will you join in our crusade?
Who will be strong and stand with me?
Beyond the barricade
Is there a world you long to see?
Then join in the fight
That will give you the right to be free!

Do you hear the people sing?
Singing a song of angry men?
It is the music of a people
Who will not be slaves again!
When the beating of your heart
Echoes the beating of the drums
There is a life about to start
When tomorrow comes!

Will you give all you can give
So that our banner may advance
Some will fall and some will live
Will you stand up and take your chance?
The blood of the martyrs
Will water the meadows of France!

Do you hear the people sing?
Singing a song of angry men?
It is the music of a people
Who will not be slaves again!
When the beating of your heart
Echoes the beating of the drums
There is a life about to start
When tomorrow comes!

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風立ちぬ 再論

  • 2013/01/09(水) 00:37:46

※映画「風立ちぬ」のレビューは7月21日付けポストのコチラを参照のこと。

昨年末の12月、いきなり当ブログへのアクセスが殺到した日があった。なにごとか?と調べてみたら、その日にスタジオジブリが2013年夏公開の新作「風立ちぬ」と「かぐや姫の物語」を発表したことによるものであった。

拙ブログでは一昨年、宮崎駿監督の次回作が「風立ちぬ」であることと、原作の概要を記した。昨12月の公式発表は簡単なものであり、詳細については公表されていない。画像もイメージポスター1枚だけである。ジブリの以前の作品では、公開前のこの時期には公式ブログでチョコチョコと製作の様子や画像が伝えられたものであるが、「コクリコ坂」以後、公式ブログを中止しているのでほとんど情報がえられない。夏の公開まで楽しみを取っておくほかないようだ。

今年の夏、ジブリは巨匠のそろい踏み。1988年の「となりのトトロ」「火垂るの墓」以来。それも別々にロードショーだから、スクリーンをハシゴしなければならない。支出は2倍。


上のポスターの元絵となったマンガ「風たちぬ」のひとコマ。堀辰雄の小説「風立ちぬ」の冒頭で、軽井沢の高原でヒロインが描いている油絵のイーゼルが風で倒れる場面がある。(モデルグラフィックスより)


ポスターを見ると「風立ちぬ」というタイトルと「いざ生きめやも」と小さく惹句、「堀越二郎と堀辰雄に敬意を表して」とある。戦前の天才的戦闘機設計者・堀越二郎の物語で、機能的で美しい飛行機にあこがれた堀越二郎へのオマージュとなるだろう。
自分自身少年時代からのヒコーキマニアである宮崎氏の趣味性と広く大衆を動員しなければならない興行とのかねあいが危惧されるところであるが、そこは宮崎さんのことだからうまいこと折り合いがついたのではないか。

ジブリ作品では毎昨、使用音楽が話題になる。今回は鈴木プロデューサーからユーミンの「飛行機雲」が使われることが示唆された。ユーミン作品は「魔女の宅急便」で「ルージュの伝言」「やさしさに包まれたなら」が極めて効果的に使われた。「飛行機雲」も含めどれも荒井由実時代の初期作品である。「飛行機雲」は高校生の頃の作というから、40年前。なんとなく悲しい曲ではあるが、意味は判然としない。死とか病気を示唆しているし、飛行機雲も出てくるから「風立ちぬ」にはふさわしいのかもしれない。私の娘は「エンディングでこの曲が流れたら絶対泣いてしまう」と言っている。なるほどね。最近のYoutubeでは本人歌唱のオリジナル曲が削除される傾向にあるからこのリンクもいつまで生きているかわからない。


「風立ちぬ」というと松田聖子の歌を思い出す人も多い。たぶん堀辰雄の小説からタイトルと高原のイメージを借りただけ。私は大好きな曲である。「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏行)と重なって秋の到来を感じさせる曲である。しかし「風立ちぬ」という堀辰雄のつけたタイトルがまたポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』からの借用で、「風立ちぬ、いざ生きめやも」という句は詩の一節であり、堀の小説の冒頭に出てくる。それはともかく、詞・松本隆、曲・大瀧詠一の「風立ちぬ」は現在の多くの日本人には堀辰雄の小説よりはるかに馴染み深い。なんなら宮崎駿の「風立ちぬ」のオープニングに使われても私としてはウェルカムなくらいである。


モデルグラフィックスに連載された「風たちぬ」はほとんど戦前の日本の航空機開発のウンチクである。若き堀越二郎が限られた日本の工業技術水準の制約の中で悪戦苦闘する。イタリアの飛行機設計者カプロニが二郎の先生役で随所に登場する。宮崎氏は「紅の豚」でもおなじみなようにイタリアの飛行機が大好きなのだ。ヒコーキ趣味の宮崎氏としてはそれだけでも十分このマンガは成立したんだろうが、マンガの後半になって突如として女性が登場する。映画化を視野に入れたのかもしれない。

物語として膨らませるためにはロマンスが必要だ。そこで堀辰雄の「風立ちぬ」のシチュエーションを導入したのではないか。小説「風立ちぬ」は八ヶ岳山麓のサナトリウム「富士見高原病院」で療養する結核の女性と堀自身と思われる小説家との間の恋の物語。小説ではヒロインの名は「節子」であるが、宮崎版では「菜穂子」となっており、これは堀辰雄の別の小説「菜穂子」から取ってきたものと見える。

下:マンガ「風立ちぬ」(モデルグラフィックス)より。富士見高原病院は実在し、現在も営業しているが、昔の病棟はもうない。堀辰雄自身もここに入院していた。


堀辰雄の「風立ちぬ」には格別ストーリーらしいものはなく、結核病棟で徐々に弱っていくヒロインと小説家との交流が淡々と描かれる。宮崎版では主人公は名古屋の三菱で戦闘機の設計に忙しい中、たまたま休養に訪れた軽井沢でヒロイン菜穂子に出会い、恋に落ちる。その後彼女は高原病院に入院し、二郎は見舞いに行く。堀越は菜穂子に美しい飛行機を見せたいがために奮闘する。二郎の努力は九試単戦となって結実し、その後のゼロ戦へとつながる。

