三島公園・末廣神社

  • 2013/10/01(火) 01:26:30

豊後森の古い街並の北のはずれに三島公園と末廣神社がある。
三島公園は元来は藩主御殿のある森陣屋と呼ばれた場所。

手前の池は「旧久留島氏庭園」大きな石碑は「童話碑」。背景の山は大岩扇山。
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P9229108 posted by (C)オトジマ

旧久留島氏庭園。昔のお殿様の庭。
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P9229105 posted by (C)オトジマ

庭園から山の斜面を登っていく道がある。
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P9229112 posted by (C)オトジマ

登りきったところに栖鳳楼(せいほうろう)がある。これは1832年に8代藩主通嘉(みちひろ)によって建てられた茶屋である。10年ほど前に保存修理工事がなされている。ここからは九重連山や城下が見下ろせるので、実質天守閣的な機能があったとか。
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P9229116 posted by (C)オトジマ

森の町を見下ろす
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P9229163 posted by (C)オトジマ

石を多数配した庭園がある。
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P9229117 posted by (C)オトジマ

こんなに大きな石臼も埋められている。とても人力では回せないくらい重いはず。大宰府の観世音寺の碾磑 ( てんがい )なみ。
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P9229118 posted by (C)オトジマ

栖鳳楼から一段あがると、広い境内の末廣神社がある。
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P9229127 posted by (C)オトジマ

藩主が建てた神社だからとても立派。
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P9229147 posted by (C)オトジマ

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P9229148 posted by (C)オトジマ

文政十二年銘の狛犬。1829だから約200年前。
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P9229162e posted by (C)オトジマ

ここにも砲弾が奉納されている。奉納年が読みづらいが、昭和29年5月、重量207kgとある。奉納砲弾は通常日露戦争が多いものだが、敗戦後9年もたっての奉納ってありうる?敗戦記念か?
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P9229155e posted by (C)オトジマ

拝殿内にある随身。
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P9229145e posted by (C)オトジマ

神社拝殿を見ると必ず絵馬や三十六歌仙がないかチェックするくせがある。ここには素晴らしい三十六歌仙がある。レリーフである。
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P9229136 posted by (C)オトジマ
右:伊勢:三輪の山いかにまち見む年ふともたづぬる人もあらじとおもへば
左:紀貫之:桜ちるこのした風は寒からでそらにしられぬ雪ぞふりける

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P9229143 posted by (C)オトジマ
右:凡河内躬恒:いづくとも春の光は分かなくにまだみ吉野の山は雪降る
左:柿本人麿:ほのぼのと明石の浦の朝ぎりに島がくれ行く舟をしぞ思ふ・・・・・だと思う・・・達筆すぎる・・・

などなど・・ おそらく江戸時代の流行だから墨が消えかかっている。貴重な文化遺産だが、ここにあらばこそ、だろう。

他にも多数。当然36人分揃ってるが以下略。
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P9229138 posted by (C)オトジマ

立派な板絵も奉納されている。残念ながら歌舞伎や古典に造詣がないので何の絵やら判別しがたい。
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P9229144 posted by (C)オトジマ


実はこの神社がいわくのある神社なのである。

ウィキペディアによれば----

慶長6年(1601年)、来島長親によって玖珠郡などを所領とする豊後森藩が立藩された。来島氏はその格式のため城を持つことが許されなかったため、長親はそれまで玖珠の拠点とされてきた角牟礼城を廃して、角埋山の山麓に陣屋を置いた。
陣屋の敷地内には、来島氏の故地である伊予大三島の大山祇神社の祭神を勧請して三島神社(末広神社)が造営されていたが、天保8年(1837年)、第8代藩主の久留島通嘉が、三島神社の改築を口実として、石垣や茶屋の「栖鳳楼」(せいほうろう)を増築するとともに、藩主御殿庭園、栖鳳楼庭園、清水御門庭園を造らせ、城構えのように整えた。
-----

城持ち大名ではなかった久留島が神社建立にかこつけて実質的な城を作った。ということ。実際、神社の周囲は堅固な石垣に囲まれていて、予備知識がなかったら城と思い込む人も多いだろう。

