佐賀のクリーク

  • 2011/09/30(金) 01:11:33

昔、といっても20年くらい前までは、中学地理では県ごとの特色を学んでいた。鹿児島のシラス台地、鳥取のナシ、長野の精密機械、富山の薬などなど。現行教科書では日本地理はつまみ食い的にあちこちの産業や風土をつつく程度。
たとえば今の地理では佐賀県、大分県、鳥取県、栃木県、徳島県、岐阜県、茨城県、などは地理歴史いずれもテストへの出題のネタがないのでほとんど出題されない。やや影の薄い小県でも香川、島根、山梨、石川などは県名と県庁所在地が異なるのでそれが出題される。※注

佐賀県もいまひとつ影の薄い仲間で、ひところ「はなわ」が自虐ネタで人気を博した頃があったが、あれっ? そういえば彼はどこに行ったんだろう? 弟はナイツでよく見かけるが。
ともあれ、かつては佐賀の特色は新佐賀段階などの先進的な稲作、有明海のノリ、有田の陶器、佐賀平野のクリークなど。いまでもそう変わっていないだろうが。

佐賀は長崎への通路として高速道路で何度か通過したが、今回はあえて一般道で横断してみた。筑後川河岸から肥前鹿島までが佐賀平野であるが、走ってみるとさして広くない。

下:浮島付近の筑後川。


下:水田ばかりかと思ったら大豆が意外と多い。これはサトイモか。脊振山地はすぐそこに見える。


下:クリーク。流れてない。桜のころはキレイだろう。


下:アオコに覆われたクリーク


下:市街化したところのクリークは手入れされず汚らしい。


下:一面の稲田だが、倒伏が多い。遠景は多良岳の裾野。佐賀平野の西端は白石平野とも呼ばれる。ここいらも干拓地。


---司馬遼太郎の受け売り---

※司馬遼太郎の「街道を行く」を読んでいて見た面白い見地。佐賀県というのは大変狭く本来は肥前一国として長崎県になるべきところであったが、明治新政府で大きな顔をしていた薩長土肥の一員として、佐賀県の独立をゴリ押ししたとか。

※司馬説では県名と県庁所在市の名が異なる県は実は明治政府に覚えの悪かったところだとか。戊辰戦争時に賊軍に加担するとか、日和見的立場の藩だったという。なるほど九州は全部一致する。一致しないのは島根、愛媛、香川、愛知、三重、石川、宮城、青森、茨城、岩手などなるほど親藩や松平姓の所が多いような気もする。加賀藩・仙台藩は外様の大藩であるが、日和見。賊軍の筆頭の会津藩にいたっては県庁所在地の座すら奪われて県庁は福島になったという。


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三角西港近辺

  • 2011/09/27(火) 00:05:39

天草、鬼の池から延岡までは九州横断で約200km。
天草は私は初めて足を踏み入れた。
天草下島は面積574km²で延岡市の868km²よりは狭いが、大きな島である。国道を走っている分には島と言う感じはしない。
海岸を走ると、対岸に島原半島がすぐそこに見える。

下:道の駅「有明」から島原半島を見る。右側に湯島。
道の駅有明から
道の駅有明から posted by (C)オトジマ

下:雲仙岳には雲。
道の駅有明からstyle="border:0" />
道の駅有明から posted by (C)オトジマ

宇土半島の突端、天草五橋の1号橋の下に三角西港がある。明治時代に作られた築港であるが、鉄道が届かずに廃れていた。今、文化財として整備され観光客を集めている。
三角西港
三角西港 posted by (C)オトジマ


三角西港
三角西港 posted by (C)オトジマ

下:築港記念館。カフェとして使われる。NHK「坂の上の雲」ではこの岩壁と建物でロケが行われた。
三角西港
三角西港 posted by (C)オトジマ

下:明治の石工はじつにしっかりした仕事をしている。
100年以上経過しているがびくともしていない。
三角西港
三角西港 posted by (C)オトジマ

下:旅館「浦島屋」のレプリカ。よく見ると新建材。残念!今はカフェと資料室。観光客はみなこの建物の前で写真を撮る。つまり歴史的な街並は今からでもどこでも作れるということ。ヨーロッパの古い街並だって戦後復興で復元されたものも多いわけで、昔の建物がなくたってレプリカでぜんぜんかまわないわけだ。ここも国道沿いにもっと建物を作るなり、移築するなりしてさらに充実させて小樽を凌駕して欲しい。海のそばのレトロな街並はなかなかないものだ。
三角西港
三角西港 posted by (C)オトジマ

