宇佐市大洲

  • 2013/10/02(水) 01:52:26

古い街並専門サイトの「郷愁小路」によれば宇佐市大洲にも懐かしい街並があるという。築上からの帰り道に寄ってみた。

長洲は宇佐市の海岸部、駅館川の河口部にある。昔は肥前島原藩の飛び地で港町として栄えたとか。

何の予備知識もないので、およそこの辺だろう、という地域をグルグル回ってみた。最近でできた広い道ではなく、少し入った狭い道にチラホラ古い建物が散在している。
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P9239373 posted by (C)オトジマ

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たしかに古い家屋が残ってはいるが、残念ながらマバラに点在し、まとまって面的につながっていない。それも廃屋か廃屋寸前も多い。
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P9239378 posted by (C)オトジマ

粟島神社近辺になんだか昔懐かしい小路が残ってはいる。大正・明治までは行かず昭和30年代くらいの趣・・・
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粟島神社
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酒屋。かつては酒造場だったようだ
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P9239390 posted by (C)オトジマ

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貴船神社近辺。久保酒蔵前にはやや古い建物が並ぶが、肝心の酒蔵が古くない。
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貴船神社近辺。久保酒蔵前
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貴船神社。
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しばらく以前には古い建物が多かっただろうが、その頃は車の入りにくい細い道ばかりだっただろう。そこに広い道を通すと必然的に古い建築は取り壊されて新しい家ばかりになってしまう。古い家はスキマ風、雨漏り、日当たりの悪さ、シロアリ蝕害、狭い部屋など現代人には住みにくい。当然だろう。

ここには意識的に歴史的街並を残そうという取り組みがないようなので、このまま更新が続き、すぐにも昔の趣はなくなりそうだ。20年前に来るべきだった・・・。

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豊後森の街並

  • 2013/09/29(日) 19:26:48

玖珠の市街地から耶馬溪方面に国道387号をやや行くと藩政時代の趣を残す街並がある。森藩には城がなかったので城下町とは言えないのかもしれない。

国道沿いにあった教組の建物もなかなかレトロ。かつては何らかの公的施設だったものを払い下げしてもらったものか。ネットで調べてもよくわからない。
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P9229050 posted by (C)オトジマ

草ボーボーなので一瞬廃屋か?とも思うが、中を覗くといかにも労働組合の事務所風。大分県は日教組の牙城だったなぁ。
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P9229045 posted by (C)オトジマ

ネット上でよく見るショットがここ。いかにも古い街並。
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P9229053 posted by (C)オトジマ

石畳が整備された街並。三島公園に続いている。
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P9229062 posted by (C)オトジマ

江戸時代の建物はない。明治に大火があり街全部が燃えたという。明治の建物もあまりないのかもしれないが、レトロ感ただよう通りではある。
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P9229056 posted by (C)オトジマ

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薬店は建物は新しいがレトロ感を演出している。
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P9229058 posted by (C)オトジマ

旧郵便局。現在はカフェ。手前のオニは「童話の里」にちなむ。
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P9229061 posted by (C)オトジマ

久留島記念館。森出身の口演童話家、久留島武彦に関する展示がある。
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P9229057 posted by (C)オトジマ

久留島武彦(1874年生)という名も「口演童話家」という奇妙な肩書きにもなじみがない。玖珠町が「童話の里」を名乗っているのはこの久留島武彦の出身地だからである。街のあちこちに和洋各種の童話のキャラクターの看板やら人形やらが散らばっている。高速道路からは大きな赤鬼が出迎えてくれる。

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img074 posted by (C)オトジマ
かといって久留島武彦が桃太郎や金太郎を創作した訳ではない。口演童話家として各地で子ども達に童話を語り続けた人である。その他、雑誌を出したり東京で幼稚園を経営したりボーイスカウトを作ったり、と多彩な活動をした。詳しくはコチラで。

しかし、興味深いのはこの久留島武彦は豊後森藩最後の藩主・久留島通靖の孫であること。世が世ならお殿様なのである。しかし彼は大分中学時代にアメリカ人宣教師S・H・ウェンライトと出会い、大きな影響を受け、キリスト教の洗礼を受けた。それにより久留島氏一族の籍を抜けたので、爵位もないとかという話。元来はいかに小藩とはいえやんごとなき身分のお方なのである。