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P9229170 posted by (C)オトジマ

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P9229165 posted by (C)オトジマ

以前のポストでNHK時代劇ドラマ「酔いどれ小藤次」について記した。---コチラを参照---



ドラマの原作となったのは佐伯泰英の「酔いどれ小藤次留書」シリーズ。以前のポストから引用する---

「酔いどれ小藤次留書」第1話「御鑓(おやり)拝借」は物語の発端である。この巻ではわずか1万2000石の小名、久留島氏が城無し大名だったことが物語の重要な鍵となっている。江戸城中で西国の諸侯、森藩久留島、赤穂藩森、丸亀藩京極、肥前小城藩鍋島、臼杵藩稲葉の各大名が同席したおり、稲葉雍通(てるみち)は久留島通嘉が城を持たぬことを愚弄し、他の3人も同調した。久留島通嘉はその恥辱を忍んだが、ある機会に本来目通りかなわぬはずの最末端下士・厩番の赤目小藤次にふと洩らす。後日、小藤次は離藩し秘かに藩主の無念を雪ぐべくたった一人で四藩を敵に回し報復を画する・・・・

この物語に出てくる藩主・久留島通嘉は上の栖鳳楼を建てたり、石垣を作った人物。彼の代には苛斂誅求に対して大規模な百姓の逃散が起こっており、評判は悪かったとか。もちろん物語はフィクションであるが、この本を読んだ時から、一度ここを訪ねてみたかったので念願がかなった。

玖珠町も由来がピンと来ない「童話の里」よりも「酔いどれ小藤次の里」で売り出した方が観光客が来るんではないか?久留島記念館の係員の方も「是非、竹中直人に来て欲しい」と言っておられた。彼はNHKドラマ中で森藩ではなく「九重藩」となっていたことに対し、「事実と異なる」とNHKに抗議の電話をしたそうだ。NHKは「まぁ、フィクションですから」と軽くいなしたとか。実は森には赤目という姓は全くないそうだ。ついでに久留島姓もいないとか。藩主一族が皆東京に転居したからだろう。

本を読んで、若き藩主久留島通嘉に親近感が湧いたので、菩提寺の安楽寺にも行ってみた。
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P9229121e posted by (C)オトジマ

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P9229124e posted by (C)オトジマ

本堂の裏に歴代藩主の墓所がある。殿様たちの墓は意外と小さく質素で民間人の墓石と異ならない。貧乏な藩だったんだなぁ。貧乏のあまり、参勤交代を出来なかった年も幾度かあったという。
1万2000石じゃーねぇ。
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P9229126e posted by (C)オトジマ

これが8代久留島通嘉の墓石。
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P9229128e posted by (C)オトジマ


●お知らせ●
3年間愛用してきたこのDTIブログが突然閉鎖されることになりました。利用者にしてみればジェジェジェ!!!、と晴天の霹靂。アメリカ資本のサイトだからかクールに前触れもなく12月で閉鎖です。
おかげさまでこの間15万ほどのユニークアクセスをいただきました。DTIブログ内のランキングでは10位台にいました。まぁ、国内ではマイナーなブログサービスだからでしょうが。アクセス解析が便利で使いやすいサイトだったので残念です。

ということで、F2Cブログに引越します。当分両サイトに並行して同じブログ名で同じ記事を書きますが、もしブックマークに登録されている方はコチラに切り替えていただけたらと思います。今後ともよろしくご愛読お願いします。

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日知屋城 鵜戸神社

  • 2013/09/20(金) 11:53:07

日知屋城を散策した。この城については過去記事がコチラにあるので、城については書かない。

いい天気で日向灘がキレイ。
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P9188961 posted by (C)オトジマ

伊勢ヶ浜海水浴場は海水浴客は消え、サーファーの天下となっている。駐車場には大阪ナンバーが数台止まっていた。
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P9188957 posted by (C)オトジマ

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P9188964 posted by (C)オトジマ

柱状節理の岩。東尋坊になりそこね。
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P9188963 posted by (C)オトジマ

お倉ヶ浜方面。中央の小島がトドロバエ。戦中に富高海軍飛行場があった頃には、あの岩礁が爆撃訓練の標的になっていたとか。
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P9188965 posted by (C)オトジマ

