蒲江でキャンプ

  • 2012/07/31(火) 01:06:35

宮崎県から大分県に入ったところにある浜当津海水浴場。
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ

こんなきれいな海水浴場なのにほとんど人がいない。長い浜辺にテントが一張りだけポツンとあった(右端) 優雅なキャンプだ。いかんせん町場から遠い。高速が開通したら日豊海岸にたくさんあるこんな美しい海岸も賑わうのかもしれない。
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ

久しぶりに家族でキャンプに行くことにした。蒲江の高平キャンプ場である。実は我家にはテントと寝袋だけは10人分くらいあるのだが、荷物は少なくして簡便に済ませたいのでできたらロッジを利用したい。しかしロッジは満室なのでテントを借りた。

延岡近辺で公共キャンプ場を調べると・・・

須美江キャンプ場 ケビン(5人用)8400円 ・ テント 1360円

北浦下阿蘇道の駅 ケビン(4人用)14000円 ・ テント 3600円

ETOランド速日の峰 貸別荘(6人用)15000円

日之影キャンプ場  バンガロー 5000円 ・ テント(5人用)1000円

鹿川キャンプ場  バンガロー 9000円 

四季見原キャンプ場 バンガロー 12000円 ・ テント 1000円

門川乙島キャンプ場 バンガロー 3500円

蒲江高平キャンプ場 ケビン(6人用)7350円 ・ テント 2100円


価格comには載ってないと思うが、こんな価格比較もあっていい。下阿蘇が高いのは民営化されているからか。
キャビン・ロッジ・バンガローと呼び名はいろいろだが厳密な区分があるのか知らない。実は各キャンプ場でそれぞれ寝具やキッチン、広さなど条件がさまざまなので料金だけでは一概に比較できない。日之影や乙島のバンガローは単に雨風がしのげる小屋にすぎないが高平のケビンは装備の完備した立派な一軒の家なので絶対お得。

高平キャンプ場から蒲江のマリンカルチャーセンターを見下ろす。立派な建物とプールは利用者がいるのかな?
P7293240
P7293240 posted by (C)オトジマ

テントサイトは山の斜面にある。
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ

8畳間ほどの板張りの上に常設テントが張ってある。広いし板の間だから快適ではあるがヤブの中なので景色は見えなかった。寝てしまえば景色は関係ない。
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P7293233 posted by (C)オトジマ

小高い見晴台の上にあるケビンとテントを比べるとビバリーヒルズと貧民窟くらいの差があるので5000円の価格差が気にならなければケビンが絶対お得である。
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ

ここのキャンプ場では7月28日のこの日からビアガーデンを開業とかでテレビ局が取材に来ていたが客は1グループだけでいくつか並んだ卓は一つだけしか埋まらずいささかさびしいビアガーデンであった。
テントサイトもB大学野球部のグループと私達だけ。
星空が見えるかな、と期待していたが、月夜で空気の透明度も今ひとつであったのでそうそうに寝た。朝はウグイスの絶え間ない鳴き声で目を覚ます。

キャンプ場から見下ろす朝もやの中の入津港。まったく波がない。フィヨルドのような地形である。
P7293243
P7293243 posted by (C)オトジマ

下:入津近辺は4つの湾が組み合わさる面白い地形。

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口蹄疫レクイエム

  • 2012/07/28(土) 00:18:13

宮崎県で口蹄疫が猛威をふるったのは早いものでもう2年前のことである。その後に大震災という未曾有の大災害もあり、私のように畜産に関係ない人間には遠い昔のことになりつつある。

そんな時、たまたま図書館で「実名小説 口蹄疫レクイエム--遠い夜明け」という本を見かけた。著者は山田正彦。ウン?山田智彦じゃないのか? よーーく見ると前農林水産大臣とある。あーーあの人か、と記憶がよみがえった。現役政治家が時事ネタで小説、というのと地元の事件というのに引かれて読んでしまった。