大型ラジコン模型で復活した九試単戦。 モデルグラフィックスより。


宮崎氏の「出発点」という随筆集を読むと、小説「風立ちぬ」の舞台となった八ヶ岳南麓が宮崎氏と関連あることがわかる。宮崎氏はジブリ設立以前、ヒマな時期があり、夏には夫人の実家が持つ八ヶ岳の別荘で過ごした。することもなく、テレビもない別荘で、宮崎氏は姪達が持ってきた少女雑誌「なかよし」しか読むものがなく、寝転がって読むうちにあの「コクリコ坂から」の映画化の構想を得たという。実際に実現したのはなんと30年後。「コクリコ坂」を監督した宮崎吾郎氏も少年時代にその別荘で同じマンガを読んでいたという。ということで、堀辰雄と八ヶ岳つながりで地縁がないことはない。実際、宮崎氏は別荘から遠からぬ富士見高原病院に見学に行ったことがあるとか。

八ヶ岳南麓。


八ヶ岳中腹の別荘地帯。数年前にドライブした時撮影。


さらに宮崎氏は堀辰雄のファンのようでマンガ中で「私は堀辰雄が好きだ」と言っているし、詩の引用もしている。マンガ「風立ちぬ」には堀越二郎が本郷で小説家となった堀辰雄と会食する場面がある。実際に両者は一歳ちがいで学部は違えど東大で同時期を過ごしている。ただし本当に交流があったのかどうかは知らない。宮崎氏の創作ではないだろうか。

下:堀越二郎が本郷のレストラン「ペリカン」で堀辰雄と会う場面。堀は犬、二郎はブタ。


「風立ちぬ」という堀辰雄の小説から借りたタイトルからも推察できるように、二郎の恋人菜穂子は結核で死ぬことになる。昔は結核は死の病だった。マンガも二郎が九試単戦を完成したところで終わる。我々からすると、その後堀越二郎は名機ゼロ戦をはじめとした幾多の戦闘機の開発、戦後はYS-11の開発に携わることになるわけだからそこらも見たいところであるが、戦争物にはしたくない、というのが宮崎氏の本意だろう。

2013年7月の映画「風立ちぬ」レビューはコチラ

一昨年の関連エントリはコチラ。重複した記事もあるが、参照して欲しい。

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風立ちぬ--2

  • 2011/12/04(日) 00:46:04

前回エントリの続き》

堀越次郎といえば零戦、96艦戦、雷電などの設計で有名である。しかし「風立ちぬ」は96艦戦の試作機である九試単戦の開発までで終わっている。零戦こそは太平洋戦争を代表する名機であって、その開発や実戦の戦果には数々の秘話があり、関連の映画や本が出ている。宮崎氏がそこまで話を進めなかったのはそこまですると戦争物になってしまうからだろう。日本やドイツでは戦争映画を作るのはその姿勢が問われることがある。アメリカ映画みたいに「アメリカ=正義」という訳にはいかない。かといって自国を悪役にはしにくいので、おおむね悲劇物にならざるを得ない。宮崎氏はそんな話を作りたいわけではない。宮崎氏は「単に美しいものにあこがれた男」を描きたかっただけである。堀越が設計した九試単戦は日本の航空機史上でも最も美しい機体であったという。実戦機ではないので可能であったデザインである。


堀越は東京帝国大学工学部航空学科を首席で卒業した秀才であった。就職した三菱でも傑出した設計者であった。しかし、航空機の生産にはその国の総合的な工業力がものをいう。彼の理想を実現するには日本の工業力の水準は欧米に比べまだまだ貧弱であった。堀越はありとあらゆる妥協をせざるを得なかった。宮崎氏はそこらへんを面白く図解している。(クリック拡大で詳細を読んで下さい)

(※モデル・グラフィクスより)

第二次大戦の各国の代表的戦闘機を見ると、イギリスのスピットファイア、ドイツのメッサーシュミットBf109、アメリカのP51のスタイリッシュなことに比べ、日本の戦闘機群のダサイ理由はその機首である。彼らが水冷エンジンによるとがったスマートな機首を持つのに対し、我が方はどれも空冷星型エンジンによる太い機首。太平洋の戦線では米軍機も空冷エンジンが主体であったが彼らのエンジンは大出力で速度、武装、装甲において大戦末期には彼我の差は大変大きくなった。日本陸軍にもドイツのダイムラーベンツからライセンス生産した水冷エンジンを積んだ3式戦「飛燕」があったが、エンジン生産・整備いずれも手こずり大量配備はできなかった。空冷エンジンにしたって大戦以前にアメリカから技術導入したものが原型となったいた。

下:メッサーシュミットBf109と零戦。零戦にも水冷エンジンを与えればかなりカッコ良くなるはず。Bf109ha最終型では時速700kmに達したが零戦は600kmにも達することはなかった。


下:ダイムラーベンツのBf109用水冷エンジン。34L、V型12気筒、約1000馬力、重量600kg。12気筒あるからクランクシャフトはそうとう複雑な形状。本来は鍛造だが日本では鍛造できず、削り出し加工したという。マシニングセンターのない時代にさぞ大変だったろう。


下:昭和10年、堀越設計の九試単戦が初飛行。曲線を多用したスマートな機体。これに水冷エンジンと引き込み脚を採用したら本当に完璧になる。そうならなかった理由は上の宮崎氏のマンガの中にある。