岬の大御神社近くに、境内社となる鵜戸神社がある。この小さな入り江の奥の海蝕洞である。
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P9188979 posted by (C)オトジマ

絶壁に通路が整備されている
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P9188980 posted by (C)オトジマ


大きな海蝕洞である
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P9188969 posted by (C)オトジマ

最奥に祠
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P9188972 posted by (C)オトジマ

祠から外を見るとこう。昇り竜が見えるというが・・・?
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P9188973 posted by (C)オトジマ

立ち位置を変えてみると・・・これが竜かな?
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P9188976 posted by (C)オトジマ

由来はコチラで
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P9188982 posted by (C)オトジマ/a


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川の口神社の大ケヤキ

  • 2013/08/11(日) 00:57:01

諸塚村川の口出身の妻と結婚して30ウン年経ち、川の口には度々里帰りしているが、集落の産土の神、川の口神社に参ったことがなかったので、この度墓参ついでに寄ってみた。

神社のある公民館から集落を見下ろす。集落は谷底ではなく、山の中腹にある。標高500mほど。
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P8088557 posted by (C)オトジマ

神社の森
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P8088585 posted by (C)オトジマ

神社には巨大なケヤキがあって集落のどこからでも見える。
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P8088558 posted by (C)オトジマ

推定樹齢400年とか。例によって写真ではスケール感が伝わらない。トトロが住んでいそうだ。
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P8088559 posted by (C)オトジマ

これは根元。
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P8088584 posted by (C)オトジマ

杉の巨木もある。他にもいろいろ巨木が残っていて、巨木が神社の格を示すとするなら、この神社は貫禄十分である。
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P8088561 posted by (C)オトジマ

拝殿手前の巨石もご神体である。その岩の上にも木が生えている。
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P8088572 posted by (C)オトジマ

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P8088575 posted by (C)オトジマ

緑が美しいモミジに数枚赤い葉が・・・
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P8088560 posted by (C)オトジマ

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P8088569 posted by (C)オトジマ

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P8088578 posted by (C)オトジマ

稲荷社もある
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P8088574 posted by (C)オトジマ

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青島

  • 2013/06/23(日) 23:40:51

青島は昔は宮崎観光の中心スポットであったが、現在はどうなんだろう。参道入り口近辺の土産物屋街をみるとうらびれた感を強くする。潰れたり閉鎖されたホテルや施設が目立つ。

だいたい我が家で家族ドライブで青島に行った事がない。子ども達は大人になって初めて友人と訪れた、と言っていた。妻にいたっては生まれて60年一度も行ったことがないとか。私もこの30年間にディズニーランドには4回行っているのに青島には一度も行ってない。県民といえども青島は東京ディズニーランドよりも遠いのである。というところでいって見た。

トゥクトゥクタクシーが走ってくる。タイのタクシーのまね。特に料金はなく、チップ制だとか。閑散期の平日というのにずっと行き来しているところを見ると結構商売になっている様子。実はかなり儲かっているんじゃないかな。片道400mくらいだが4人で乗ったらチップ1000円くらいは皆さんはずむんじゃないだろうか。コチラにフェイスブックのページ。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

おなじみの波状岩、鬼の洗たく板。大量のミナを獲っている人を見かけた。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

青島神社から海のほうを見る。青島神社はすべてが土産物店になっている。土産物といっても御籤やお守りのたぐい。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

ビロー樹林内にある元宮。摂社である。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

柱におびただしい数の5円玉や50円玉がビニル紐に通してくくりつけられている。5円はまだしも50円玉は1000枚で5万円になるから結構なお賽銭になるだろう。さらに・・・・
青島
青島 posted by (C)オトジマ

そのビニル紐は有料で100円もするのである。色により祈願内容が分かれる。なかなか商売上手な神社である。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

願掛け用に投げるホタテも売っている。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

元宮への参道には絵馬のトンネルが。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

絵馬を読むのはなかなか楽しい。善男善女の神様へのお願いは健康・合格・良縁などおおむねつましいものである。みなさん大それたお願いはしないものなんだなぁ。面白そうなものを撮ってみた。