小説の発端こそ都農町の畜産農家での牛の異変から始まり、小説然としているが、途中口蹄疫の蔓延と防疫が中心となってくると主役は山田正彦本人となってくる。全体は客観描写で山田は「私」ではなく山田として描かれる。事件当時農水副大臣として宮崎県に派遣され陣頭指揮にあたっただけに彼の元には重要情報がすべて集まっただろうからあの出来事を記録するなら彼はたしかにうってつけの人物ではある。もう一人の最重要当事者として東国原知事がいるが、彼も本を書くといいかもしれない。でないと、山田氏の小説の中では人気取りにしか関心のない無責任な人物としてしか描かれていないので反論するといい。

当時、宮崎県内では連日口蹄疫関連のニュースが流れていた。山田氏はそんな中でいかにも石頭の官僚的な政治家然として悪役的な立場であった印象がある。とりわけ殺処分を拒否していた高鍋町の薦田氏の種牛の扱いについて絶対妥協しなかったことは県民には不条理に映った。

この本は山田が書いているわけだから当然山田は気骨があり、情も理もある人物として描かれ、彼のとった毅然たる行動は適切であった、という筋である。多くの登場人物が実名で登場するわけで、著者も実名で書いているわけであるからそれなりに裏をとって名誉毀損にならないように注意しているはずだからおおむね事実として受け取っていいのではないだろうか。どうせ政治家の言うことだから、とマユに唾をつけて読み始めたがのではあるが、とても面白く読めて、読後にはあの出来事の大変さと関係者のご苦労が偲ばれ、山田氏への印象もガラリと変わった。

山田は自分でも「変わった経歴」というくらいだから、確かに面白い経歴の持ち主である。法学部出で司法試験にも受かっているのに畜産を始め大規模に経営するが経済情勢から行き詰まり、弁護士に転向。さらに政治家に転向。たしかに世襲お坊ちゃん政治家とは異なる骨のある人物であることは間違いない。自分で畜産をやっていたという経験も口蹄疫禍に対処する当事者として自信のもとになっていたのだろう。

下:都農町の畜産地帯を見下ろす。


あの口蹄疫の発端となったのは都農町の山奥の水牛牧場である。当時その牧場については民主党の道休誠一郎議員が韓国からの研修生を連れてきており、それが感染源だろう、とネット上でウワサが流れ、道休議員は売国奴とののしられ、さんざん民主党タタキに使われた。

私もそのウワサを真に受けたものであるが、実は根も葉もないガセネタだったという。水牛牧場の経営者によると、牧場感染があった直近に韓国人どころか、まったく外部の人間は受け入れた事実はないという。だれがそんなもっともらしい話を創作したんだぁ? あぁ、そんなガセネタを拡散しなくてよかったぁ。げにネット情報はよくよくマユに唾つけて聞かねばならないものだ。いまだにネット上で「道休」でググルとそのガセネタの洪水は放置されたままで、次第に歴史的事実となりつつあるのが恐ろしい。

この牧場では水牛の乳を原料にモッツァレラチーズを作り、毎日東京大阪に空輸して出荷していたという。


安愚楽牧場についても当時さまざまなウワサが流れた。山田氏は最初の感染ルートをどうしても突き止めたいと手を尽くしたが結局判明しなかった。彼の感触は水牛牧場ではなく安愚楽牧場のほうが怪しいと考えているようだが断定はしていない。実際にあの事態に対処した関係者が読めばいろいろと見解の相違があるだろうから、あくまで国家を代表する山田氏の立場から回顧した口蹄疫禍として読むべき本だろうが、忙しい現役政治家でありながら事実関係の調べだけでも相当な時間を要するこんな本がよく書けたものだ、と感心した。


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小野市

  • 2012/07/24(火) 00:47:41

国道326号線で宮崎県から大分県に入ってしばらく行ったところに小野市の集落がある。
昔日向と豊後を結ぶ日向街道の宿場、そして山間部の商業の中心地として栄えた町ではあるが、山間僻地のこととてごく小さな町である。鉄道も国道10号線も通らずに寂れていたところに思いがけず新しい国道326号ができてひょっこり人目につくようになった、というあんばい。しかし再び賑わいを取り戻すことはない。