(※モデル・グラフィクスより)

宮崎氏は「CUT」でこう述べている。
「いや、これはたぶんオフレコにしなければいけないと思うんですけど、戦争の道具を作った人間の映画を作るんですけど、スタッフにも女房にも『なんでそんな映画を作るんだ?』って言われて、僕もそう思うんですけど(笑)。だけど、歴史の中で生きるということはそういうことだと思うんですよ。それが正しいとか正しくないじゃなくて、その人間がどういうふうに生きたかっていう意味ではね。その男はその時の日本の、もっとも才能があった男なんです。でも、ものすごく挫折した人間なんです。物造りを全うできなかったから、敗戦の中では、ずたずたになってったんですよ。でも僕は彼が『美しいものを作りたかった』ということをポツっと洩らしたということを聞いてね、『これだ!』と思ったんです。」
「なんでこんなものを作ったんだろうと思ったの。美しいものを作りたいという動機がないと、作れないもんですよ。兵器を作ってないんです、この男は。その動機が結果的に、美しいものを作ったけど、それが結果的に高性能の武器だったという。ある意味では悲劇の主人公なんですよ。』

下:大型のラジコンの模型で復元された九試単戦。Ju87 シュトゥーカやコルセアみたいな逆ガル翼が日本機には珍しい。


通常だったらこの手の映画は実写とCGの組み合わせだろう。原作監督が宮崎氏だからアニメになるだけ。しかし、そこはジブリならではの世界を見ることができるだろう。商業的には大変だろうが、宮崎氏は最後の作品として彼の生涯の趣味であるヒコーキとミリタリーテクノロジーをテーマとした作品を作ろうとしている。ファンとしては一度くらい彼のワガママを許さねば、と思う。

※2013年7月の実際の映画「風立ちぬ」レビューはコチラ

※後日、「風立ちぬ」を再論した。重複する部分もあるが参照して欲しい。 コチラ

宮崎氏の「紅の豚」「ポルコロッソ最後の出撃」に関するエントリはココ

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風立ちぬ--1

  • 2011/12/03(土) 00:35:57

旧聞に属する。なにせ「CUT」9月号を今頃読んだのだから。同号に宮崎駿と編集長の渋谷陽一との対談が載っていた。そのなかで宮崎氏が自身の次回作について述べていた。夏のNHK特番「ふたり」のなかで彼が絵コンテを描いていた作品である。夏には次回作は宮崎氏の自伝になる、という一部報道もあった。しかし宮崎氏が具体的に明らかにしているわけではないが、どうやら対談の感触では「風立ちぬ」が原作となるようである。零戦の設計者、堀越次郎の物語である。
ネット上で見るとすでにいくつも同じ話題があるようだが、あえて書く。

宮崎氏は数年前、プラモデルの雑誌「モデルグラフィックス」に同名のマンガを連載した。彼の作品は昔からこのマイナーな雑誌で公開されてきた。「雑想ノート」「飛行艇時代(紅の豚原作)」「泥まみれの虎」など。マンガというより絵入りのエッセイか解説本に近い。映画とは違った彼の魅力を味わえる。

下:宮崎氏は昔から自らをブタのキャラクターで描く。マンガの登場人物もブタ顔のことが多い。

(※モデル・グラフィクスより)

※このエントリから1年後の2012年12月にジブリによって「風立ちぬ」と「かぐや姫の物語」の同時公開が公表された。「風立ちぬ」のポスターは上のマンガの1カットが元になっている。(2012年12月13日記)


堀辰雄の「風立ちぬ」は有名な小説であるが、それと同じタイトルというのは訳がなくはない。実際にこのマンガには堀辰雄が登場する。高原のホテルやサナトリウムも登場する。私は堀越次郎の来歴に詳しくないのでこのマンガがどこまで事実でどこからが創作なのかまったくわからない。堀越が三菱で戦闘機の設計をしていたのは有名なことである。マンガではその細部が描かれるのであるが、ほとんどは宮崎氏の想像によるものだろう。さらに物語に色を添える女性と高原のホテルで出会い・・・・(ネタバレになるので以下略)というのはいささかドラマチックすぎるので創作だろうと思う。

「風立ちぬ」はまだ単行本化されていない。映画とのタイアップで出版される可能性がある。マイナーな雑誌連載なので一般にはあまり知られていないだろう。宮崎氏はCUT上で「関東大震災の大群衆シーンがあり、アニメーター泣かせの大変な作画になるが、それをこなすために一挙に40名の新人を採用した」と述べ、この作品でジブリが潰れてもいい、とまで言っている。「風立ちぬ」がそのまま映画化されてもマニアは大喜びだが、女子供にはとても受けそうにないので興行的にはどうだろうか。

堀越次郎は1903年生、宮崎氏は1941年生で関東大震災は1923年。関東大震災の時、堀越は20歳の青年。下の場面は堀越が大学生の頃の世相。クリック拡大して宮崎氏の細かな書き込みを読むととても面白い。宮崎氏はまだ生まれていない頃なのに彼の思い出話のようだ。左端のコマを見ると当時の日本の社会情勢は今となんだか似ている。


(※モデル・グラフィクスより)

堀越は零戦の設計で有名であるから、「風立ちぬ」も戦闘機の設計がテーマとなっている。設計であるから技術上の話が多い。そのままではとてもアニメーションになるとは思えない。さてこれをどう起承転結のあるエンターテインメントにするのか、楽しみである。次回エントリではそのヒコーキの話について書いてみたいと思う。

※2013年の実際の映画「風立ちぬ」レビューはコチラ

コチラにも後日の関連記事




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「ふたり・コクリコ坂・父と子の300日戦争〜宮崎駿×宮崎吾朗〜」