久留島の著作
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P9229070 posted by (C)オトジマ

久留島の経営した東京の早蕨幼稚園の冊子
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P9229068 posted by (C)オトジマ

久留島の墓は久留島家代々の菩提寺、安楽寺にある。
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P9229122e posted by (C)オトジマ

下の案内板によれば、久留島は東京で活躍した人だが「故郷の大岩扇山の見えるところに墓を作り、その上に仏を乗せよ」みたいな遺言をしている。戒名もしっかりある。ということは中学の時に入信したキリスト教は晩年には離れたのだろうか。
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P9229123 posted by (C)オトジマ

三島公園の下に「わらべの館」がある。郷土玩具の展示場や町立図書館がある。とくに驚くようなものはない。背景にある大岩扇山のほうがよほどインパクトが強い。さぞ景色の良さそうな山だが、山頂は平になっていて牧場があり、あまり展望はきかないとか。
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P9229100 posted by (C)オトジマ

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ということで、F2Cブログに引越します。当分両サイトに並行して同じブログ名で同じ記事を書きますが、もしブックマークに登録されている方はコチラに切り替えていただけたらと思います。今後ともよろしくご愛読お願いします。


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豊後森駅 

  • 2013/09/29(日) 00:31:35

久大線の豊後森駅は近年蒸気機関車時代の扇形車庫で有名である。
蒸気機関車時代には全国にありふれた施設だったが、いつのまにか見られなくなってしまった。南延岡駅にもあって私が高校生の頃には写真を撮りに行っていたものだ。南延岡駅のものもいつしかなくなってしまっている。

昔はありふれたもので見向きもしなかったが、もうなくなりそうだ、となると不思議なもので見に行きたくなる。

森駅の駅前通り。日曜日の午後、人っ子ひとり見かけない。ゴーストタウンのような通り。昔は賑わっただろうな。玖珠川をはさんだ対岸の国道210号線沿線は大型店や郊外型レストランが立ち並び大変繁華であるから、住民が消滅した訳ではない。
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P9229044 posted by (C)オトジマ

森駅。なかなかシックな駅舎である。
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P9229020 posted by (C)オトジマ

お洒落な蕎麦屋のような駅の入り口。
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P9229021 posted by (C)オトジマ

車庫は駅からやや離れていて駐車場が整備されている。
いちおう「立ち入り禁止、構内の事故には責任負えない・・・」みたいな立て札があるが、せっかくここまで来て誰がそんなもの気にするだろう。遠慮せずどんどん中に入る。
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P9229039 posted by (C)オトジマ

転車台はあるが、線路は通じてない。
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P9229022 posted by (C)オトジマ

かなり広い建物である。
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P9229023 posted by (C)オトジマ

ガラスは割れ放題で昔の備品も散らかって全くの廃墟。このまましておいて欲しいな。

集煙装置がまだぶら下がっている。
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P9229027 posted by (C)オトジマ

線路は撤去されている。せめて一本くらいは残してついでにD51でも置いて欲しいところだなぁ。あちこちの公園でさび付いているヤツを一両持ってくればいい。
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P9229028 posted by (C)オトジマ

ロケ撮影にうってつけの場所なので、どこかの撮影隊が写真を撮っていた。コスプレ少女たちはおもちゃの剣やピストルを手に持っている。なんのコスプレなのかは知らない。
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P9229032 posted by (C)オトジマ

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P9229033e posted by (C)オトジマ

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P9229037 posted by (C)オトジマ

これは裏から見たところ。
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P9229019 posted by (C)オトジマ

駅構内。何本ものさびついた線路が並び、かつての鉄道の賑わいを示す。向こうに車庫が見える。
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P9229043 posted by (C)オトジマ

10月にはイベントがあるようだ。
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P9229051 posted by (C)オトジマ