小野市
小野市 posted by (C)オトジマ

ここの核となるのも酒蔵。小椋酒造。
P7152844
P7152844 posted by (C)オトジマ

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P7152846 posted by (C)オトジマ

昔は旅館だったか、というような建物がいくつか。
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P7152848 posted by (C)オトジマ

旅館「つるや」。一部が洋館風になっている一種の看板建築。
一度泊まってみたくなるたたずまい。
小野市
小野市 posted by (C)オトジマ

小野市
小野市 posted by (C)オトジマ

集落のはずれにある八柱神社
小野市
小野市 posted by (C)オトジマ

小野市
小野市 posted by (C)オトジマ

社殿の天井には様々な絵が。
なかなかしっかりした絵ではあるが、退色がひどい。吹きさらしの社殿なのでいたしかたないがもったいない。
小野市
小野市 posted by (C)オトジマ

小野市
小野市 posted by (C)オトジマ

これまたおなじみの三十六歌仙図。歌は達筆すぎて私には読めないのが至極残念!
小野市
小野市 posted by (C)オトジマ

小野市
小野市 posted by (C)オトジマ

境内には大きな切り株がいっぱい。最近伐採してしまったようだ。昔を知らなければ別になんとも思わないが、地元の人の中には鬱蒼たる社叢がなくなって残念に思う人もいるんではないか?
小野市
小野市 posted by (C)オトジマ

グーグルの航空写真ではまだその社叢が写っている。

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犬飼

  • 2012/07/22(日) 22:17:43

宮崎県側から大分県に行くと国道57号線が10号線に合流する地点、大野川を渡る地点に犬飼の町がある。今まで何度となく通過したところだが、一歩国道から入ると古びた町があることなど知るよしもなかった。

まぁ、どこにでもある廃れかかった商店街である。平成の合併で犬飼町が豊後大野市に編入され、犬飼バイパスができてほとんどの車は遠くを素通りするようになり、いよいよ影がうすくなっている。道路拡幅の被害を免れているので何軒か古い商店建築が残っている。

犬飼
犬飼 posted by (C)オトジマ

大きな構えの有田金物店。いまは「どんこの家」という交流スペースになっているようだ。
犬飼
犬飼 posted by (C)オトジマ

戸次の「塩屋」のようにアルミサッシの戸を昔ながらの木製に戻し、修復したら立派な姿になるもったいない建築。
犬飼
犬飼 posted by (C)オトジマ

この薬店もとうに廃業したようである。
犬飼
犬飼 posted by (C)オトジマ

合名酒舗
犬飼
犬飼 posted by (C)オトジマ

木造の洋館風建築。集合住宅か? 
犬飼
犬飼 posted by (C)オトジマ

米こうじ、酢、味噌等の醸造元大津留商店。店は新しいが煙突が昔のよすがを残す。ブランドはヤママス。煙突にヤマとマスを組みあわせた屋号が残る。
犬飼
犬飼 posted by (C)オトジマ

JR豊肥線の犬飼駅の一つ北に竹中駅があり、竹中集落は大野川を挟んで戸次の対岸にある。
国東のじなしさんのブログでここの勝光寺が紹介されていた。歌手のみなみこうせつさんの実家である。戸次の近所なので寄ってみた。

注意して探さないと見過すような奥まった寺。竹中郵便局が目印。日曜なので郵便局に車を置いた。その前に寺の駐車場と思しき広場があるが看板は出ていない。
勝光寺
勝光寺 posted by (C)オトジマ

勝光寺
勝光寺 posted by (C)オトジマ

境内は広くなくご普通の寺。
勝光寺
勝光寺 posted by (C)オトジマ

みなみこうせつさん作詞作曲の御詠歌「まごころに生きる」。御詠歌というと時代がかった代物の気がするが、歌詞をみると七五調ではあるが内容的には今風。
勝光寺
勝光寺 posted by (C)オトジマ

Youtubeに本人歌唱があった。


じなしさんのブログにあるように納骨堂にはこうせつさん自筆の絵がかかっている。納骨堂は閉まっており、庫裏も留守のようだったので見ずに辞した。「みなみこうせつ」という名前は日本の音楽界ではビッグネームであるけれども、この寺には特別にそれを売り物にしている風がないのがなかなか気持ちが良い。ミーハー的な興味で訪れた人にはやや物足りないかもしれないが。