航空大学校がある宮崎らしい絵馬。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

ほんとうにつましいなぁ。私も年頃の未婚の娘がいるが、本当にこんな気持ちです。ただし玉の輿でも文句は言いません。
青島
青島 posted by (C)オトジマ


中にはあまりつましくないのもある。日付が4月28日となっているが、まさにその頃が売り抜けのチャンスだったのでは・・・・ それにつけても値の字が間違ってるよ。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

絵馬も国際的になっている。アジアからの観光客が増えてるようだ。この字はなんて読む? 大陸中国の簡体字なのか?名前を見ると韓国人のようにもあるが・・・・
青島
青島 posted by (C)オトジマ

台湾の繁体字。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

ハングル
青島
青島 posted by (C)オトジマ

タイの文字かな?
青島
青島 posted by (C)オトジマ

海水浴場側のビロー樹林。一番南国青島らしい景色。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

1960年頃。上の場所だと思うが、もしかすると元宮のあたりか。私と姉である。
1965  6
1965 6 posted by (C)オトジマ

1965年正月の参道の賑わい。小学生の私が写っている。
1965 宮崎 1
1965 宮崎 1 posted by (C)オトジマ

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百済の里 南郷

  • 2013/05/21(火) 02:04:32

かつての南郷村神門(みかど)、現在の美郷町南郷区は「百済の里」として村おこしを図った。20年ばかり前に「百済の館」を作り、その後「西の正倉院」を建てた。百済の館ができた時に見に行った記憶があるが、正倉院は建って19年も経つというのにいまだ行ったことがない。

南郷区は小丸川の上流に当たる。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

神門の中心部。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

まずは物語の発端となる神門神社へ。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

杉の巨木が歴史を物語る
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

狛犬は昭和初期の軍国時代の奉納。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

神社から百済の館を見下ろす。屋根もどことなく和風とは異なる。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

この塀は明らかに朝鮮風
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

こお角度で見るとまるで韓国に行ったみたいだ。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

鮮やかな彩色も朝鮮風。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

地面は磚と呼ばれるレンガ、というよりテラコッタ。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

中では試着用のチマチョゴリが何着もあって着てみることができる。
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P5158033e posted by (C)オトジマ

神門には百済王の伝説がある。少なくとも宮崎県民にはおなじみの話。毎年の「師走まつり」はテレビニュースの恒例。詳細は知らないので詳しくは他のサイトに譲ることにする。ネットを見ていたら百済王伝説は史実とは認めがたいので町に異議申し立てするサイトがあった。コチラ。なかなか面白そうな論だが、根幹に「嫌韓」感情があるんではないか。「伝説」なんだからそうメクジラたてずとも・・・・と思うが。全国には根拠不明の伝説が満ちている。

ただし、韓国ではこの小さな村の小さな取り組みは過大に評価されているのかも。韓国首相も務めた金鍾泌(キム・ジョンピル)氏も訪れたようで植樹している。



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平戸  田平教会

  • 2013/05/13(月) 11:01:22

平戸の最終目的地は田平教会。田平は平戸島の対岸の九州本土。
平戸大橋のある田平口から国道204号を離れ、海岸沿いにしばらく南下すると丘陵地帯の畑の中に突然教会が現れる。

教会は道路の側に尻を向けていて、西の方、つまり海の方に正面がある。昔は海の側からアクセスしたものか。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

和瓦とレンガの様式建築の美しいコンビネーション。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

これが正面。堂々たる姿。
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P5057772 posted by (C)オトジマ

引きで。麓から教会敷地に登る石段から撮影。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

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P5057774 posted by (C)オトジマ

教会建築の時、この炉で石灰を作ったという。石灰と赤土を混ぜたアマカワでレンガの目詰めをした。信者たちが食べたあとの貝殻を持ち寄り、ここで焼いて作った---とある。
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P5057776 posted by (C)オトジマ


田平教会は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つとして世界遺産暫定リストに登録されている。1918年(大正7年)鉄川与助により設計・施工された。

田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

ここの教会のステンドグラスは具象的で美しい。浦上や今村、平戸の教会が単純な幾何学模様であるのと異なっている。これがオリジナルかどうかは知らない。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

ステンドガラスはそれぞれ違う絵柄だが、座席から先は立ち入り禁止なので一部しか見れない。観光客向けに絵ハガキセットとして売っている。
P5057785e
P5057785e posted by (C)オトジマ

