豊後高田の古い商家

  • 2011/11/30(水) 00:05:27

豊後高田は近年昭和レトロをテーマとして観光客を集めている。高田自体が商業都市として栄えたのは昭和30年代までだろう。その後は時代に取り残されたさびれた町になったのを逆手にとって、観光資源にしたもの。たしかに昭和の街並がよく残っている。よくぞいままで生き延びたものだ、と思うくらい。古い建物も多く残っている。

豊後高田
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豊後高田
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豊後高田
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下:旧共同野村銀行跡。戦前、豊後高田に君臨した地元の財閥野村家の金庫がわりだったという。野村家は700町歩の田畑を持つ大地主。戦後の農地改革で没落したもののようだ。この建物の前に広い屋敷跡がある。ここに観光施設を作る案があるという。それよりも屋敷を復元して欲しいな。双葉山はご当地の英雄で建物内では写真展をしているが、双葉山を同時代のスーパースターとして見た世代は戦前世代だからかなりの高齢。戦後世代にとってはピンと来ない。王、長島、大鵬、美空ひばりを合計したくらいのスーパースターか。
豊後高田
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豊後高田
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下:映画館は現役ではなく、現在は自転車屋。これ自体が映画のセットのようである。
豊後高田
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豊後高田
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下:洋菓子店
豊後高田
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豊後高田
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豊後高田
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下:どこにでもあった商店街もしだいに過去のものになりつつある。
豊後高田
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下:駅通り商店街とあるが、駅は大昔に廃止されている。商店街はその後40年間もしぶとく生き残っている。しかしうらびれ感はまぬがれない。旧駅前に「昭和ロマン蔵」ができたので人通りは多少は回復したのかもしれない。
豊後高田
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下:大分交通宇佐参宮線の駅跡は大分交通のバスターミナルになっている。かなりの荒れ果て感がただよう。昭和30年代までは大変賑わったらしいが。
豊後高田
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下:昔はここはホームだったと思われる。
豊後高田
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杵築 秋色

  • 2011/11/29(火) 00:13:30

秋ごとに杵築に来るようになった。
さすがにはじめて来た時のような感動はないが毎度「いいところに来た」という満足感はある。今年は娘を案内した。これで紅葉が盛りならばいうことはないのであるが。

下:資料館裏口。ツワの花はやや盛りを過ぎ、モミジはまだまだ。
2011 秋 杵築
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下:能見家の庭。今年も縁側でお茶をいただく。
2011 秋 杵築
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下:コーヒーとケーキで500円。ここの庭をゆっくり見ながらであるから、高くない。娘は大感激していた。
2011 秋 杵築
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下:能見家の縁側。庭は樹木が少なくスッキリしている。
国東 2011 秋
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下:磯谷家の玄関の花。いつも印象的である。
2011 秋 杵築
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下:勘定場の坂にあるステキな土塀。割れたカワラの埋め込みが絶妙である。
国東 2011 秋
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下:上のお宅の塀。屋根にオキザリスが可憐に咲く。ここの庭も公開されるといいのであるが。カフェにするとよさそう。
2011 秋 杵築
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下:大原家
2011 秋 杵築
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下:大原家では着物貸し出し中。着物姿で町を散策するご婦人方もここで借りたもののようだ。南台の中根邸でも同様のサービスをしていた。かわいい娘さんたちもきれいな着物にご満悦。2000円でコスプレできたら高くはない。町を歩けば観光客たちの視線が集まる。気持ちがいいだろう。NHK「昼ぶら」をみていたら萩でも同じことをしていた。観光客全員が江戸時代のコスプレをするというのもたのしいだろうなぁ。
2011 秋 杵築
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下:杵築の魅力は古い土塀にある。手前は藩校跡。向こうは能見家。
2011 秋 杵築
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下:せっかくの土塀をセメントで補修するとはあまりにも無神経。ヒビや剥落はほったらかしの方がよっぽどいい。古いからこそ価値があるのである。この塀は塗りなおしてからほどないが、古色を得るには時間がかかる。英国庭園ではweathered(ウェザード)と言って古色があることが重要視されるとか。
2011 秋 杵築
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下:市役所横の居酒屋。新しい建築であるが、泥団子で作った面白い壁。がんばって100年後まで残して欲しい。
2011 秋 杵築
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寅さんと杵築 志保屋の坂