下:高田屋回漕店。明治時代の回漕問屋。内部に自由に入れるががらんどうで何も無い。畳の部屋がたくさん。
三角西港
三角西港 posted by (C)オトジマ

下:龍驤館(りゅうじょうかん)。
三角西港
三角西港 posted by (C)オトジマ

国道ぞいに街並があるが、これはありきたり。交通量が多いので国道を渡る気がしないのであるが、国道の向こうの山の中腹にもいくつかの保存施設があったのである。国道の西港手前からトンネルを掘ってショートカットすれば国道は岬の突端を回らずに短縮され、三角西港は安心して歩ける観光地になる。トンネルはだかだか300mくらいで済むはずだからたいした工事ではない。名案と思うがなぁ。(クリックで拡大)


宇土半島の住吉という海岸で見かけた不思議な光景。
海の中に電柱の列が伸びている。干潮時には道路が姿を現す。沖合いの突端に船着場があるという。海床路というらしい。このあたりはきわめて遠浅の海岸で、アサリ漁がさかん。遠景は雲仙。
肥後長浜
肥後長浜 posted by (C)オトジマ

下:焼酎二階堂のCMに使われた。






より大きな地図で 住吉 海床路 を表示




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口之津から鬼池

  • 2011/09/26(月) 00:05:05

島原半島南端に口之津港がある。観光案内では「海の資料館」「国立口之津海上技術学校」があり、昔から船員の町という。戦国期には南蛮貿易やキリスト教布教の基地になり、明治期には三池炭鉱の石炭積出港として賑わったが今は寂れたフェリー港であるる。明治期に1万人を超えた人口が100年以上経過した今、6000人程度。

ここから天草下島の鬼の池にフェリーがでている。島鉄フェリーである。普通車で2740円。高くは無い。

下:5kmほどを30分で結ぶ。予約できないが、45分間隔なので大体乗れるだろう。
口之津港
口之津港 posted by (C)オトジマ
下:島原半島と口之津港。
口之津
口之津 posted by (C)オトジマ

下:口之津港の南に突き出た小さな半島はなだらかな丘で段々畑に覆われている。いまどき段々畑はなかなか見ない。
この半島の最高峰が標高100mもない烽火山(のろしやま)である。面白い名前だな、と思ってググってみたらこんな記事がある。
なんと大昔、飛鳥時代、白村江の戦いの後、大陸からの侵攻を警戒した朝廷は西日本各地と畿内を結ぶ通信網であるノロシの中継システムを構築した。ここ口之津は長崎半島野母崎と大宰府を結ぶ中継点であったという。地図を見ると野母崎と口之津は直線で30km以上あるが、ケムリを確認できたんだろうか?この日フェリーから見た野母崎はおぼろにかすんで見えた。

調べてみると日本各地にノロシ台の遺跡があって、各地で復元実験をしている。種子島での本格的な実験はココ。学術的な解説のサイトがないかと調べたが、なかなか見つからない。ただし文書、書籍ならある。ココにはノロシについて簡略であるが面白い記事がある。
ココでは「古代山城サミット」でのノロシの実験の動画が見れる。ノロシは雨が降っても風が吹いてもうまくいかないのでそうそううまくはいかなかったなんじゃないか?