教会の隣は墓地になっている。墓はすべて海のほうを見ている。
こんなにズラリとキリスト教式の墓石が並んでいる光景は初めて見た。墓石は頭に十字架がついているだけで一般の日本式墓石とあまり変わらない。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

歴代司祭の墓は大きくて立派だ。仏教の寺でも歴代住職の墓が立派だったりするのと同じことか。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

左:仏式の墓では戒名が見られるが、ここの墓にはかならずカタカナの洗礼名が書かれる。
右:平たい墓石もある。元来はこの形だったのではないか。
P5057797e
P5057797e posted by (C)オトジマ

昔は土葬だったから、こんな形の墓もある。
P5057795
P5057795 posted by (C)オトジマ

長崎県では彫った文字を金色に装飾している派手な墓石が多い。
キリスト教式でも変わらない。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

海の向こうは平戸島。日没時には素晴らしい夕景が見れるのではないだろうか。西方浄土だか天国だがが向こうに見えるかもしれない。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

NHK教育の「美の壷」を見ていたら、長崎の出津教会(いずし)が紹介された。自然石を積んだ石壁の素朴な建物である。司祭の名にちなみ「ドロ様壁」と呼ばれたという。一目見るなり「見たい!」と思い、行く計画を立てたのである。しかし連休中の長崎市内の混雑を思うと、あの市内を突破して西彼杵半島の海沿いを行くのはかなり時間がかかるようなので、今回はあきらめたのである。出津教会も世界遺産(文化遺産)暫定リストへ追加掲載が決まった長崎県内にある教会の一つ。まぁ、リストにある他の教会がいくつか見れたので今回は満足。

※DTI閉鎖にともない、ブログ移転してます。以下にどうぞ。FC2の「一歩 日豊 散歩」


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平戸 紐差教会

  • 2013/05/11(土) 08:13:53

平戸市街は細長い平戸島の北端にある。そこから国道383号で南下し、17kmはなれた島中央の集落である紐差へ。

島とはいえ道路は快適で、ぜんぜん島を走っているという感じはしない。平地が少ないからか、いたるところに石垣を築いた棚田が見られる。向こうに赤い平戸大橋が見える。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

対岸は九州本土、田平地区。田平教会がある。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

対岸に、江迎の風車が見える
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

というところで、紐差(ひもさし)の紐差教会に着く。
小さな町なのに立派な教会が丘の上にそびえる。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

紐差教会は九州各地の教会建築で有名な鉄川与助の設計である。去年、太刀洗の今村教会を訪れるまでは知らない名前だったが、その後急に興味が湧いた。長崎県には彼の設計した教会が多い。五島列島には行けそうもないが、折りあらばあちこち行ってみたい。

紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

紐差教会は昭和4年、鉄筋コンクリート造である。
鉄川は今村教会や田平教会のようにレンガ造の名建築が多いが、昭和になって鉄筋コンクリート造が一般化して、この紐差教会ではじめて教会建築に鉄筋コンクリートを導入したとか。まぁ、見物する方はレンガの方がはるかに風情があっていいのであるが、立てる側となると、予算や構造設計や強度で鉄筋コンクリートの方が楽に決まっている。

まぁ、真四角な近代建築と比べればはるかに優美な建築である。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

この小さな町にこんなにたくさんの座席が必要なの?と疑問になるくらい大きい。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

ステンドグラスの模様は単純である。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

天井にも細かな細工が。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

教会から見る紐差の入り江、木ヶ津湾。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

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P5057723 posted by (C)オトジマ

紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

教会のアーチから麓をみると、神社の屋根が見える。国土地理院の地図を見るとこの場所には神社の鳥居のマークはあるが、教会にはなんの印もなくてその存在が抹殺されているようだ。地図記号にはキリスト教会のマークはないんだな。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

その素盞鳴神社神社から教会を仰ぎ見ると・・・。樹林がジャマで教会がよく見えない。うまく両方が見えれば、平戸の寺と教会のアンサンブルみたいな面白い絵が撮れると思ったんだが・・・
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

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P5057729 posted by (C)オトジマ

明治44年の奉納
P5057730e
P5057730e posted by (C)オトジマ

この日訪れた4つの教会。すべて平戸市内。
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hirado map posted by (C)オトジマ

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平戸 ザビエル教会

  • 2013/05/10(金) 00:11:55

観光パンフレットにある「寺院と教会の見える風景」---長すぎ---。「寺坂」でいいんじゃない?