  • 2011/11/28(月) 00:05:53



男はつらいよ30作 花も嵐も寅次郎」《1982年》では、沢田研二演じる三郎は養徳寺に参ったあと、車で志保屋の坂近辺でバッタリと寅さんに出会う。寅さんは田中裕子演じる蛍子といっしょである。映画の中でも実生活でも沢田は田中に恋心を抱き、後日結婚する。

下:30年前のブルーバードに乗る三郎が蛍子に出会う。養徳寺から帰路につくのにここを通る必然性はないの。当時はこの坂を車で通過できたようだ。今はできない。

下:メガネをかけてわざと野暮ったくしているが田中裕子


下:志保屋の坂の看板が見える。現在はない。


下:三郎が恋する人に出会ったと喜んだのもつかの間、そこに横から寅さん登場


これは30年前だから、下の通りの拡幅以前で、古い商店街が残っていたはず。四番目のスクリーンショットを見ると坂ノ下のこちら側に大きな瓦屋根が見える。今は空き地になっている。左端の家も今は新しくなって和菓子屋になっている。
昔の家並が見られない今が残念である。
スクリーンショットにあるダサイ白のガードレールや緑の金網フェンスはなくなっているし、電柱もなくなっている。坂道も石畳できちんと整備されて、言って見れば昔の面影はなくなってこぎれいになったのだろうが、昔を知らないので良くなったのか悪くなったのか微妙なところ。

杵築
杵築 posted by (C)オトジマ

下:資料館への道と曲線的な土塀も映画当時はなかった。
国東 2011 秋
国東 2011 秋 posted by (C)オトジマ

下:志保屋の坂の反対側の酢屋の坂を見る。
2011 秋 杵築
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下:酢屋の坂の下にある綾部味噌醸造元。もともとはここに志保屋という商家があったという。
2011 秋 杵築
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下:酢屋の坂
国東 2011 秋
国東 2011 秋 posted by (C)オトジマ

下:ヤフーマップを見ていたら、航空写真がどうやら道路拡幅以前の撮影のようだ。通りの幅が狭く道路沿いに家が密集している。志保屋の坂下には大きな屋根が見える。綾部味噌醸造元より大きな建物だ。残しとけばよかったのに。それにしてもえらく昔の写真を使っているものだ。グーグルマップでは杵築の詳細画像はない。


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杵築  養徳寺

  • 2011/11/27(日) 00:05:20



「男はつらいよ30作 花も嵐も寅次郎」《1982年》で杵築の養徳寺が出てくる。沢田研二演じる青年が父の墓参りに行く、という設定。30年前は彼もまだ青年で通用した。
映画で見る限りではとりたてて言うほどの寺とも見えなかった。単に寅さんに杵築の古い街並を歩かせたかっただけで、近所の寺を選んだだけなのだろうか?

下:映画からのスクリーンショット。紅葉が本物ならば11月か12月の撮影。正月映画である。手前のくずれかかった土塀に注目。


下:映画より。いまではこの畑は駐車場になっている。鐘撞き堂も現在はないが、山門は現在と同じ。


養徳寺は杵築の南台武家屋敷街から近く、寺が集まるところにある。大きな寺だが、看板がないのでややわかりづらい。
ほぼここだろう、とめぼしをつけて入ってみた。カトリック教会の裏である。

下:まだ若い杉並木がいただけない。広葉樹にしてほしかった。
養徳寺
養徳寺 posted by (C)オトジマ

下:廃墟然とした土塀が歴史を感じさせる。いい雰囲気だ。
養徳寺
養徳寺 posted by (C)オトジマ

養徳寺
養徳寺 posted by (C)オトジマ

下:山門をくぐるとすぐに巨大な墓石が目に入る。杵築藩主、松平氏の墓。藩主の菩提寺なら立派な訳だ。
養徳寺
養徳寺 posted by (C)オトジマ

下:写真ではわかりづらいがこの墓石もかなり巨大。たぶんこれも藩主のものか。
養徳寺
養徳寺 posted by (C)オトジマ

下:墓地には江戸時代のものと思われる古い墓石群が団体で無縁墓と化していた。今の真新しい墓が無縁墓になるのはもっと早いだろう。立派な墓を作るむなしさを痛切に訴える光景である。後世の人が処分に困っている。私には墓石なんていらない。
養徳寺
養徳寺 posted by (C)オトジマ