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戸次

  • 2012/07/21(土) 01:05:00

今回は戸次に立ち並ぶ古い建築群。特に変わった建物はない。

一番手前の建物は正面だけ洋風のいわゆる看板建築。この呼び名は藤森照信氏の命名。
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

帆足本家が営む菓子舗「一楽庵」とギャラリー「富春館」
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

カフェ 「桃花流水」
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

右半分の洋風な部分は昔の郵便局。実は左半分と一体の伝統家屋に洋風石造風なファサードを付け足している。屋根は全く和風瓦屋根。看板建築の一種だろう。
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

伝統家屋がパナソニックの販売店となっている。
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

画家の帆足杏雨宅。1856年というから幕末の建築にBSのアンテナが載っているのが面白い。
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

帆足杏雨宅の蔵。
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

旧呉服店「塩屋」大正13年。最近改修されたようだ。
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

下:パンフレットには花屋として営業中の写真がある。上の写真とは同じものとは思えないほど大違いである。

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戸次 帆足本家

  • 2012/07/20(金) 01:51:33

戸次は国道10号線を宮崎県から北上すると、大分市街地に入ったトバグチにあるから幾度となく通過しているのであるが、国道の一歩裏に古い街並があることなど最近まで知らなかった。

戸次は日向街道沿いの在郷町として栄えた。地区の中心となる帆足本家はこの地区の大庄屋であった。地区内には帆足さんの表札ばかり。一族なのだろう。


10号線沿いのマルショク戸次店のところからほんの少し入るといきなり黄土色の舗装の古い街並である。帆足本家の酒蔵の駐車場に車を停めてさっそく蔵を覗いてみた。連休の日曜というのに誰もいない。外のうだる暑さにもかかわらずうそのようにヒンヤリしている。

戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

古い街並ではいずこも酒蔵が核となっている。ただ近年では日本酒消費のジリ貧から営業していないローカルブランドが多いのが残念である。ここもとうの昔に廃業したようだ。
一階は何もない空間。イベントに使われるのか。
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

面白い木馬がある。明治時代の当主が子供のために作らせたそうだ。車輪がついていてこれで町を練り歩いたという。ぜいたくなおもちゃである。
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

太い湾曲した梁がおなじみの和風構造の二階
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posted by (C)オトジマ

こちらは梁が直線的で細いトラス構造で洋風だから明治以降の建築である。。
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

酒造場で使われたさまざまな道具が置かれていて博物館的である
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

帆足酒造のブランドは「春心」(ハルゴコロ)
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

帆足本家にある菓子舗に貼ってあった昔の値段表。新酒も古酒も一升29銭である。明治のころの値段か。
木次
木次 posted by (C)オトジマ

蔵の二階から帆足本家を見る。1865年の建築。約150年前。
戸次
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甍の波が美しい
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

蔵を裏から見る
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

上の場所のビフォア。修復以前は波トタン張りであった。蔵はトタンじゃいけない。
木次
木次 posted by (C)オトジマ

蔵自体がボロボロだったようだ。大規模な解体修理が行われたのである。新しい部材も多く使われている。ここは最初の写真のビフォアである。
木次
木次 posted by (C)オトジマ

帆足本家の手洗いにあった昔の染付け。便器ではなく、手洗い用の甕ではないだろうか。
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

帆足本家の母屋のたたずまい。
戸次
戸次 posted by (C)オトジマ

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少林寺

  • 2012/07/19(木) 01:23:47

大分市内の少林寺に仁王があるらしいので寄ってみた。
大分市の南郊、大きな新興住宅団地に囲まれた小さな古い集落の中にある。七瀬川の流域、稙田(わさだ)小学校の近所である。昔の今市街道、つまり肥後街道沿道である。

少林寺
少林寺 posted by (C)オトジマ

仁王は古くはない。土台に「擁護国家」「興隆仏法」とあるから戦前の軍国主義時代か。寄進者「東京 利光鶴松」とある。
少林寺
少林寺 posted by (C)オトジマ