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長崎街道 内野宿

  • 2013/09/28(土) 01:02:16

久留米から築上町に行くのに筑紫野から国道200号で冷水峠を越えた。峠を越えて飯塚市に入ったところに内野宿がある。長崎街道は小倉から長崎に至る脇街道であった。この街道で冷水峠が最大の難所だったとか。今は長大なトンネルが抜けて車ならラクに越えられる。

国道からほんの少し入ったところに旧街道が並行している。
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P9239208 posted by (C)オトジマ

古い街並や建物がズラリと並んでいる、という訳ではない。
数軒の旅館の跡がかろうじて残る。旅籠の跡に案内看板だけが立っているというのは大分の今市宿にも似ている。

明治初年に建ったという150年ほど前の建物だが、ほとんど廃屋と化していてもったいない。なんとか整備できないものか。
小倉屋という質屋だったとか。江戸期には伊能忠敬測量隊一行が宿泊したという。
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P9239214 posted by (C)オトジマ

旅籠・肥前屋跡。内野宿の展示館となっている。
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P9239221 posted by (C)オトジマ

旗はこの奥の寺のもの。これは仏旗というそうだ。全国、どころか世界の仏教の統一旗らしい。一瞬創価学会の旗かと思ったが、創価学会旗はこの上半分だけである。
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P9239206 posted by (C)オトジマ


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P9239209e posted by (C)オトジマ
上の地図で見るとこの宿は街路がT字型になっていて一本の道が筑豊本線を越えて山のほうに伸びている。昔は筑豊から大宰府に参る山越えの道があったという。現在は使われず、車も越えないらしい。その道沿いに「内野の大イチョウ」という巨木がある、というので寄ってみた。

「大宰府天満宮米山越道」の石柱。元禄・嘉永期の奉納。
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P9239211 posted by (C)オトジマ

この道が大宰府に至る道。古い建物は残ってない。
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P9239224 posted by (C)オトジマ

ヒガンバナとソバの花の向こうに大イチョウ
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P9239236 posted by (C)オトジマ

巨木というのは近くからは写真に収まらず、遠くから撮るとスケール感がわからない、というふうに撮影が難しい。とにかく巨大な木であるのは間違いなく、黄色く色づく頃には見物客が多いらしい。
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P9239244 posted by (C)オトジマ

イチョウの根方には薬師堂がある。
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P9239228 posted by (C)オトジマ

堂内の仏像。木像である。
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P9239232 posted by (C)オトジマ

イチョウの根方の仏達
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P9239230 posted by (C)オトジマ

内野宿のマンホール
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P9239243 posted by (C)オトジマ

筑豊線内野駅。
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P9239247 posted by (C)オトジマ

内野宿遠景。山の向こうが大宰府
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P9239249 posted by (C)オトジマ height=img src=http://photozou.jp/photo/show/207044/188052276

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石炭長者 蔵内邸 3

  • 2013/09/27(金) 00:08:55

前回前々回ポストの続き

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P9239253 posted by (C)オトジマ

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P9239254 posted by (C)オトジマ

蔵内邸を外から見る。これは勝手口。駐車場から来ると、この門から入ることになる。やはり正門から入りたい。
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P9239366 posted by (C)オトジマ

塀は立派な石造
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P9239350 posted by (C)オトジマ

右が蔵内邸
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P9239363 posted by (C)オトジマ

蔵内邸は田んぼの中の集落にある。隣近所にも大きな屋敷が並ぶ。左が蔵内邸
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P9239371 posted by (C)オトジマ

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P9239367 posted by (C)オトジマ

蔵内邸の横には神社があり、道路から田んぼの中を参道が延びている。観光客はみんなこれが屋敷への進入路だと勘違いして右折しようとするが、バリケードがあるのであわててブレーキを踏む。神社は貴船神社。
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P9239250 posted by (C)オトジマ

参道も神社に渡る石橋も蔵内家の寄進。御影石の立派な橋である。
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P9239352 posted by (C)オトジマ

貴船神社
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P9239353 posted by (C)オトジマ