北九州の古代史遺跡には朝鮮半島からの侵略に備えるものが随所にある。水城や大野城などは知っていたが、こんなすごいシステムがあったとは知らなかった。いずれにせよ古代史の面白い一面である。こんど行く機会があったら是非烽火山に登頂してみたい。といっても数分で頂上らしいが。
口之津港
口之津港 posted by (C)オトジマ

下:鬼池港。鬼池(オンノイケ)は小さな漁村である。
鬼の池港
鬼の池港 posted by (C)オトジマ

鬼の池港
鬼の池港 posted by (C)オトジマ

鬼の池港
鬼の池港 posted by (C)オトジマ

下:醤油醸造所。マルイケ醤油。
鬼の池港
鬼の池港 posted by (C)オトジマ

下:鬼の池は古い情緒を残す漁港だ、とどこかのブログで読んでいてかねてより訪ねてみたかった所である。しかし、松合みたいな古い街並はない。二、三の朽ちかけた古い家屋を見た以外はありきたりの集落であった。
鬼の池港
鬼の池港 posted by (C)オトジマ

下:どこかに「鬼の池の久助どん」の御殿でもないかと探したのであるが、まぁ、あるわけないのである。
鬼の池港
鬼の池港 posted by (C)オトジマ

「鬼の池の久助どん」でググっても島原の子守唄の歌詞関連しか出てこない。史実ではないのだろう。
島原の一揆に天草が呼応したのはその近さで、ほとんど同一の生活圏だったのだろう。なんとなく県が違い離れたところという先入観があったのだが、来て見て「島原天草一揆」という呼称が実感できた。島原の子守唄に具体的な地名として出てくる鬼の池も島原半島から目と鼻の先。ちなみに歌詞中にある「梨の木」はググっても歌詞以外にまったく見当たらないところを見ると架空の地名か。

島原の子守唄をご存じない方のために、ここで歌詞を採録しておく。関連の過去エントリに記事あり。

1
おどみゃ島原の おどみゃ島原の 梨の木育ちよ
何のなしやら 何のなしやら 色気なしばよ しょうかいな
はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい 鬼の池ん久助どんの 連れんこらるばい


帰りにゃ寄っちょくれんか 帰りにゃ寄っちょくれんか あばら家じゃけんど
唐芋飯や 粟ん飯 唐芋飯や 粟ん飯 黄金飯ばよ しょうかいな
おろろんおろろん おろろんばい おろろんおろろん おろろんばい


山ん家はかん火事げなばい 山ん家はかん火事げなばい サンパン船はヨロン人
姉しゃんなにぎん飯で 姉しゃんなにぎん飯で 船ん底ばよ しょうかいな
泣く子はガネかむ おろろんばい アメガタ買うて ひっぱらしゅう


姉しゃんなどけいたろうかい 姉しゃんなどけいたろうかい 青煙突のバッタンフル
唐はどこんねき 唐はどこんねき 海のはてばよ しょうかいな
はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい おろろんおろろん おろろんばい


あん人たちゃ二つも あん人たちゃ二つも 金の指輪はめとらす
金はどこん金 金はどこん金 唐金げなばい しょうかいな
嫁ごんべんな だがくれた つばつけたら あったかろ


沖の不知火 沖の不知火 燃えては消える
バテレン祭りの バテレン祭りの 笛や太鼓も鳴りやんだ
おろろんおろろん おろろんばい おろろんおろろん おろろんばい








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原城近辺

  • 2011/09/25(日) 00:09:03

島原城に行けば次は自動的に原城になる。
島原天草一揆は江戸時代最大の動乱である。私が縷々述べるよりココに要領よく解説があるので参照。
これに恐れをなした幕府は鎖国に踏み切るわけだから、その後の日本の歴史を大きく左右した事件である。ということは常識で知っているわけであるが、私の知識にはそれ以上の詳しい肉付けはあまりない。評判の本、飯嶋和一 著『出星前夜』を読みかけていたのだが、話のつらさに途中で放り出した。いずれ再挑戦しなければ。

下:この写真で見ると城には見えないかも。
原城
原城 posted by (C)オトジマ

石垣はどれも上半分くらいが破壊されている。
原城
原城 posted by (C)オトジマ

原城
原城 posted by (C)オトジマ

下:本丸跡広場から南方、口之津方を見下ろす。遠景は天草。すぐそこである。
原城
原城 posted by (C)オトジマ

原城
原城 posted by (C)オトジマ

下:ホネカミ地蔵。立派なニワトリが城に住み着いている。
キツネやイタチはいないんだろう。
原城
原城 posted by (C)オトジマ
原城は城としては建物はないし、石垣も残っている部分は驚くようなものではないし、周囲は畑や雑木林。予備知識なしに来たらかなりつまらない所だ。400年前に3万5千人のキリシタン農民が籠城戦の末に全滅した、という悲劇を念頭に置けばこそ雑草にも、苔むした石垣にも深い感慨がある。