本堂はカギがかかっていて賽銭も上げられなかった。
少林寺
少林寺 posted by (C)オトジマ

庭は荒れ気味。住職だけでするとしたら、雑草を抜くだけでも大変なことである。檀家総出が必要となる。
少林寺
少林寺 posted by (C)オトジマ

庭の一角に巨大な瓦が。本堂の屋根を葺き替えた時に取り替えた昔の瓦だろう。
少林寺
少林寺 posted by (C)オトジマ

下:寺の裏手、山の斜面に三十三箇所観音めぐりの遍路道がある。間隔が近いし三十三箇所しかないので歩くだけならおそらく10分もかからないのではないだろうか。大雨の後で足場が悪いのでちょっと見ただけ。
少林寺
少林寺 posted by (C)オトジマ

少林寺
少林寺 posted by (C)オトジマ

少林寺
少林寺 posted by (C)オトジマ

少林寺
少林寺 posted by (C)オトジマ

下:写真のように間隔は5mほど。単純計算すると三十三箇所で165m。
少林寺
少林寺 posted by (C)オトジマ

下:遍路道のそばの墓地。江戸時代の立派な墓石が並ぶ。ほとんど無縁墓だろう。向こうに見える近代的な巨大な霊園と対照的である。霊園とくれば墓石屋である。寺の下の道路沿いに大きな石材店が店と工場を構えている。孫の代になればたちまち無縁墓となるだろうに大金をかけて豪奢な墓石を買う人の気が知れない。紅顔たちまち老いてむくろとなるがごとく、豪華な御影石の墓も数十年で無縁となり草木生い茂る。私には墓はいらないぞ。
少林寺
少林寺 posted by (C)オトジマ

下:立派な愛犬の墓を建てたお金持ちのご夫人もいる。
少林寺
少林寺 posted by (C)オトジマ

仁王が眺める山はその名も霊山。
少林寺
少林寺 posted by (C)オトジマ

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今市

  • 2012/07/18(水) 01:33:59

長湯温泉から東へやや行くと今市がある。観光案内では「今市石畳」とある。昔の街道の石畳が今に残っている。
豊後国内では一般に肥後街道と呼ばれる道である。熊本から大分市鶴崎港までを結ぶ、かつて肥後藩、岡藩の参勤交代に使われた道である。
これが肥後国内では豊後街道と呼ばれる。それはそうだろうな。
肥後の人にとっては豊後に至る道であり、豊後の人にとっては肥後に至る道であるから。信濃川が信濃国内では犀川や千曲川と呼ばれ、越後に入ったとたんに信濃川になるのと同じ。

石畳しかない、という予備知識はあったが本当に石畳だけ。こんな道が600mほど残っている。県道はこの区間だけ脇を抜けている。
今市
今市 posted by (C)オトジマ

道の両側は黄土色のアスファルト舗装されているが、真ん中は幅2mほどの石畳で、車で走ると片輪が石畳に乗る状態。一見平坦に見える石畳はかなりデコボコしていて車で走るにはかなり不快。沿道の住民の皆さんの不便が偲ばれる。
今市
今市 posted by (C)オトジマ

さらには下のように唐突に必然性もなく直角のクランクが現れる。城下町の道みたいに防衛上の観点からだろう。「こんなもん掘り起こして舗装してしまえ!」となるのが普通だろう。こんな道が残っただけでも奇跡的だ。イタリアのアッピア街道を想起させる道である。昔の徒歩や駄馬の通行には良かっただろうが、荷車には大変だったかも。
今市
今市 posted by (C)オトジマ

昔の宿場町だから旅館や茶店や下駄屋などが軒を連ねただろうが、現在はその跡地に設置された看板のみ。歴史的事物の看板に安易に勘亭流様のフォントを使う無神経をよく見かける。筆による手描きがムリならせめて楷書体にすべき。発注者・看板屋いずれにもセンスのない場合が多い。
今市
今市 posted by (C)オトジマ