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ともかく、期待にたがわぬ超豪邸である。伊藤傳右衛門邸(飯塚市)や高取伊好邸(唐津市)より立派かもしれない。しかし伊藤邸は柳澤白蓮というロマンがあるし、高取邸は観光地唐津の海のそばというロケーションの良さがある。北九州の炭鉱成金たちの豪邸はほかにも麻生財閥の大浦荘、安川財閥・貝島財閥の屋敷もある。こんなに成金豪邸が妍を競う地域は全国でも炭鉱地帯だった北九州だけではないか?「炭鉱王豪邸めぐりの旅」はまだ楽しみが残っている。

一般公開が始まって半年、邸内の案内係はすべて女性で、張り切って頑張っておられた。これで300円は安い。近所はまったくの農村で売店もないので観光客はお金の落としようがない。伊藤傳右衛門邸のようにお洒落な売店でも設けたらいいと思う。近々、有料の茶菓のサービスは始まるとか。

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石炭長者 蔵内邸 2

  • 2013/09/26(木) 00:03:41

前回からの続き

引き続き、築上町にある旧蔵内邸

団体さんが広間でガイドから説明を聞いている。
平日ならかなりすいているはず。前日にはバイクでやって来た若者が1時間も寝っころがっていたとか・・・
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P9239333 posted by (C)オトジマ

部屋によって襖、欄間など趣向を凝らしている。
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P9239285 posted by (C)オトジマ

繊細な細工の欄間。
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P9239331 posted by (C)オトジマ

花鳥の彫刻の欄間
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P9239287 posted by (C)オトジマ

各部屋の床の間には美しい生け花。
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P9239318 posted by (C)オトジマ

なにせ部屋が30以上もあるから生け花だけでも大量に準備しなければならない。
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長大な廊下を風雨から守る雨戸も多数に上るので、収納する戸袋も分厚い
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P9239291 posted by (C)オトジマ

軒下は網代編
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P9239317 posted by (C)オトジマ

中庭
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P9239272 posted by (C)オトジマ

内部から庭を見る
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立派な庭であるが、伊藤傳右衛門邸の方が回遊式で楽しい。
庭木が伸び放題だったものを、最近京都から庭師を呼んで整備したとか。
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P9239269 posted by (C)オトジマ

周囲に大きな建築がないので庭が広々と感じられる。近所の農家の屋根が見える。かつてはカヤ葺きだったもの。
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靴脱ぎの巨大な御影石が廊下ごとにある
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P9239344 posted by (C)オトジマ

太鼓橋は進入禁止で渡れない。残念。
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奥から明治、大正、昭和と重ねた増築のヒサシが連なる。
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P9239345 posted by (C)オトジマ

大変な豪邸であることがわかる。
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P9239343 posted by (C)オトジマ

補修した部分もあるだろうが、全般に大変状態が良く保存されている。最近まで人が住んでいたからだろうか。とても100年前の材料とは思えないほど。

次回に続く。次回は屋敷の外回り。

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石炭長者 蔵内邸 1

  • 2013/09/25(水) 01:29:47

豊後高田のジナシさんのブログで福岡県築上町に蔵内邸という保存公開住宅があることを知り、ぜひ行きたいと思っていた。

福岡県には自治体が多く、とても覚えきれない。築上もマジマジとその字を見たのはこれが初めて。町内には自衛隊築城基地があるが、こちらは築城をツイキと読むのでややこしい。


より大きな地図で 旧蔵内家 を表示

蔵内家とは明治大正期に炭鉱王として羽振りの良かった一族である。大正8年には全国6位の産出高をほこったという。炭鉱は筑豊各地にあった。築上は一族の郷里である。蔵内家のあらましは築上町のサイト参照のこと。

旧伊藤傳右衛門邸(飯塚市)、旧高取伊好邸(唐津市)など、石炭成金の豪邸はとても見ごたえがある。この屋敷は明治から大正にかけて数次にわたって増築を繰り返し、蔵内家3代が暮らした。蔵内家の炭鉱業は昭和になるとかげりを見せ、会社は解散する。その後、この屋敷も人手に渡っていたものを、近年築上町が買い取り、修復して、今年の4月に公開を始めたもの。チケットを見ると、今までの半年で15000人ほどの訪問者があったようだから、ならすとおよそ一日100人。