下左:本丸広場に立つ天草四郎。北村西望作。予備知識無ければ絵本から出てきた桃太郎にしか見えない。北村西望はここ南有馬町出身で、近所に北村西望記念館もある。
下右:広場にあった石像。サルの親子に見えるが?


下:谷水棚田から原城を遠望する。小さな丘にすぎない。城跡の手前は南有馬町。海上にある島は湯島、その向こうは熊本県宇土半島。湯島は談合島とも呼ばれ、乱の時、天草方と島原方の作戦会議が開かれたという。
谷水棚田
谷水棚田 posted by (C)オトジマ

そもそもこの場所が南有馬というところであるし、島原の乱以前のここの領主は代々有馬氏であった。有馬氏は江戸時代はじめの当主、有馬晴信が岡本大八事件で幕府から刑死、改易させられたのでるが、息子、直純は家督相続を許され、延岡に転封となった。だから我が郷土、延岡とは縁があるのである。ただし有馬氏はその後、糸魚川、丸岡に移動している。延岡市は有馬氏の縁で丸岡町と姉妹都市であった。いわき市と姉妹都市なのは内藤氏の縁。

下:原城の麓の南有馬町の町内。古い集落。今は南島原市となっている。この市域のほとんど全住民が原城に籠もり全滅したわけだから、現在の市民はあのキリシタン一揆軍とは無関係なのである。よそから移住してきた人々の子孫である。
小豆島からの移民も多かったとか。だから「そうめん」の生産が盛んなのだろう。島原そうめんの組合のサイトを見ると全然別の由来が書いてあるが、司馬遼太郎は小豆島由来と言っている。


下:原城のある海岸部から内陸部に向けなだらかに丘陵が続く。一面の段々畑や水田である。じゃがいもの産地らしい。
島原半島にはいくつか棚田の名所がある。南有馬には「谷水棚田」がある。有明海や原城を見下ろせる絶景である。
棚田は田が緑の頃がよさそうだ。この日は彼岸花も盛り。
谷水棚田
谷水棚田 posted by (C)オトジマ

谷水棚田
谷水棚田 posted by (C)オトジマ

谷水棚田
谷水棚田 posted by (C)オトジマ

下:これはジャガイモ畑かな?
谷水棚田
谷水棚田 posted by (C)オトジマ
下:もう稲が黄色く実りつつある。
谷水棚田
谷水棚田 posted by (C)オトジマ
下:棚田の中の仏と墓。江戸時代に遡るものであるが、移住者による開拓なのでキリシタンの匂いは全く無い。
谷水棚田
谷水棚田 posted by (C)オトジマ

ココに坂口安吾が原城紀行を書いている。戦前のものだから今とはまた違った島原半島の雰囲気を伺えるのが面白い。

家に帰って司馬遼太郎の「街道を行く・島原天草」を読んでみた。本来は事前に読んで予習の上訪ねるといいのだがいつも復習で知見が広がるパターン。司馬遼太郎は1980年頃にこの紀行を書いている。今から30年前だが、歴史をたどるわけだから今読んだって全然時代遅れではない。私もおおむね彼のたどったルートを走ったことになるが、彼の浩瀚な歴史知識からは400ページに及ぶ一冊が生まれた。いつも疑問に思うがネットの無い時代に彼はどうやって微に入り細を穿つ関連知識を仕入れていたんだろうか?それはさておきこの一冊を読むと島原の乱を中心としたこの地域が概観できて大変よくわかって面白い。お薦めである。

※一部彼の論の誤りを見つけた。オイスターのカキを「セッカ」、カエルを「ドンク」というのは島原地域独自の方言として
いるが、延岡でもまったくそうであったから、九州ではひろく使われた方言だろう。