下:コチラが現役?の墓。お参りの人が花を供える。ピカピカのベンツで墓参りに来ていた老夫婦がいたので。ここが寅さん撮影が行われた寺か尋ねたら、間違いなかった。「ここはお殿様の寺なんですよ。古くなっているいるのが残念ですけれども」と言われた。いやいや古いからいいんですよ。
養徳寺
養徳寺 posted by (C)オトジマ

下:古い土塀がなんともいえず情趣がある。
養徳寺
養徳寺 posted by (C)オトジマ

下:「古色をよく保存している」のか「単なるほったらかし」なのかは知らないが私はこのくらいの荒れ具合が絶妙だと信じている。
養徳寺
養徳寺 posted by (C)オトジマ

養徳寺
養徳寺 posted by (C)オトジマ

下:観光地化されていない寺にもすばらしい所があるもんだ。さすが山田洋次監督は目の付け所がいい。まぁ、これを「ステキだ!」と見るか「キタナイ」と見るかは主観によるので人それぞれ。私は自分の審美眼を信じているが。
養徳寺
養徳寺 posted by (C)オトジマ



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国東の仁王

  • 2011/11/26(土) 00:08:09

今回はいくつかの仁王に出会った。両子寺の仁王は以前に一度触れたが、再度アップする。

下:参道にあるおなじみの仁王。両子寺の名物である。


下:奥の院の上がり口にあるもの。やや小ぶりで参道のものより古いだろう。
国東仁王
国東仁王 posted by (C)オトジマ

下:霊仙寺にも2セットある。これは境内で、巨大な地蔵の両脇に立っている。
国東仁王
国東仁王 posted by (C)オトジマ

下:この地蔵は「一石から作られた地蔵としては」九州最大たとか。かなりの限定つき。安政7年作。高さ6.5m。この手の巨大石像は最近機械力を駆使して作られた安直なものが多いが、意外や江戸時代の作であった。
霊仙寺
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下:向こうの山が中山仙境
霊仙寺
霊仙寺 posted by (C)オトジマ

下:山門脇にも仁王が。珍しいレリーフタイプである。江戸時代初期の作。えらく短足。たぶんヘタクソなんだろうがおもしろい造形である。
国東仁王
国東仁王 posted by (C)オトジマ
下:霊仙寺本堂
霊仙寺
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下:都甲八幡社。この特徴的な顔はあちこちで見たような。歳大明神のものと同じ石工かもしれない。明和5年の年銘。
国東仁王
国東仁王 posted by (C)オトジマ

下:エラク臭い神社だな、とおもっていたら仁王のすぐ横に馬小屋があって、馬がコチラを覗いていた。今どき何のための馬?
都甲八幡
都甲八幡 posted by (C)オトジマ

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中山仙境の野仏

  • 2011/11/25(金) 12:15:29

中山仙境のルートの要所には野仏が祀ってあり札所となっている。私が見たのは9箇所であったが、他にもあるのかもしれない。順番に羅列するが、札所の番号はわからない。どうやら原則的に大師と観音の2体セットになっているようだ。昨日のエントリで紹介したものも含めている。

下:大正3年とあるから1914年。第一次大戦が始まった年。約100年前である。明治から大正にかけては八十八箇所や三十三箇所などの札所めぐりが各地に作られたようである。当時の農村では休日を取ってレジャーに行く、という習慣がないころで、信仰に名を借りて一日ピクニックに行くという側面があったらしい。
中山仙境
中山仙境 posted by (C)オトジマ

中山仙境
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中山仙境
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中山仙境 7
中山仙境 7 posted by (C)オトジマ

中山仙境
中山仙境 posted by (C)オトジマ

下:山頂、高城にあるもの。祠は大きくはないがそれぞれの部品は100kg以上はありそうだ。どうやってここまで担ぎ上げたものだか。材質からしてこの山頂の石で彫ったものではない。
中山仙境
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中山仙境
中山仙境 posted by (C)オトジマ

下:隠れ洞そばの岩壁に穴が穿ってある。
中山仙境
中山仙境 posted by (C)オトジマ



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夷耶馬・中山仙境 

  • 2011/11/24(木) 12:26:21

国東に夷耶馬・中山仙境というところがある。国東特有の凝灰角礫岩が侵食を受けた奇怪な岩峰が並ぶ奇勝である。
国東 2011 秋
国東 2011 秋 posted by (C)オトジマ