期待にたがわず、素晴らしい豪邸だった。写真が多いので、数回に分けてアップロードする。

築上は炭鉱地帯の筑豊から一山越えたすぐの所。周防灘に面する農業地帯である。京築アグリラインという広域農道を走ると、ちょうど国東半島のように尾根筋と間の狭い谷筋が交互に現れる。そんな谷筋の真ん中の田んぼの中にポッカリと集落がある。
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P9239251 posted by (C)オトジマ

駐車場は裏口の方にあるが、順序として正面からご案内する。
正門である。巨大な門扉はこのほど新調されたもののようだ。
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P9239351 posted by (C)オトジマ

玄関から正門を振り返る。
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P9239256 posted by (C)オトジマ

ファサード。公開住宅でなかったらいかにも敷居が高そうだ。
世が世なら貧乏人には絶対上がれない豪邸である。
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P9239255 posted by (C)オトジマ

玄関は大理石張り。
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P9239258 posted by (C)オトジマ

上がり框も大理石。
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P9239257 posted by (C)オトジマ

玄関だけでもかなり広い。
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P9239334 posted by (C)オトジマ

受付で300円払うと、いきなりトイレがある。気になる所なので写真に撮る。タイルが美しい。朝顔はオリジナルではないらしい。
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P9239261 posted by (C)オトジマ

手洗いも大理石張り。
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P9239260 posted by (C)オトジマ

他の場所のトイレ。ここも大理石
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P9239321 posted by (C)オトジマ

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昔なつかしい陶製の和式便器
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P9239308 posted by (C)オトジマ

大理石のフロ
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P9239312 posted by (C)オトジマ

大理石尽くし
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P9239306 posted by (C)オトジマ

長い廊下は長い無節、柾目の一枚板。継ぎ目はそうといわれないと気づかない。スベスベなので裸足で歩くのが気持ちよくて正解とか。せっかく屋敷に上がる前に靴下を履いたのは失敗。
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P9239275 posted by (C)オトジマ

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P9239263 posted by (C)オトジマ

タタミ敷きの廊下もある。この廊下だけで24畳あるとか・・・
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P9239304 posted by (C)オトジマ

廊下の天井はアーチ型になっている。
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P9239305 posted by (C)オトジマ

天井板は最高級の屋久杉で、特有の複雑な木理が見える。大変保存状態が良い。
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P9239293 posted by (C)オトジマ

どこもかしこも無節の柾目一枚板。
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P9239283 posted by (C)オトジマ

フスマも障子もとんでもなく広い。
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P9239301 posted by (C)オトジマ

蔵内邸は敷地面積7135平方m、延床面積1250平方m、部屋数30以上という巨大、かつ贅を凝らした和風建築の粋である。建築史家の藤森照信氏によれば、和建築が絶頂期に達したのは意外と江戸時代ではなく、明治大正期だそうだ。江戸時代は幕府の方針もあり質素倹約が旨の時代だが、明治期にそのタガがはずれ、各地の豪商・成金が思い切り贅を尽くした住宅を建てたという、この蔵内家もその代表例だろう。飯塚の伊藤傳右衛門邸、唐津の高取伊好邸をも上回るのではないか、という邸宅である。

次回に続く

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惜櫟荘だより

  • 2013/06/09(日) 18:59:25

5月26日、BS朝日「惜櫟荘ものがたり」を見た。惜櫟荘(せきれきそう)とは岩波書店の創業者・岩波茂雄が熱海に建てた別荘である。現在は作家の佐伯泰英の所有になっている。

数年前、NHKBSの書評番組で児玉清と佐伯泰英の対談を見たことがある。対談の場所はこの「惜櫟荘」であった。佐伯に関心はなかったが惜櫟荘のすばらしいたたずまいが強く印象に残っている。

BS朝日、惜櫟荘ものがたり」サイトより
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top_ph01 posted by (C)オトジマ

BS朝日の番組は惜櫟荘の2年に及ぶ修復工事の模様をドキュメンタリーにしたものである。佐伯は相模湾の見える高台の家屋を購入していた。その後に隣家が岩波書店の建物であることを知る。そんな時、この岩波別荘が売りに出されていることを知り、そこにマンションでも建てられたら自分の家からの眺望が台無しになることを恐れ、借金での購入を決意した。この建築は著名な建築家吉田五十八(よしだいそや)の手になるものであり、吉田自身これを終生最も納得の行く自作だと語ったという。