  • 2011/08/11(木) 01:02:06



9日放映のNHK「ふたり・コクリコ坂・父と子の300日戦争〜宮崎駿×宮崎吾朗〜」は大変面白かった。

NHKは「ポニョ」製作の時には荒川プロデューサーが携帯ビデオカメラを持ってかなりの長期取材を敢行した。その間に「ゲド戦記」の製作が平行し、この親子の葛藤の構図を見事にドキュメンタリーとして描いた。その結果は「ポニョはこうして生まれた。 ~宮崎駿の思考過程」として長時間DVDとしても販売されている。その後もジブリの長編製作にはNHKが張り付くようになった。
昨年夏の「アリエッティ」の折には若手の新人監督、米林宏昌の挑戦ということで興味深かった。

下:「アリエッティ」試写会での米林と宮崎。昨年は「新人監督との400日」だから今回より100日長い。つまりNHKは一年中ジブリスタジオに常駐しているっていうこと? 試写会で駿氏は映画のできに満足し、米林を温かくねぎらった。今回の試写会とはえらい違いだ。


しかし、今回の「ふたり〜」はとりわけ面白い。NHKはゲドの時にこの特別な親子の厳しい葛藤、はたから見れば面白い対立を軸に構成して成功しているので、今回も同様のスタンス。吾郎氏の生まれた頃から成長する過程の写真やエピソードも織り交ぜ、この親子の歴史をたどる。

駿氏は「ゲド」の折には吾郎氏と製作中顔も合わせなかったものであるが、今回はシナリオを書いているし、ずっと口を挟んだりしている。駿氏が永年温めてきた企画だし、自らのシナリオなのであれこれ口を出したくなるのは当然だ。製作の責任者である監督としてはいかに親子であれ、あまり愉快ではない。「ハウル」の時に当初監督をした細田守が中途で放り出したのもこのへんに原因がありそうだ。細田氏は自分の未熟を原因と語るが結局自尊心の問題だろう。細田氏に最後まで任せていたらハウルも意外ともっとうまくまとまったのかもしれない。貴重な駿氏の精力と時間をムダに費やしたかのような「ハウル」になってしまったと感じているのは私ばかりではないだろう。
吾郎氏は「手取り足取り教えてもらいながらやるほうがうまくいくのかもしれないが、それではダメなんですね。」と語る。絵コンテは決して父に見せない。「見ればあれこれ言いたくなるに決まっている。」と。

下:唯一駿氏が吾郎氏を息子らしく扱う場面。「はい、吾郎」とコンペイトウをあげる。くわえタバコの不良息子はふてくされてコンペイトウを口にする。


宮崎氏は息子を監督にしたくない理由について「私は野村監督や長島監督のようになりたくない」と言う。露骨だが全くそうだろうな。実力の世界は七光りだけでは成功しない。
駿氏は折々に吾郎氏の仕事を罵倒する。雇われのスタッフならご無理ごもっともと直ちに服従するほかない。しかし吾郎氏は負けない、めげない。アニメの神様にまっこうから逆らえる吾郎氏の根性はやはりただものではない。しかしそれもやはり肉親同士だから可能という面もある。でも吾郎氏に甘えはない。これが失敗したらスタジオを去る決意をしている。

下:「失敗したら続ける気はない」と語る吾郎氏。吾郎氏は親に似ず大変なイケメン。進む道を間違っていたかというほど。


去年の夏ごろ、絵コンテは進展しつつあるがまだ製作が本格化していないころ、吾郎版「コクリコ坂」は早くも暗礁に乗り上げ、前途は危うい。駿氏は「いざとなったらオレがやる」とまで鈴木プロデューサーに持ちかける。かなりその気だったようだ。「ハウル」の時のパターンである。

その後、絵コンテの練り直しを経て鈴木氏はこれなら行けそうだと判断し、9月に実製作に突入。それを我々はヘェと聞き流すが、鈴木氏のこの決断も大変重いことが見る者に伝わる。この決断で一挙に直接従事する数百名が長期拘束され、一年後の公開にむけあらゆる関係者、関係業界が映画の完成と成功を信じて動き出す。大変な重圧である。

そして3月11日の地震。公開を4ヵ月後に控え、遅れ気味の製作は最高潮の時。会社では通勤や停電、余震を考慮し3日間の休業を打ち出す。しかしそれを聞いた駿氏は烈火のごとく怒る。「生産点を放棄するな!少々揺れたって仕事はできる。こんな時こそ我々が神話にならなければならないんだ。公開日は死守する。絶対に生産点を離れてはダメだ。」
会議の席上、安全策の方針を決めた星野社長、鈴木プロデューサーは傍らで聞いているがカタナシで声もない。ツルの一声は絶大である。「生産点」という今や懐かしい階級闘争用語がプロフェショナルの気魄を示す。今の日本に必要なのはこのような「極端な安全第一主義」「ことなかれ」を排する断固たる決意。ちょうど同じ頃、首相官邸では管首相も同様に怒鳴り散らしていたというが、神話とはならなかったようだ。

NHKの今回の「ふたり」が面白いのは、結果として「コクリコ坂」が成功したからである。だからこのドキュメンタリーを私も安心してみることができた。製作当初の吾郎氏の苦闘が最後には報われるのである。興行的には大成功かどうかまだ結論は出ていないが、作品的には成功したことはハッキリしている。