坂を上りきると平地になり、正宗寺がある。
参道から境内にかけて西国三十三箇所の観音がずらりと並んでいる。
平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

左から、一番那智山寺、二番紀三井寺、、三番粉河寺
平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

左端二十三番勝尾寺、右端十五番観音寺
平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

教会の裏に立派な墓地がある。
平戸 正宗寺
平戸 正宗寺 posted by (C)オトジマ

教会を裏から。建物はコンクリートに塗装され、正直安っぽい感はまぬがれない。それもペンキ塗りたてという感じ。
ザビエル教会
ザビエル教会 posted by (C)オトジマ

ザビエル教会
ザビエル教会 posted by (C)オトジマ

内部には入れるが、座席より前には行けない。
今回4箇所の教会を見て回ったが、どこも開放されていて、写真撮影もおおむね禁じてない。拝観料は取らない。賽銭箱があれば喜捨するのであるが、見当たらなかった。
ザビエル教会
ザビエル教会 posted by (C)オトジマ

1931年(昭和6年)に建てられた当時の写真。
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P5057683e posted by (C)オトジマ

平戸殉教者慰霊碑
ザビエル教会
ザビエル教会 posted by (C)オトジマ

教会から見下ろす。下は光明寺。イチョウの巨木がある。
やはり私には教会よりもお寺の方が見て落ち着く。
ザビエル教会
ザビエル教会 posted by (C)オトジマ

寺越しに平戸城を見る
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P5057692 posted by (C)オトジマ

教会の前には「主の平和」という土産物屋が。
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教会の麓の商店街。観光地らしく、擬古風の街並。
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書店も擬古商家風。
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こどもの日なので日の丸が揚がっていた。大島渚の「少年」を思い出す。あるいは「つげよしはる」?
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寅さんもここの商店街を歩いていた。

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景清廟

  • 2013/04/16(火) 12:29:36

宮崎市、平和台の麓の下北方界隈に縁戚の家があるはずなのでウロウロしてみた。結果、ウロ覚えで見つけられなかったが・・

そのかわり「景清廟」なるものに行き当たった。全然予備知識はないが、面白そうなので寄ってみた。
下北方
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下北方
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由来はコレ
下北方
下北方 posted by (C)オトジマ

この看板が読みにくければネット上に参考資料がある。こちらに藤原景清についてのウィキペディア記事  能の「景清」の粗筋はコチラで参照
景清、つまり藤原景清(平景清ともいう)は実在の人物であるが、さまざまな伝説があるらしい。能の「景清」が代表例。その舞台が日向国宮崎なのである。そこらは史実なんだか怪しいらしい。ここの廟は能の「景清」が実話だとして、その霊を慰めるために建てられたようだ。生目神社も景清に由来するとか。詳しくは県内観光案内サイトのコチラで。

謡曲「景清」の粗筋
下北方
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廟の内部
下北方
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なんと墓石もあるが、新しい。昭和のもの。実在の景清は800年前の人。
下北方
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その他新旧色々な石碑がある。タケノコもある。
下北方
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驚いたのがコレ。宮崎市の多くが延岡藩領であったのは知っていたが、その標柱をこんなところで見るとは。ただし、看板にあるように明治以降粗末に扱われ、礎石代わりに使われていたものを、炯眼の士が価値を認めここに立てなおしたもの。
下北方
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延岡藩領は大分にも点在していた。下は豊後高田市香々地の山中に残る石柱。(じなしさんのブログより転載)

「これより西、延岡領」と書かれているはずだが、下のほうが礎石に埋没している。

延岡7万石というが、大分から宮崎にかけて点在する所領の合計だったのであるから、延岡の実質石高はたいしたことなかったのではないか?