ネット上でここに登ったひとの記事や写真を見て、ぜひトライしてみたいものだ、と思っていたので行ってみた。

下:中央が目指す頂上の「高城」という峰。長い縦走路でアプローチする。下から見るとシロートにあれが登れるの?という不安がよぎるが、そこは下調べ済み。
中山仙境
中山仙境 posted by (C)オトジマ

今回は私と妻と娘の3人でトライ。3人とも全くの運動不足、登山の素養ゼロ。娘は若いのでなんとかなるだろうが50代後半の我々はどうだろう?私は数十年ゾーリで過ごすという生活で運動靴というものを持っていないので前日あわてて量販店で980円の靴を買ってくるわ、妻は30年以上前に一度使ったっきりという登山靴を引っ張り出すというくらい登山に縁遠い。

コースは原則として一方通行のルートで3時間ほどかかるが標高差はわずかに200mしかないというからなんとかなるのではないか?ネット上で見るとだいたいは登山愛好グループがそれらしい格好で登っているが、80近い老夫婦が登っているのを発見して安心。しかし、近年転落死事故もあったというからあなどれない。

下:麓から15分ほど杉林の中を登ると尾根に出る。運動不足には最初の15分が最もきつい。あとは鎖場こそ多々あれ、標高差があまりないので比較的ラク。写真は尾根筋の薮の中の道。紅葉はあまり見られなかった。モミジ自体が少ない。
中山仙境
中山仙境 posted by (C)オトジマ

下:尾根筋のルートでは各所に両側が断崖という所がある。低山であるがスリル満点。
国東 2011 秋
国東 2011 秋 posted by (C)オトジマ

下:ちょっとしたピークごとに石仏がある。札所である。
中山仙境
中山仙境 posted by (C)オトジマ

下:中山仙境名所の無明橋。天念寺にも両子寺にも同名の橋がある。六郷満山峰入りの修行で渡るのは天念寺の石橋
この写真ではこの橋のスリルはわからない。右側は断崖であり、落ちたら命はない。しかし左側に側道があるので怖がりの人はそちらを行けば大丈夫。どこのブログでも必ずこれを渡る写真がある。
中山仙境
中山仙境 posted by (C)オトジマ

下:頂上が近づくにつれどんどん鎖場が増える。数知れず。
雨の日とか雨の翌日は避けるべき。転落事故は雨の日だったらしい。
中山仙境
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下:頂上の高城(316.9m)直下の鎖場。
国東 2011 秋
国東 2011 秋 posted by (C)オトジマ

下:山頂の祠と石仏。中山仙境霊場めぐりの札所という看板が各所にあって、それぞれに石仏があるが、札所の番号の色が退色して見えないのが残念。
中山仙境
中山仙境 posted by (C)オトジマ

下:中央の長い尾根が来た道。遠く周防灘まで見渡せる。
中山仙境
中山仙境 posted by (C)オトジマ

下:はるか眼下に霊仙寺が見える。
国東 2011 秋
国東 2011 秋 posted by (C)オトジマ

下:頂上から下りはじめるとやがて洞窟が現れる。隠れ洞である。いくつも石仏がある。外国人の名前の木札がいくつも納められていた。別府の立命館太平洋大学の留学生だろう。
中山仙境
中山仙境 posted by (C)オトジマ

あとは杉林の中を一気に下るばかり。あとで地図を見ると狭い谷筋なのにどういうわけか道に迷い、薮の中を古い足跡をたよりにしばしさまよった。ルート各所に赤や青のテープが立ち木に巻いてあるのであるが、かなり間隔があるので、隠れ洞より下ではくれぐれも注意が必要である。

下:国土地理院地図にルートを記入してみた。(クリック拡大)

1:駐車場から川を渡ったらくれぐれも右折するべし。道は左右に分かれていてルートを示す赤テープはかなりわかりづらい。うかつに左折して20分時間をロスしてしまった。
2:尾根筋に出るところ。ここからはあまりキツイ登りはない。
3:ここらに無明橋。
5:頂上の高城。三角点あり。
6:第二のピーク。ここからは一気に下り。
7:隠れ洞
8:私達が迷ったところ。どこで道をそれたのか全く気付かなかった。正しい道には巨木の二本杉があるというが、見ずじまい。
9:舗装路に出る。
12:これはもう一つの登山口。ルートが長く、駐車場からしばし歩かねばならないので時間がある人向き。