結局、駿氏が乗り出すのでなく、吾郎氏に委ねてよかったようだ。駿氏はおよそのシナリオがあっても絵コンテで終盤迷いが生じ、迷路にはまることがままある。我々素人は「なんで絵コンテが満足いくように完成してから製作に入らないんだ?」と毎度疑問に思うのであるが、それではダメだそうだ。作りながら考えないと生きた展開にならないとか。そう、実写映画でもパーフェクトなシナリオがあれば自動的に傑作映画ができるいう保障はまったくないのである。世には名作小説を原作にした駄作映画であふれている。実写では撮影現場で試行錯誤ができるが、アニメではそうはいかないから絵コンテが映画のできを決める。既述のように吾郎氏の絵コンテは絵を見る限りでも素晴らしい画力である。画風もなんだか親にも似てきた。

下:吾郎氏が鴨長明をテーマにアニメ化を模索していた頃のイメージボード。

下:吾郎氏は絵コンテではまず薄い水色の色鉛筆でラフを描き、黒の鉛筆で最終ラインを決めている。キャラクターを何万枚も描いて来たプロのアニメーターとは違うところであるが、人物はどの角度、ポーズでもしっかりしている。


「ゲド戦記」の試写会では駿氏は途中退席した。いたたまれなかったのだろう。彼はひとこと、「オレは、自分の子供を見てたよ」、と言い捨てた。この途中退席は映画公開以前から知られており、ゲドのできを示唆する出来事としてジブリファンの間では話題になった。今回、試写会の暗闇の中、NHKのカメラは駿氏の顔を高感度カメラで追う。闇の中キラリと光る涙の一筋を狙っていたようだが、それはなし。NHKはポニョの時には駿氏が仕事をしながら聴く久石譲のイメージアルバム中の曲、麻衣(久石の娘)の歌う「ひまわり園のロンド」に思わず涙した瞬間をうまく捕らえたものだ。しかし今回は彼はともかく途中退席することはなかった。

「ふたり〜」のラストシーンは実に見事。エンディングロールが流れ始める中、あらかじめ二人にセリフを割り振っていたかのように----
試写会会場からの帰り道、感想を聞かれた駿氏は「あのねぇ、少しは脅かせ、こっちを。それだけです」と憎まれ口を言う。それをNHKから伝え聞いた吾郎氏は「クソォ、死ぬなよ!」と応ずる。でも二人とも顔は笑っている。気持ちのいいエンディングはコクリコ坂のようであった。1時間15分をドンピシャと締めた。秀逸。

下:「クソォ! 死ぬなよ!」の場面。テロップも入れて欲しかった。


どんな駄作映画でもそのメイキングは面白いという。我々は黒澤映画や寅さんの製作の裏話や秘話を聞いて面白がる。先日はNHK・BS番組「ハリウッド100年 ローマの休日 脚本家ダルトン・トランボと赤狩り 」で「ローマの休日」ができた裏話を聞いたが大変面白かった。もちろん傑作のメイキングであればなおさら興味深い。今回のNHK「ふたり〜」は歴代のNHKジブリ密着物の中でも最高のでき。主演がイケメンだとそれだけでも絵になる。

※「コクリコ坂から」の感想や詳細は過去エントリ
他にも 劇中歌背景と美術原作との比較

下:吾郎氏描くイメージボード。コクリコ荘台所。

下:吾郎氏描くカルチェラタン。描線がなんだか父親に似てきた、と思うのは私だけ?(クリック拡大)


下:熊本県立美術館で開催中のジブリレイアウト展で配布される「レイアウトの概要説明チラシ」は吾郎氏が絵と文を書いている。軽妙な絵とわかりやすい説明。なかなか上手。まぁ、40過ぎのれっきとしたプロにほめ言葉は失礼か。(クリック拡大、さらにクリックで詳細が見れます)


※宮崎駿氏の次回作についての記事はコチラ

下:「コクリコ坂」の概要と製作舞台裏が両方コンパクトにビジュアルに見れるのがロマンアルバム。「絵コンテ」からは宮崎吾郎の苦闘が読み取れる。



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おどまぼんぎりぼんぎり--その2

  • 2011/08/09(火) 14:18:44


上:スタジオジブリ 高畑勲監督

先日NHKの終戦関連番組「闇に横たわる兵士は語る 小早川秋聲 “國之楯”」を見た。日本画家の小早川が戦時中に従軍画家として働き描いた作品をめぐるレポートである。絵のインパクトの強さが印象的で子供なら怖がって泣きそうだ。デジャブのようにこの雰囲気はどこかで見た、と思ったら「20世紀少年」のトモダチだった。

このレポーターを高畑氏が務めていた。高畑氏は鳥獣戯画関連でもNHKに顔を出したことがある。元来が学のある方だからアニメに限らず美術・文学なんでも評論はこなせるはずである。

高畑氏は76歳と高齢であるが、見た目は結構若い。まだアニメーション製作の情熱は衰えてはいない。いまは「竹取物語」をモチーフにした作品を構想中とか制作中とか伝えられて久しいが、実現するかどうかは不明。世界中のファンがあてにしないで待っているところである。

実は高畑氏は数年前には子守唄をモチーフにした作品を企画中と伝えられたことがある。ジブリのプロデューサー鈴木敏夫氏が自分のラジオ番組中で明らかにしたのであるが、結局立ち消えになったようだ。
今年85歳で無くなった日本テレビのドン氏家斎一郎氏はジブリの最大のスポンサーであり、高畑氏の大ファンであった。「死ぬ前にもう一度高畑作品を見たい」と言っておられたそうだが実現しなかった。氏家氏と鈴木氏と高畑氏が同席した折この企画のことを言うと氏家氏は五木の子守唄を1番から最後までフルコーラスを朗々と歌ったという。氏家氏も1953年の大ヒット時に覚えたのだろう。