佐伯の著書『惜櫟荘だより』より。佐伯の住居から俯瞰したもの。隣家とはいえ、かなり離れている。
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img049 posted by (C)オトジマ

佐伯は惜櫟荘の来歴を知るほどに、これは将来に残すべき貴重な文化遺産であると考えた。惜櫟荘は戦時中に完成しているから築70年ほどであるが、純木造であり、長期的な保存や実際の居住を考えると全面的は解体修復を必要としていた。たかだか30坪の小さな建築であるが凝りに凝った数奇屋建築であり、特殊な材料や専門職人による高度な技術を要し、2年もの時間を要した。番組でも佐伯の著書にもかかった費用は述べられてないが莫大な金額になるはずである。そこらはとても気になるところ。

室内からの相模湾の眺め
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惜櫟荘が岩波の所有だった時、ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダがここに宿泊した。彼は雨の降るこの窓からの眺めを絵に描いて、置き土産とした。かなり本格的な絵であり、広重の浮世絵を彷彿とさせる。実はワイダは少年時代に見た浮世絵から美術を志し、美術大学在学中に映画に転向した経歴を持つから、絵が達者なのは当然なのである。黒澤明みたいだ。残念ながらその絵がネット上に見当たらない。『惜櫟荘だより』にはモノクロの写真版があるが、やはりカラーでないと・・・


『惜櫟荘だより』は岩波の広報誌「図書」に2年にわたり連載され、岩波書店から単行本化されたものである。佐伯がたまたま惜櫟荘を入手するに至った経緯、修復の模様、そして佐伯のスペインでの回顧譚が中心である。佐伯の経歴は知らなかったのであるが、小説化に転向する以前は売れないカメラマンでスペイン在住時は堀田善衛宅の食客だった時期もあるという。堀田に興味ある人には面白いエピソードが語られる。その後作家に転向し長い不遇時代が続く。スペインを題材にしたした小説や国際冒険小説がさっぱり売れなかった。同じくスペイン物の冒険小説ばかり書いてベストセラー作家になった逢坂剛がいるが最近は逢坂剛も時代物に転じている。

左:双葉社文庫「居眠り磐音 江戸双紙」第1巻。右:『惜櫟荘だより』
佐伯
佐伯 posted by (C)オトジマ

佐伯は時代小説に転じ、六十を過ぎてから時代小説文庫作家としての地位を固める。今、書店の文庫の棚を大きく占拠する佐伯のシリーズ物は10にものぼるがおおむねこの10年以内にスタートしている。月間で1冊以上を書き下ろすという超売れっ子である。NHKの時代劇ドラマ「陽炎の辻」になった「「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズはなんと43巻1500万部というから寅さんなみの超ロングベストセラーである。仮に10%の印税が入るとするとこのシリーズだけでおよそ10億円!

佐伯は六十過ぎて富豪になったのであるが、その金を古建築の保存に費やしたのである。惜櫟荘は元来が岩波茂雄の趣味で建てられた現代数奇屋建築で、成金趣味とは対極にあり、大変趣味が良い。風前の灯だったこの貴重な建築遺産は、佐伯に買われて幸運だった。ここは佐伯の本を1冊くらいは読まねばなるまい、という気になってきた。

次回エントリで「居眠り磐音 江戸双紙」の感想を記す。

※DTI閉鎖にともない、ブログ移転してます。以下にどうぞ。FC2の「一歩 日豊 散歩」




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百済の里 正倉院

  • 2013/05/22(水) 01:38:30

旧南郷村の「百済の里」事業は百済の館にとどまらずに、正倉院のレプリカを作るところまで行った。神門神社に伝わる銅鏡と同じ鋳型のものが正倉院にある、という点だけでその鏡の収蔵庫である正倉院のレプリカを作ってしまう、というほとんど牽強付会。総工費17億円は人口たかだか2000人の村にしては過分な投資。