下:『出星前夜』は島原の乱を丹念に描いた近年の評判作。
「魔界転生」は島原の乱を発端とする山田風太郎忍法帖の最高傑作。








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島原港近辺

  • 2011/09/24(土) 00:10:18

この日の2日前、9月16日放送のNHK-BS、新日本風土記で「雲仙・島原」があったのをたまたま見ていた。その中で有明海に昔から伝わる漁法、石干見(スクイ)が紹介されていた。
海岸に満潮時には隠れる石垣の堤防で囲いを作り、干潮時にその中に取り残された魚を捕まえるという単純な漁法である。

下:たまたま海を目指して車を走らせて行き当たったところがそのスクイのある場所であった。
島原市に残るスクイ
島原市に残るスクイ posted by (C)オトジマ
その放送を見ていなかったら見過ごすところであった。
かつてはたくさんあったというが、他の漁法の進歩やノリ養殖場の確保のため廃れてしまった。これは2006年に懐古的に復活されたものである。

下:海岸近くに島原鉄道南島原駅があった。現在の終点、島原外港の一つ手前である。島原駅はお城みたいな和風建築であるが、こちらはレトロな洋館風。やがて100年経つからこちらのほうが古い建築である。半分は薬局として使われている。あの正面入り口は薬局。
島原鉄道、南島原駅
島原鉄道、南島原駅 posted by (C)オトジマ

下:うっかり電車といってしまいそうだが、気動車。あざやかな黄色に子守少女のキャラクターが描かれる。残念ながらいただけないデザイン。地味だがスッキリした塗色にして欲しいな。もちろん子守はナシで。「島原の子守唄」が島原鉄道社長だった宮崎康平の作だからといって、この歌の悲しさと楽しげな子守少女のキャラクターにはギャップがある。
島原鉄道、南島原駅
島原鉄道、南島原駅 posted by (C)オトジマ

下:どうやら「おどみゃ島鉄」というキャラクターらしい。まんま「おどみゃ島原の〜」という子守唄の冒頭部分。


南島原駅
南島原駅 posted by (C)オトジマ

下:いかにも斜陽感ただようホーム。
南島原駅
南島原駅 posted by (C)オトジマ

下:こんな貨車が。なんの救護?事故時のためか。
島原鉄道、南島原駅
島原鉄道、南島原駅 posted by (C)オトジマ

下:南島原駅近辺の漁村、湊町。
南島原
南島原 posted by (C)オトジマ

下:有明海という内海、さらに島影の漁港は湖のように波静か。
南島原
南島原 posted by (C)オトジマ

下:ここらは九十九島(つくもしま)というらしい。佐世保の九十九島、あるいは松島のようにも見える。島原大変肥後迷惑の時、眉山の大崩落の岩が海にまで達してこのような島々を作ったとか。
すさまじい大災害は二百数十年の時に洗われて美しい景観となった。
南島原
南島原 posted by (C)オトジマ

下:カヌーやカヤックで遊ぶと楽しそうだ。ここいらには観光客が来て散策するような場所が無いのが奇妙。
南島原
南島原 posted by (C)オトジマ

下:島原という土地柄か、こんなどんづまりの漁村に教会が。建物は新しい。日本キリスト教団島原教会。プロテスタントだから昔のキリシタンとはつながりがないか。



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島原城と近辺

  • 2011/09/23(金) 00:02:53

数十年前に島原には来たことがあるはずだが、ほとんど記憶がない。人口たかだか5万人の田舎の小都市が有名なのは、まずあの立派な城、そして普賢岳の噴火災害である。松倉4万石の城。延岡7万石と比べ物にならぬくらい立派な城である。ということは延岡にもこのくらいの模擬城を作ってもそう不自然でもないんじゃないか。

下:ありきたりの写真となる。現在はセメントの城。明治維新時の廃城令で壊されたのがくれぐれも惜しい。車を天守まで上げないほうがいいんじゃないか?車から20mも歩けば天守というのでは有り難味が無い。
島原城天守
島原城天守 posted by (C)オトジマ