確かに五木の子守唄には絵になる情景とドラマがひそんでいる。これが「島原の子守唄」となるとさらにそうだ。ただし島原の場合には宮崎康平の創作である。
高畑氏がアニメの企画として構想したくなるのもよくわかる。ぜひ見てみたくもなる。しかし、興行として考えるときびしいようだ。ジブリ映画は通常夏休み公開で家族連れを大量動員することを狙う。「五木の子守唄」が家族そろって楽しめる娯楽作品になれるんだろうか? どうみても貧乏たらしい悲劇にしかならない。そんなところが失速の原因ではないか。

※どうやら高畑氏の次回作の製作は本格化したようである。11月のジブリオフィシャルサイトの募集欄で高畑作品の製作要員を募集していた。

下:わりとオリジナルに近いと思われる「五木の子守唄」。この歌詞では「かんじん」は放浪の巡礼のようにも聞こえる。


雑誌「CUT」の対談で宮崎氏が次回作についてほのめかしている。8月9日NHK放送の「ふたり・コクリコ坂・父と子の300日戦争〜宮崎駿×宮崎吾朗〜」によれば宮崎氏はすでに絵コンテを書き始めていた。そこそこ構想は固まったのだろう。
※宮崎駿氏の次回作「風立ちぬ」についてはコチラ


下:織田観潮画、講談社絵本「かぐや姫」より。

送信者 竹取物語--Taketori-monogatari


送信者 竹取物語--Taketori-monogatari


下左:MP3プレーヤー。トランセンドは台湾メーカーだが、わけのわからん会社ではない。この商品はこのジャンルでは最も安いがしっかりしたつくりで信頼できるし、直接USB穴に差し込め、D&Dだけでファイル転送できてとても使いやすい。とても小さいので携帯には便利だがなくしやすいかも。弱点は液晶表示が小さいので中高年にはややきびしいか。

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コクリコ坂から  原作マンガ

  • 2011/07/29(金) 14:23:08


上:KDDIのCMより。コクリコ荘のイメージか?

JR石川町近くのイタリア山公園にある外交官の家である。入場無料。
横浜
横浜 posted by (C)オトジマ

既述のように「コクリコ坂から」は「なかよし」に連載された少女マンガである。映画とタイアップで映画公開直前に発行された角川文庫版を買ってきて読んでみた。
普段は少女マンガどころか少年マンガも読まないのであるが、キラキラのおメメや突如主人公を取り巻く花々を辛抱しながらなんとか最後まで読み通した。結論的にはこのマンガと映画は全くの別物。読まなくても全然損はない。



※原作と映画の設定の大きな相違。
原作は1980年代。コクリコ荘の住人北斗は男で海があこがれる人。母は写真家で風間の家は写真店。学園紛争の争点は制服自由化。父の死は朝鮮戦争と無関係。芸者の金太という重要な脇役がいる。マンガは学園ラブコメ風であるがそのコメの部分は映画ではすべてカット。結果、映画に残ったのはコクリコ荘と主要登場人物、異母兄妹の恋愛などの基本設定だけ。


下:マンガの「コクリコ坂から」より(クリック拡大)

下左:海が毎朝揚げるのは信号旗でなく国旗。ただし日の丸じゃないよ。なぜか英米の旗。(クリック拡大)
下右:北斗は原作ではイケメン男。海があこがれる人。

下左:原作の祖母は軽くてコミカル。祖父もいる。
下右:ベッド上の海はリッチ感があって全然貧乏たらしくない。

吾郎氏談。---映画では海は板の間で、制服のスカートを寝押しして地味な柄のせんべい布団に寝ている。製作中にそれを見た駿氏が「海ちゃんがそんな貧乏たらしいフトンに寝るか!白いフトンカバーのかかったフワフワの布団だろ!」と文句を言ったとか。時代設定は吾郎氏が生まれる以前だから時代感覚がつかめない吾郎氏は年配者たちに聞いて回ったそうだ。海と同世代のプロデューサーの鈴木氏は貧しい家庭ではなかったが「当時はフトンカバーなんてなかった」というので原案どうりにしたという。私も吾郎氏の案に賛成。



「コクリコ坂から」は1980年1月から8月まで連載だから、長期連載ではない。宮崎駿氏は「不発に終わった作品である(その意味で「耳をすませば」に似ている)」と言っている。「耳をすませば」は1989年に「りぼん」に連載だから、コクリコの方が9年早い。

あちこちで語られていることだが------1980年代はじめ、駿氏がジブリの設立以前のヒマな頃、八ヶ岳にあった宮崎家の山荘(宮崎氏が建てた物ではなく夫人の実家の物)で夏休みを過ごした。なんにもない山荘に転がっていたのは宮崎氏の姪たちがもってきた「なかよし」などの雑誌しかなく、駿氏はやむなくヒマつぶしにそれを読んで過ごしたという。そのなかに「コクリコ坂」あった。そのころ吾郎氏は中学生くらいでその同じ本をその山荘で夏休みごとに何度も読んだというから、父子で同時期に同じマンガを読んでいるわけだ。ごまんとある少女マンガのなかで「コクリコ坂」が栄えあるジブリ作品の原作となれたのはたまさかの幸運であったようだ。いかに児童文学に造詣の深い駿氏と言えども世にあふれるボーダイなマンガのすべてに目を通してアニメ化を検討する、というのは不可能。

下:岩波少年文庫の50冊。岩波が配布する小冊子。宮崎氏が薦める50冊が彼の簡単な解説で紹介される。彼はこの小冊子のために読み直しを含め3ヶ月がかりで読破したそうである。彼に薦められれば読みたくはなるが、少年文庫とはいえ読むのは結構ホネが折れるものである。



ジブリ作品に取り上げられると、どんな無名の人でも名声と富が同時に舞い込む。アリエッティの音楽のセシル・コルベル、もののけ姫の米良美一、千と千尋の木村弓など。ほとんどはそのときだけの消耗品であるマンガもジブリ作品になると永遠の命を持つ。刀根夕子「おもひでぽろぽろ」、柊あおいの「耳をすませば」、そして今回の高橋千鶴の「コクリコ坂から」もそうなるだろう。