天保年間の年銘のついた灯籠。歴史を感じさせる。
今市
今市 posted by (C)オトジマ

風情ある寺への石段。
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道端の大師堂
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石畳の南端に丸山神社がある。石段のコケと楼門が見事。
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享保5年(1720年)今市の商人松田庄右衛門尉長次が父母の長命と子孫繁栄を願って寄進したもの。約300年前のものとは思えないほどしっかり残っている。内部の彫刻など去年作ったかのようにきれいであるのが不思議である。
今市
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下:楼門にはお決まりの随神。これは時代相応にかなりボロボロに風化している。
今市
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楼門じゅう彫刻だらけ。
今市
今市 posted by (C)オトジマ

神社への奉納絵馬に「二十四孝」をテーマにしたものはよくあるらしい。この彫刻はそのうちの「郭巨」。ぶんぶく茶釜かと思ったが全然違う!---下に解説をペーストしておく。
今市
今市 posted by (C)オトジマ
郭巨(かくきょ)の家は貧しかったが、母と妻を養っていた。妻に子供が産まれ、3歳になった。郭巨の母は孫を可愛がり、自分の少ない食事を分け与えていた。郭巨が妻に言うには「我が家は貧しく母の食事さえも足りないのに、孫に分けていてはとても無理だ。夫婦であれば子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からない。ここはこの子を埋めて母を養おう」と。妻は悲嘆に暮れたが、夫の命には従う他なく、3歳の子を連れて埋めに行く。郭巨が涙を流しながら地面を少し掘ると、黄金の釜が出て、その釜に文字が書いてあった。「孝行な郭巨に天からこれを与える。他人は盗ってはいけない」と。郭巨と妻は黄金の釜を頂き喜び、子供と一緒に家に帰って、さらに母に孝行を尽くした。

二十四孝のうち「孟宗」
今市
今市 posted by (C)オトジマ

孟宗(もうそう)は、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた。病気になった母は、あれやこれやと食べ物を欲しがった。ある冬に筍が食べたいと言った。孟宗は竹林に行ったが、冬に筍があるはずもない。孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていた。すると、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出て来た。孟宗は大変喜び、筍を採って帰り、熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うした。これも深い孝行の思いが天に通じたのであろう

落語では「二十四孝」はおなじみの演目であるが、神社で見たのははじめてである。とにかく見事な木彫ではある。ヨソの神社では絵馬であることが多いからこのような手のこんだものは珍しいのではないか?大事にして欲しいものである。

社殿はありきたりである。
今市
今市 posted by (C)オトジマ

今市
今市 posted by (C)オトジマ

天井の絵はベニヤ板のようである。湿ってベロベロになっている。合板というだけでほとんど無価値。大きな一枚板を多数確保するのはなかなかだ。ウチの近所の神社でも天井板絵の寄進を勧請しているが一枚なんと30万円!京都の絵師に頼むとか。寄付が10万円くらい含まれているのかも。私なら一枚3000円で描いてあげるんだがな。
今市
今市 posted by (C)オトジマ

下:神社奉納絵馬の定番、三十六歌仙もあるが、退色がひどく歌はほとんど読めない。三十六歌仙の奉納は江戸時代の流行のようだから相当古いものと思ってよさそうだ。
今市
今市 posted by (C)オトジマ height=450


落語の「二十四孝」

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ラムネ温泉

  • 2012/07/17(火) 00:28:33

久住山麓の直入町長湯温泉にラムネ温泉がある。
名前はいささか雰囲気を欠くが、建物の設計はかの藤森照信氏である。
ウィキペディアによれば東北大学工学部建築学科で小田和正氏と同期であったという。すごい取り合わせである。

藤森氏は元来が建築史を研究する学者であったのだが、45歳の時に彼の郷里の神長官守矢史料館の設計を手始めに赤瀬川の自宅--ニラハウス--を設計したりしてその風変わりな設計思想に注目が集まり、現在までに多くの建物を設計している。彼の建物は写真を見ただけでも魅力的であるが実物を見るのは初めて。見学ついでに温泉に入ってみた。

下:遠目には無機的な感じもするが。壁はバーコードのよう。
ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