下:天守からみる眉山。眉山は1792年の島原大変肥後迷惑の時に山体崩壊して海までなだれ落ち、大津波を起こした。眉山の背後に雲仙岳。最高峰は今は平成新山と呼ばれる。いまだに湯気が上がっている。
島原城天守から眉山、普賢岳
島原城天守から眉山、普賢岳 posted by (C)オトジマ
たかだか4万石の小さな藩に不相応の立派な城の普請が苛斂誅求の原因となり島原天草一揆を招いたともいわれるが、今ではその城と島原の乱はともに重要な観光資源となっている。エジプトのピラミッドはとっくに投資を回収しているだろうが、この城も原価償却済みなのではないか。
この天守は建設以来50年を経ている。仮に入場料が現在と同じ500円、入場者が年20万人とすると、50年間で50億円。さらに駐車料金も徴収するし、周囲のみやげ物店、飲食店、宿泊施設への波及効果を考えると、城の復元は十分儲かるんではないか。日本三大名城の熊本城と同じ入場料というのはいささか高いんじゃないか?
※ 城の入場者数は普賢岳噴火以前は年30万人ほどあったが、噴火後、島原観光が落ち込む中で激減し、現在は年15万人くらいである。リピーターが期待できないのも減少の一因ではないだろうか。

下:おなじみの武家屋敷街。ここも周回路ではなく行って引き返す。つまらないから帰りは一つ西側の筋を通って駐車場まで帰った。神代と同じく、石垣の塀を見て昔を偲ぶタイプ。電柱がない。舗装されてない。真ん中に水路がある。驚くのはこの通りに面して車庫を持っているお宅があること。どうやって車を持ってくるんだ?かなりのドライビングテクが要求される。
島原武家屋敷街
島原武家屋敷街 posted by (C)オトジマ

下:ここの武家屋敷街は一区画90坪という。現在の住宅地としては十分広いが、昔としては中下級武士。御徒町(おかちまち)だったのである。公開されている3軒の屋敷はいずれも藁葺き屋根。
島原武家屋敷街
島原武家屋敷街 posted by (C)オトジマ

下:屋敷の座敷では当主が読書中。何を読んでるか見てみたら何やら漢籍のようだった。3軒の公開住宅にはすべて人形が置いてあり、昔の生活を再現している。


下:水路の通りと直行する街路。石垣が見事。
島原武家屋敷街
島原武家屋敷街 posted by (C)オトジマ
下:一本ウラの通りで。古来の石垣にモダンな家。屋根は古い本瓦。凝った作りだ。良いセンスと十分なお金が両立しないとできない。
島原武家屋敷街
島原武家屋敷街 posted by (C)オトジマ
下:武家屋敷街の中で奇妙に素敵な洋風な植栽。
島原武家屋敷街
島原武家屋敷街 posted by (C)オトジマ

下:水路のある通りは景観保存地区だと思っていたら、こんなとんでもなく場違いな建物もある。とかく住民の善意とセンスに依存していたら絶対に修景は不可能。放置していたらすべて立て替えられるのではないか?


下:廃屋もある。この通りは島原の客間にあたる。外国語の案内表示もある。修景の見地からなんとか行政のすばやい対応が必要なはず。


下:これは城の堀ばたにある図書館。伝統と近代の融合。
図書館
図書館 posted by (C)オトジマ

下:この日の3日前、9月14日放送「ジャパーン47ch」でたまたま島原の名物料理「具雑煮」を見ていた。島原城のまん前に具雑煮の店があるので寄ってみた。店の人に聞くとまさにこの店、「姫松屋」がそのロケ地だという。出る時に気づいたが店の前に顔出し写真ボードが置いてあった。
具雑煮
具雑煮 posted by (C)オトジマ

下:城のすぐそばの姫松屋。中は広い。価格はリーズナブル。駐車場あり。
具雑煮
具雑煮 posted by (C)オトジマ

下:土鍋の雑煮。淡白な味だが、結構腹にたまる。
具雑煮
具雑煮 posted by (C)オトジマ

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神代小路--2

  • 2011/09/22(木) 00:03:36


上:1947年の神代小路の航空写真。(クリックで拡大)
北側と西側は神代川を堀としている。東側の山は鶴亀城跡。この城は元来は地元の豪族神代氏の城であったが江戸時代初期に一国一城令により破棄されたので鍋島氏の城ではない。屋敷の中には農地あるいは家庭菜園になっているものもある。戦中戦後だからかも。