これは本物の正倉院。ウィキペディアより。
Shoso-in
Shoso-in posted by (C)オトジマ

時の南郷村長 田原正人氏のあくなき執念により17億円の巨費を投じて「西の正倉院」が完成したのは1996年。完成に漕ぎつけるまでの艱難辛苦を現地案内所の方が懇切に解説してくれた。同じ話がネット上にあちこち散らばっているが、元は田原氏の苦労話、自慢話に由来するものと思われる。コチラを参照
田原氏の話はなかなか面白い。

まず、その大きさには驚く。奈良にある本物は写真でお馴染みだが、実物を見たことがなく、大きさの感覚はなかったので、ホーッ、こんなにデカイのかと感心する。写真ではスケール感がない。これがコンクリートの建物なら珍しくもないが、純木造だと知っていると驚異だ。近年建てられたものとはいえ、建物に興味のある人には見過せない建築である。本物は宮内庁の管理下で近寄れないが、ここならさわり放題である。
百済の里
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周囲の緑が美しい。20年の歳月で植栽が落ち着いている。
百済の里
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百済の里
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百済の里
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高床式だから床下は広い空間で2m以上ある。この柱は上の建物を載せているだけで、上まで貫通しているわけではない。
百済の里
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この柱を束柱といい、木曽ヒノキ材で直径60cm・長さ250cmで40本あるという。正確な価格を忘れたがこれ1本だけでも400万円くらいするとか!!! とんでもない太っ腹である。私が村長ならここは杉でいいや、と妥協するところ。やはり田原村長はただものではない。建物全体の木材だけで5億円。

束石も古式にのっとっている。大宰府都府楼跡の列石を思い出す。
正倉院
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20年のうちにいい具合に風化して材が黒ずんでいる。全く塗装はしていないとか。時代が経過すれば本物のように真っ黒になるだろう。
正倉院
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正倉院
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予備の束柱が展示してある。外の柱とちがい新品同様にキレイ。
いわば400万円が転がっているのであるが、このお宝をドロボーするのはかなりの体力がいる。
正倉院
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表面にヤリガンナの削りあとが見られる。電動プレーナーではないよ。
正倉院
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と思っていたら、しっかりヤリガンナの展示があった。
正倉院
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館内の様子。ここは建物を鑑賞すべきところで、展示物には驚くようなものはない・・・少なくとも考古学素人には・・・
正倉院
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珍しいのがこのホコの大群。実用上のものではなく奉納用のものだと思われる。神門神社に奉納されていたもの。1000本以上あるという。小さいものは彫刻刀くらいから大きなものは1mくらいのものまで。
百済の里
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展示物
百済の里
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三十六歌仙図はよくある奉納品。江戸時代初期のものとか。神社の拝殿にあったにしてはかなりよく保存されている。
百済の里
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百済の里
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放水銃。
正倉院
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蒲江 西野浦

  • 2013/05/17(金) 00:59:53

仙崎山から下り、ふもとの西野浦をうろついてみた。
西野浦は複雑な形の入津湾沿いの波静かな漁村である。

潮が引いている。
P5127893
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西野浦
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西野浦
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西野浦
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裏通りを歩いてみる。道路改良以前はメインストリートだったところ。
西野浦
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漁村特有の細い路地の向こうに真っ赤なホンダN1がかわいい。
西野浦
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西野浦
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仙崎砲台の積み石と同じ平たい石の石垣。
P5127906
P5127906 posted by (C)オトジマ

西野浦
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バイク屋さんを覆いつくす木。何の木?
西野浦
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堂々たる構えの民宿。屋根瓦は古いが、板壁は新しい。この地域ではこんな茶色に塗った板壁の家が多い。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

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img024e posted by (C)オトジマ

昔の防波堤のようだ。
西野浦
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どこにもカキがびっしり
西野浦
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ほとんど波のない河内湾は入津湾の一部で湾最奥にあたる。国道388号線より。
西野浦
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こんな入り江を見ると、オールズバーグの絵を思い出す。
西風号の遭難
西風号の遭難 posted by (C)オトジマ

遠景の山が仙崎山と思われる。
西野浦
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ここでカヌーやボートを漕ぐと楽しそうだ。
西野浦
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