我々のたどったルートは駐車場の案内板によれば2時間のコースとあった。道に迷わず、あまり休まなければ2時間で大丈夫そうだ。我々は2度道に迷うし、各札所で休むし、写真を撮り撮りだったが2時間半ほど。今年の最大の思い出になった楽しい登山であった。ただし、30年前にバイクでガードレールにぶつけた時のヒザの古傷が痛みはじめた。
昔、ここに札所めぐりのルートを拓いた古人、無明橋の巨石を担いで上がった石工、鎖場の工事をした方々、いろいろな人々に感謝したい。低山とはいえ人力しか使えないから想像を絶する難工事である。欲を言えば、我々みたいにすぐ迷う初心者向けに赤い誘導テープの密度をちょっと増やしてほしいかな。特に河川プール近辺の進入路がわかりにくい。「河川プール」というもののどこにもプールと思われるものはないのである。川を渡ると右に行ったらいいのか左に行ったらいいのか何も案内板はない。カンをたよりである。

他に登山趣味の方のサイトが多々あるのでココココを参照して欲しい。




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両子寺 紅葉 2011

  • 2011/11/23(水) 22:46:29

去年(2010年)秋は国東で素晴らしい紅葉を堪能したので、今年も、と期待していたが、日豊地域では今年は紅葉がかなり遅れているか、紅葉せず、かという状況。
それでもせっかく連休をとったので11月22.23日と出かけてみた。

低地では期待できないのでまずは山頂に近い両子寺へ。
2009年には11月7日時点ですでに完全に紅葉していた。
平日なので駐車場はたいして混んでいない。見かける観光客は老人ばかり。駐車場はかなり紅葉していた。境内に登ると、書院近辺のモミジはすでに白っぽくすれていた。
国東 2011 秋
国東 2011 秋 posted by (C)オトジマ
下:真下から日光をすかすとキレイに見えなくはないが。
国東 2011 秋
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国東 2011 秋
国東 2011 秋 posted by (C)オトジマ

奥の院手前、稲荷堂近辺の巨木はほどよく色づいていた。真下から日光越しに青空と対比してみるとやはり大変美しい。
国東 2011 秋
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国東 2011 秋
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下:仁王から上に登る参道のモミジはまだ緑色が多い。
国東 2011 秋
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下:標高400mほどの長安寺は昨年の11月27日に息を呑むような紅葉を見た。期待せずに回ってみたら、やはりサッパリ。まだまだ緑色。イチョウも全く落葉していない。まだ2週間はかかるのではないだろうか。
国東 2011 秋
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下:霊仙寺もまだまだ。最良の枝でこのくらい。
国東 2011 秋
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下:杵築の大原家の庭も全く緑。平地ではあと3週間くらいかかるんでは?
国東 2011 秋
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富貴寺もまだまだらしい。詳しくはコチラで。

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門川 だんじり

  • 2011/11/21(月) 00:23:34

岸和田のだんじりほど有名ではないが、門川にもだんじりがある。岸和田のような迫力やスピードはなく、見ていると何をやってんだか判然とせずイライラしてくるようなところがあるが、大勢の祭り装束の男達がよってたかって重いだんじりを担ぐ姿は勇壮ではある。若い女性ならグッとくるものがあるんではないだろうか。昨日、私の生徒の女子中学生たちは今日のだんじり見物に着て行くための洋服を買いに行ったし、友達と化粧をしていくかどうかの相談をしていた。実際見物衆は挑発的なおしゃれをした若い女性が多いのである。今年の少女達のファッションはホットパンツあるいはちょうちんパンツにブーツ。

下:だんじりの中には派手な女物の着物を着た少年達が5〜6名乗っていて鉦や太鼓をたたいている。
門川 だんじり 2011
門川 だんじり 2011 posted by (C)オトジマ

門川 だんじり 2011
門川 だんじり 2011 posted by (C)オトジマ

下:今年のだんじりのテーマは「負けるな!東北」「立ち上がれ宮崎」
門川 だんじり
門川 だんじり posted by (C)オトジマ
昼を過ぎると担ぎ手たちはアルコールが回るやら疲れてくるるやらですぐにへたり込む。道路のあちこちに担ぎ手たちの脱げたワラジがたくさん落ちている。絶えず振る舞い酒ならぬ缶ビールが供給されている。かつては未成年に飲酒させるのはいかがなものか、と問題になったこともある。