人気のない神代小路を歩いてみる。
人家は江戸時代のものというわけではないのでほとんど石垣の塀を見て回る感じである。各々が広い区画の屋敷であるが田舎の農村地帯だから、敷地を区分し庭を潰して新築したり、アパートを建てたりが無いのがいい。豪邸はないが緑豊かな屋敷街である。藁葺き屋根の形のトタン葺きの家があるところを見るとかつてはすべて藁葺きだったのだろう。島原の武家屋敷街の保存住宅はいずれも藁葺きである。

ここには既述のように土産物やも喫茶店も蕎麦屋も骨董屋もギャラリーも、およそ古い街並にありそうな店舗は一軒も無いところが気持ちよい。しかし、せっかくの観光資源にお金を落とすシステムも全く無いのである。観光客としてはいささか心苦しい。

下:塀の下に小さな水路。水はキレイだから家庭排水の側溝ではない。魚が泳ぐ。鯉には浅すぎる。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

下:、袋小路だから通過車両はないし、路駐もない。ゆっくり散策できる。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

下:住民だって車を持っている。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

下:アスファルトを石畳にするとよさそう。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

下:丸石の石垣。薩摩の武家屋敷のようだ。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

下:ここの石垣は切り込みはぎ。高くついている。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

上下:これで一軒の屋敷の石垣であるからその広さがうかがえる。
中には廃屋寸前の古い家があり、老婦人の一人暮らしのようであった。老人一人でここを維持するのは不可能。廃墟になる前に行政の援助を。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

上下:かつては藁葺き屋根だったものを、トタン葺きにしたようだ。藁葺きもまた個人で維持するのは不可能。行政の力で藁葺きに戻すか、せめてトタンの色を何とかして欲しい。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

下:トタン壁の家もある。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

下:目をむくような「豪邸」もあるが、そのピカピカ石材の門柱や舗装された庭は周囲の古い情緒とはなはだしい違和感がある。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

下:一角にはアパートもあった。景観より生活や営利優先になるのは避けがたい。住民の善意にだけ頼っては景観維持はできない。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

下:歴史資料館。よくみたら新建材。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

下:なにやら発掘作業。かなり広い。江戸時代の遺構、遺物が出るとか。
発掘が住んだら、何ができるんだろうか。くれぐれも景観ぶちこわしにならないことを願うのみ。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

下:武家屋敷街から神代川を渡った神代の町の中。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

下:散策マップ。(クリックで拡大)「現在地」のところに駐車場がある。本小路の先端は袋小路で周回路になっていないのでなんとかしてほしいところである。今後、ここがさらに美しい歴史的警官保存地区として整備されることを期待したい。鍋島邸の修復ができたころ再度訪れよう。





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神代小路 鍋島陣屋

  • 2011/09/21(水) 00:20:14

島原半島北部、高校サッカーで有名な国見町に神代(こうじろ)という地区がある。コンピューターメーカーのフロンディアはかつて「神代」というブランドで売っていたが、こことは無関係。

かつてここは佐賀藩の飛び地で神代鍋島家の所領であった。5000石ほどであったというから大名というほどではない。
ここには城ではなく陣屋が残っていて、周囲には小規模な武家屋敷街がある。海岸の国道沿いに小規模な町がある以外はほとんど農村である。農村のなかにあるので、江戸時代のままの区割りと石塀がそのまま奇跡的に残存しているものだろう。

神代小路と書いてコウジロクウジと読ませる。島原の武家屋敷街は有名であるが、コチラは知名度が小さいので3連休というのにほとんど観光客がいない。小一時間ほど散策したがだれにもすれ違わない。地域住民ですらあまり見当たらない。土産物やも自販機もない。鍋島屋敷で200円の入場料を取られた以外にお金の落としようがないのである。