高鍋城には高鍋藩の藩境をしめす標柱が残っている。延岡藩のと同じ書式で書かれている。
takanabe
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下北方には下北方古墳群があって、住宅地の中に小さな円墳がポコポコと残っている。これはそのうちの一つ。石仏がたくさん。
下北方
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石仏はどれも状態が良いので、廃仏毀釈以降、明治か大正期のものではないだろうか。
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千手観音が多い
下北方
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新西国三十三番、とある。石灯籠の年銘は天保九年。灯籠は西国三十三番とは関係ないと思われる。
下北方 33箇所
下北方 33箇所 posted by (C)オトジマ

古墳のそばにあったお宅の玄関先がステキなので写真に撮った。
下北方
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北方 慈眼寺

  • 2013/04/12(金) 00:51:31

チューリップの中川への帰り道、北方、曽木の慈眼寺に寄ってみた。別に何の予備知識もないが、ナビに寺のマークがあるから寄ってみただけ。

曹洞宗弘誓山慈眼寺とある。住職は久峩さん。延岡市内では佑国寺や寳藏寺が同じ曹洞宗でいずれも久峩さんという住職だが親戚か?
曽木
曽木 posted by (C)オトジマ

曽木
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寺は古いが、建物は新しい。
曽木
曽木 posted by (C)オトジマ

山門前にある六地蔵塔
曽木
曽木 posted by (C)オトジマ

境内になにやら台が設置されて、ご婦人方がご接待の様子・・・
曽木
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ああっ!「甘茶もらい」だ! そういえば4月8日は花祭り。聞くと本来は8日だが、日曜日の7日にしたそうである。
曽木
曽木 posted by (C)オトジマ

子供の頃、同級生達が花祭りの日には土々呂の極楽寺に「甘茶もらい」に行っていた。私は檀家ではないので行ったことはなく、自分の檀那寺の三福寺は遠いのでこれまた行ったことはなく、結局一度も甘茶もらいの経験はないのであるが、こんなところで体験できるとは!子供の頃からの夢?が偶然かなった。

これがお土産のセット。ペットボトルの甘茶に甘茶粉末、花の種、花祭りの解説書など・・・ 妻は恐縮してお賽銭を2度もあげていた。
P4076739
P4076739 posted by (C)オトジマ

しみじみと甘茶を味わってみた。何十年ぶりに飲むような・・
甘茶とはアマチャヅルとは全く違う、ガクアジサイの変種であるアマチャから作られる。かなり甘いが、砂糖とは異なりなんらかのクセがある。昔の人には貴重な甘味源だったと思われる。

慈眼寺のそばにTR高千穂線の曽木駅がある。というより、あった、というべき。荒れ果てている。
曽木
曽木 posted by (C)オトジマ

かつて北方町時代には「日本唯一干支の町」が売り文句であった。曽木は子。
曽木
曽木 posted by (C)オトジマ

線路は撤去されて、次第に鉄道の影が薄れつつある。
曽木
曽木 posted by (C)オトジマ

久しぶりに見たような青空の風景。川水流の国道218号近辺を見下ろす。
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P4076695 posted by (C)オトジマ

五ヶ瀬川上流方面
川水流
川水流 posted by (C)オトジマ

川水流から五ヶ瀬川を渡り、北方ゴルフ場に向かうと、門川の松瀬の国道388号への短絡路への分岐点にイチゴ売りの軽自動車が停まっている。看板に注目!
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P4076694 posted by (C)オトジマ

車に張られたダンボールの「息子ですよ」。店舗の看板にしては奇妙であるが、いつもここを通る人にはすぐ意味がわかるのである。じつはこれは門川のイチゴ農家が直売していて、以前からこの場所でご婦人がやっておられた。さては代替わりしたんだな、と思って聞いてみたら、やはり彼女の息子さんだった。お母さんは引退したわけではなく、川水流の国道218号沿いでやってらっしゃるという。

コチラが国道218号にあるお母さんの本店。
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P4076699 posted by (C)オトジマ

延岡―曽木間の高速開通でゴルフ場下の車が減ってしまったので218号に進出したという。曽木―蔵田間が開通したらいよいよ大変だ。新しい場所を探さないと。彼に聞くと、勝手にどこでやっても良い訳ではないらしい。

松瀬越えで見かけたキリの花
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P4076692 posted by (C)オトジマ




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