「コクリコ坂」については宮崎氏はその弱点を縷々述べている。(ココを参照)だから駿氏はシナリオ化にあたってムチャクチャに改変している。現在販売されている1冊本では300ページ以上あるから結構長い話であるが、ありとあらゆる大ネタ、小ネタをそぎ落とし、設定も時代も変えてしまい、あまり原型を留めていない。このマンガからあの映画ができるというのが奇跡のようである。

はたしてそこまで原作をないがしろにして原作が必要なの?とも思えるが、やっぱりあんなに創造力のある人でも他人の発想からインスパイアされることが必要なのだろう。ジブリ作品では海外の名作児童文学を原作にした「ハウル」「ゲド」「アリエッティ」よりも日本の名もないマンガが原作の「おもひでぽろぽろ」「耳をすませば」の方が海外で評価が高い。「コクリコ」もその系列に名を連ねる可能性がある。
※後日、当ブログの「紺色のうねりが」のエントリを読んだあるタイ人からメールを頂いたが彼は感動して数度映画館に足を運んだという。つまり外国人のメンタリティにも訴求する力があるということだろう。

とりわけ「耳をすませば」にはいまだに熱狂的なファンが多い。これは絵コンテを宮崎駿が描き、ジブリきってのベテランアニメーターであった近藤喜文が監督した作品である。ジブリファンでもこの作品をモストフェイバリッツとするファンは多い。今やジブリ作品のファンも高齢化しつつあり、子供のファンが少ないが、この作品は今の中学生にも好まれている。私もこの作品は奇跡的な完成度を持つ作品だと思う。「コクリコ坂から」は佳品ではあるが、この作品には及ばないと思う。

下:中盤のクライマックス、雫が歌う場面。涙が出るくらいの名場面である。この場面を担当したアニメーターはこの二分半に1年かかったという。歌が効果的に使われ感動を呼ぶというのも「コクリコ」に共通している。


下:「耳をすませば」原作マンガ。海外ファンが翻訳したもの。「コクリコ」と違い、この作品はかなり原作に忠実に映画化されている。
左:図書カードの天沢聖司に気づく場面もほとんど映画と同じ。右:エンディングの丘の上から朝日を眺める場面もほぼ同じ。(クリック拡大で詳細が読める。さらにクリック)

これを翻訳している人物はシンガポールの青年である。海外のジブリファンの中では結構有名人物。詳しくは彼の運営するサイトで見て欲しい。いかに「耳をすませば」に入れ込んでいるかが伺える。彼は「耳をすませば」を翻訳したくて日本語を勉強したのである。
ここから「耳をすませば」のシノプシスやマンガのスキャンを手に入れて英語の勉強に役立てるといい。高校生の夏休みの英文長文読解の勉強には最適では?

ナウシカネットには英語版の全ジブリ作品の粗筋があるので興味ある方は読んでみることをお薦めする。ストーリーはあらかじめ知っているので読むのにそう困難はない。ニューヨークタイムスを読むのはなかなか骨が折れるものだが、このくらいの英語なら高校生レベルの力でスイスイ読める。


※「コクリコ坂から」の感想はココ
※挿入歌、「紺色のうねりが」関連はココ
※美術・背景についてはココ
※宮崎駿氏の次回作についてはコチラ



下:宮崎駿氏はイギリス児童文学に造詣が深い。とくにウェストールはお気に入り。「ブラッカムの爆撃機」には宮崎氏による物語の解説がオリジナルのマンガで挿入されている。実はこの本の価値はウェストールの原作よりも、宮崎氏の20ページほどのカラーマンガにある。児童文学好きの方よりも、ヒコーキ好き、戦記物好きの人なら買って損はない。

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コクリコ坂から  カルチェラタン

  • 2011/07/27(水) 01:16:48

前回エントリ「紺色のうねりが」の続き。

コクリコ坂の話の展開のキーは港南高校にある学生会館「カルチェラタン」の存続をめぐる問題である。(※カルチェラタンとはパリにある学生街。学園紛争時には神田カルチェラタンなんてのもあって、解放区みたいな語感が含まれる。関連記事はコチラ

高度経済成長期にはありとあらゆる古い建物が壊されコンクリートや安っぽい新建材の建築ばかりになってしまった。今でもそれは継続している。私の生家は明治時代の古い木造であったが壊してしまいプレハブの縫製工場になってしまった。
古い建物や町並みを頑固に保全するヨーロッパとの違いは、彼の地の建築が石造りであるが日本家屋が木造というのもあるだろうが、日本は人口に対し絶対的に平地が狭いので古い建物の存続を許さないのである。

下:カルチェラタンは3階建てくらいの古い木造洋館である。
左は宮崎吾郎氏描くイメージボード 右は実際の背景画


内部がきわめて印象的で、その魔窟的な不気味さがひとつの見せ場になっている。
下:パンフレットから(クリックで拡大)


高い吹き抜けホールの周囲に階段や手すりの回廊がある。
これはどこかで見た設定である。

まずは最も古いものから。
右の図は城の内部で吹き抜けの中空に橋が架かっている。吹き抜けの周囲には欄干のある回廊が見える。(クリック拡大)

これは1980年に宮崎駿氏が描いた「もののけ姫」のストーリーボードでのちには「もののけ姫」という絵本としても出版された本の絵である。
城の外観がまがまがしく、いかにも悪鬼が住んでいそうである。昔、この絵本を読んだときこの城の絵を見ただけでワクワクした記憶がある。ストーリーも面白そうで映画化をおおいに期待した。
ココで読むことができる。ただしフランス語。絵だけでも楽しめる。HTLMをクリック。