下:鍋島陣屋近辺。石垣が素晴らしい。作りやデザインは屋敷によってさまざまなバリエーションがある。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

下:鍋島陣屋近辺
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

下:鍋島屋敷玄関。屋敷内は公開されていない。庭は散策できる。
神代小路
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下:鍋島屋敷。このあたりは明治期の建築。
神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ

神代小路
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神代小路
神代小路 posted by (C)オトジマ



鍋島陣屋
鍋島陣屋 posted by (C)オトジマ

下:庭園の丘の上から見下ろす。遠方は雲仙の山の裾野。
鍋島陣屋
鍋島陣屋 posted by (C)オトジマ

下:庭園は裏山に続く。広い芝生がある。すぐそばに堀がわりの河口があるのでやたらカニが多い。カサカサとそこらじゅうを歩き回る。
鍋島陣屋
鍋島陣屋 posted by (C)オトジマ

下:一部修復中。
鍋島陣屋
鍋島陣屋 posted by (C)オトジマ

下:立派な長屋門があるのであるが、残念ながら解体修理中。完成は平成25年だから大分先。
鍋島陣屋
鍋島陣屋 posted by (C)オトジマ

下:修復中の長屋門。残念。ここに来られる予定の方は完成を待ったほうがいい。2年先であるが。
鍋島陣屋
鍋島陣屋 posted by (C)オトジマ


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七木地蔵

  • 2011/09/20(火) 00:33:49

久留米のB級グルメ、「大砲ラーメン」(長門石店)を食べに行ったついでに近所の七木地蔵に詣でた。



大砲ラーメンは混んでいた。私にはやや塩辛い。特筆するほどの味でもないような気がするが、ラーメンなんてどんな名店だってこんなものだろう。最近はあちこちに支店が増えているようだ。


七木地蔵は久留米市長門石の住宅街の中にある寺院のような場所。
地蔵やら何やらいろんな仏像があってどれが本尊やらわからない。
以前に訪れた時、人々の生々しい祈願がとても印象的だった。



下:人々の切実な願いは多岐にわたる。病気、健康、悩み、就職、学業など。願いを多数記入して貼り付けておく。人によっては大学ノートに数十ページも書き付けた束を貼り付けている。それを書く間に逆に腱鞘炎になって健康を損なうのではないかと心配になるくらいだ。




下:左の壁にはたくさんの願いを書いた紙片やら封筒が貼り付けてある。



下:体のいろいろな部位の木形を奉納し、治癒を願う人もある。
なでまわされて色つやが出ている木形もある。



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夏の田染荘 拾遺

  • 2011/09/16(金) 01:49:15

せっかく間戸に来たのだから、お気に入りの神社、二宮八幡社に寄ってみた。

いつもの立派な仁王がお出迎え。

送信者 20119月田染荘

下:去年の秋の様子。緑の中の仁王もいいが、やはり紅葉のインパクトはないようだ。


下:緑の中ノ二宮八幡社
送信者 20119月田染荘

下:昨年秋、紅葉の二宮八幡社
送信者 国東半島の秋-2010


下:手水舎の水盤は裏の間戸岩屋の岩である凝灰角礫岩でできている。特異である。
送信者 20119月田染荘


下:三宮八幡社の狛犬。上は二宮八幡であるが、三宮八幡は鍋山磨涯仏のそばにある。県道34号は南から北上すると三宮八幡から先が田染荘となる。


下:夕日観音そばの石仏。
送信者 20119月田染荘


下:萩原朔太郎の「郷愁の詩人 与謝蕪村」は歴史に残る名著である。素人は俳句だけがズラズラ並ぶ句集を読んでもピンと来ないものだが、この本には朔太郎の選んだ名句だけが取り上げられ、読むとその情景が目に浮かび、蕪村の素晴らしさが身に沁みる。実は蕪村もさりながら朔太郎の解説が素晴らしいのである。俳句に興味ない人にこそお薦め。私は高校生の頃読んで感動して以来、何度か読んだ。それ以降、折に触れ蕪村の句が口を突いて出る。しかし依然として俳句には門外漢であるが。

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