下:少女達の歓声が男達への最大の贈り物。
門川 だんじり 2011
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下:門川でこんなにたくさんの人出を見ることはめったにない。
門川 だんじり
門川 だんじり posted by (C)オトジマ

今年は天候に恵まれていたせいか大変な人出であった。ふだんうらさびれた漁村は大勢の参加者と見物衆で大賑わい。
その熱気は久しぶりに祭りらしい祭りを見た気がした。祭りってのは何かとんでもない絶景とかワザとか芸能を鑑賞するものではなく、非日常的な人出がさらに人を集めるもの、すなわち人を見に行くものなんだなぁ、と再認識した次第。

下:子供達も祭りの衣装。


下:少年たちはド派手な着物とタスキ。これでこそ祭りだ。
門川 だんじり 2011
門川 だんじり 2011 posted by (C)オトジマ


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高千穂 秋元神社

  • 2011/11/20(日) 02:05:41

妻の職場の同僚が高千穂の向山出身で、秋元神社という最近有名なパワースポットがあるというので行ってみた。パワースポットには興味がないが、由緒ある神社には興味がある。
朝からの雨が上がって見事な青空の下で出発したのであるが、日之影から天翔大橋を渡るころから奥山に暗雲が立ち込めた。

下:秋元集落近辺になると山の紅葉がだいぶ色づいているが、いかんせん暗雲垂れこめ、光が不足。天気が良かったらかなりキレイなはず。
高千穂 秋元
高千穂 秋元 posted by (C)オトジマ

高千穂 秋元
高千穂 秋元 posted by (C)オトジマ

高千穂 秋元
高千穂 秋元 posted by (C)オトジマ

下:谷の最奥の水の口集落が見えるころには雨が降り出す。
高千穂 秋元
高千穂 秋元 posted by (C)オトジマ

細い道は神社が近づくころには未舗装路となる。こんな山奥に?と道を間違えたか不安になるころ神社が見えてくる。
高千穂 秋元神社
高千穂 秋元神社 posted by (C)オトジマ

参道の階段も社殿も新しい。中央は名物のイチョウの大木。半分落葉していた。評判になるような特別な「気」を感じることもない。まぁ、私は一切霊感だとか信じてないので「気」のほうで私を敬遠している可能性はある。
高千穂 秋元神社
高千穂 秋元神社 posted by (C)オトジマ

下:社殿のなかはセンサー付で人が入ると照明がつく。
高千穂 秋元神社
高千穂 秋元神社 posted by (C)オトジマ

下:イチョウの大木の全貌を写真に収めるのは難しいし、そのスケールを表現するのは不可能。
高千穂 秋元神社
高千穂 秋元神社 posted by (C)オトジマ

下:真新しい社殿の中に古びた絵馬が飾られている。三十六歌仙図である。それぞれに百人一首の歌と読み人の絵、奉納者名が書いてある。ちなみに上右は陽成天皇「つくばねの峰よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりける」 退色を見ると相当古そうである。山奥の神社では各地で三十六歌仙図の奉納を見かける。江戸期の流行のようである。




下:由来を見るとかつては「諸塚太子大明神」と称したとある。そういえば、一つ尾根を越せば諸塚村である。
高千穂 秋元神社
高千穂 秋元神社 posted by (C)オトジマ

下:農産物無人販売所がある。細く長い谷筋のどんづまりでほんの数軒しかない地元の人が買うとも思えないので、神社の参詣者をねらっているようである。
高千穂 秋元
高千穂 秋元 posted by (C)オトジマ

せっかくの紅葉であったが、ここだけの局所的な悪天候にたたられつつ帰路に着くと、この一車線の離合もできない細い道を次々と登ってくる女性達の軽乗用車に出会う。運転の下手な若い女性が3台も連ねてくると、必然的にコチラが離合地点までバックして道を譲るはめになる。少し異常だ。こんな林道ライダーかラリー愛好者くらいしか来るべきではないような山奥にバッチリメイクの若い女性が群れで来るなんて。奇妙な流行がはじまったものだ。


より大きな地図で 秋元神社 を表示




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