ところが実際映画製作に取り掛かると、宮崎氏はこの案を早い段階でいさぎよく捨ててしまう。企画段階で公開された1992年のディズニー映画「美女と野獣」と話がかぶる部分があるのが原因だと思われる。結局、絵本とはタイトルこそ同じだが、お話は全く異なる1997年公開の映画版「もののけ姫」ができた。映画そのものは大ヒットしたが、当時私は絵本版を期待していただけに大変失望したものだ。改変された「もののけ姫」は興行的には大成功したが、作品的には私はあまり評価しない。

しかし、城の内部の設定はその次の作品「千と千尋の神隠し」に生かされた。湯婆々の経営する銭湯「油屋」の内部は絵本番「もののけ姫」のアイデアがふんだんに取り入れられている。
下右:「油屋」内部を地下から見上げたところ

下:「油屋」内部、上階からの俯瞰


下:吹き抜けと回廊、中空の橋、という設定は「ラピュタ」でも見られる。


ともかく宮崎駿氏は30年も昔から大きな高い吹き抜けを持つ魔窟じみた建築に執着していることがうかがえるのである。目黒雅叙園がモデルともいわれる。ジブリ美術館も大きな吹き抜けがある。コクリコでは再びこんな建物を描きたくての企画か、とも思われる。
ちなみに、原作の少女マンガ「コクリコ坂から」では学校で持ち上がる問題は古い建物の保全問題ではなくて制服自由化問題である。カルチェラタンなど出てこない。なるほどそれではジブリ背景陣の見せ場がない。

下:油屋のイメージボード。外観もカルチェラタンに似ている。
10年前の「千と千尋の神隠し」の「ジ・アートオブジブリ」を見るとその背景画の密度の濃さに圧倒される。あの作品では我々がどこかで見た懐かしい光景に仮託したとんでもない異世界を背景陣の力業で現出させたものであった。



下:カルチェラタンの部室でガリを切る海とガリ版印刷する俊。私も小中学生まではこんな作業をしていた。高校ではファックス製版機に移行していた。


映画の「コクリコ坂」の背景はいつもジブリ作品がそうであるように素晴らしい。もうもうたるケムリの重工業地帯であれ、小汚い木造住宅のならぶ運河沿いの下町だって情感横溢で密度が濃い。
ところが、キネマ旬報の対談で宮崎吾郎氏によれば、昨年の「仮ぐらしのアリエッティ」から休むまもなく制作が続行したので背景陣も疲労がはなはだしく、さらには絵コンテの遅れ、製作期間の短さなどで、かなりの手抜きたらざるを得なかったとか。手抜きは背景のみならず作画、動画にもおよんだ。たとえば作画枚数17万枚の「ポニョ」ではキャラクターが静止する場面はほとんどないが、作画枚数約7万枚の「コクリコ」では1カットの秒数が短くなり、止め絵と呼ばれる動かない場面が多くなってしまったとか。ただし、怪我の功名でそれがテンポアップにつながり、切れ味がよい作品となったともいう。まぁ。我々素人が見ている分にはさほど手抜き感はわからない。海が屋内を歩く様がぎこちなく感じるくらい。

背景画集の「ジ・アートオブコクリコ坂から」(The Art of From Up On Poppy Hill)がamazonから届いたので見てみた。それを見る限りは素晴らしい背景画ばかりである。意外なのは吾郎氏の絵の達者さである。彼の描くイメージボードが風景、屋内、人物とりまぜて多数収録されている。さすがにプロの絵である。中年になってからこの道に入ったとは思えない。おそらく子供のころから絵心があったに違いない。

下:吾郎氏描く横浜港

下:昔懐かしいオート三輪「くろがね」のブランドを覚えている人は年寄り。吾郎氏描くイメージボード



アニメの監督は必ずしも絵が描ける必要はないらしい。大物でも高畑勲氏はまったく描かず、押井守氏も演出意図を伝達するに足りるレベル位のもので絵描きの絵ではない。しかし、監督の意図をスタッフに伝えるためには絵は描けるに越したことはない。実は彼が絵が描けることは前作の「ゲド戦記」の絵コンテでも垣間見せていたし、数年前の堀田善衛関連企画の折にも感心したことがある。
下:吾郎氏描く京の町。藤原定家『明月記』のアニメ化を探ったころのイメージボード。

下:吾郎氏。平安末期ともなると遷都400年の間に京都は鬱蒼たる樹木に覆われて、薄暗い物騒なところになったという仮説。これはその部分である。全体を見るとイマジネーション豊かなプロの絵である。


画力と演出力は比例するわけではないが、画力はそこそこの天性と意識的な努力がないとここまでには達しないもの。吾郎氏が偉大な親の七光りだけでそのポジションに留まっていられる訳ではないことを示すものである。前作では吾郎氏の起用そのものに反対し、製作中は息子と顔を合わせることも無く徹底的に突き放していた駿氏が今回はシナリオを書きバックアップを怠らなかったのも息子の能力を見限るどころかかなり評価していたからではないだろうか。
8月9日にNHKが「ふたり・コクリコ坂・父と子の300日戦争〜宮崎駿×宮崎吾朗〜」というドキュメンタリーを放映するのでその内幕が明らかになる。楽しみだ。
このドキュメンタリーについての感想を後日のエントリーに記したので参照。

下:ちなみに吾郎氏の弟の宮崎啓介はプロの版画家。彼の木口木版画は「耳をすませば」で登場している。どうやら画力は遺伝するようだ。


※DTI閉鎖にともない、ブログ移転してます。以下にどうぞ。FC2の「一歩 日豊 散歩」








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