下:遠目には単なる白黒のストライプは、実は真っ黒に焦げた焼杉と漆喰の組み合わせ。屋根板は波トタンを何重にも貼っている。波トタンというチープな材料が意外。
ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

下:突き当りがエントランス。植栽はササである。とにかく一面ササの植栽で思い切りがいい。
ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

下:受付のある事務棟を通り抜け、浴場に行く道から振り返る。
屋根は銅版葺き。
ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

下:正面が男女浴場。右は家族風呂。笹原の中の犬の銅像が風景を締めている。ここで記念写真を撮る人が多いはず。
ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

下:それぞれの棟の頂部にはマツの木が生えている。大木になったらどうするんだろうか?
ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

下:この写真ではわかりにくいが、それぞれ男女の陰部をデザインしている。
ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

下:屋内浴室。この湯は温かい。ここにはシャワーとか蛇口とかイスとか体を洗うという配慮はほとんどなく、湯治のための場所という作りである。
ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

下:浴室の壁には真珠貝が埋め込んである。奥に見える小さな戸が脱衣場からの入り口。昔の湯屋の石榴口か。脱衣場もすごく狭い。小さい戸は異世界への入り口を意図していると思われる。
ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

下:露店風呂。温度は低く、ぬるま湯ほどもない。炭酸泉である。この日は連休の中日なので客は多くて、写真を撮るのもいささかはばかられた。実は湯船は満員。意外なのは客層が若いこと。温泉ブームは若い世代に広がっているようだ。
ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

露店風呂からの眺め。ここは雑草と笹原。塀は焼杉。右はサウナ棟。
ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

さすがに藤森氏の設計だ、と大満足のラムネ温泉であった。入湯料500円。いろいろなグッズにも描かれているマスコットマークは藤森氏、赤瀬川氏のグループ「路上観察学会」のメンバー南伸坊氏の手になる。ヘタウマの極地。


下:ラムネ温泉は長湯温泉郷の老舗、大丸旅館の外湯である。
ラムネ温泉から200mくらいのところの川っぷちにある建物が大丸旅館。料金はリーズナブルという話である。
ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

長湯温泉郷
ラムネ温泉
ラムネ温泉 posted by (C)オトジマ

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竹田玉来の水害

  • 2012/07/16(月) 00:26:39

久住方面に足を伸ばした帰りに竹田を通った。
7月12日の豪雨で水害に見舞われた玉来地区を通ってみた。
昨年写真を撮った旧街道筋はやや高いので無事だったようだが玉来川沿いの拝田原あたりが被害にあっていた。竹田ダムのすぐ上流なのでこのダムのせいで水位が上がったのではないだろうか。

下:玉来川の護岸が崩れ、ユンボが転落している。
玉来
玉来 posted by (C)オトジマ

下:豊肥線、玉来川橋梁。流木が大量にひっかかっている。ただいま不通。この度の水害で豊肥線は70箇所ほどの線路被害が出ていて全線復旧の見通しは全く立たないという。高千穂線みたいにそのまま廃線ということにならないことを願う。
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下:川床を埋め尽くす杉の流木。
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下:国道57号沿いの店舗群の裏側。流木は建物の一階くらいの高さにまで引っかかっている。
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下:川沿いの大分薬品工場はほぼ水没したものと思われる。建物の半分くらいの高さまで水が上がった形跡が残る。
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下:濁流が橋の欄干を越えた跡が残る。
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下:この橋の下流側には全く流木がないので、おおかたの流木はこの橋にせき止められて巨大なダムとなっていたのでは。
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下:竹田文化会館では後片付けの最中。手前の平地は川原ではない。元来はアスファルトの駐車場だが厚く泥が堆積している。地図を見るとここは川の中州である。
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玉来 posted by (C)オトジマ

文化会館駐車場でひっくり返ったままの車。
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竹田から岡城の下を通って三重に向かう国道502号は竹田-緒方間で不通なので国道57号を遠回りして帰路についた。

下は後日(8月14日)に撮影した岡城下の国道502号。路盤が大きく削られている。国道は冠水した。


岡城下のホテル、リバーサイドは土台が大きく削られていまにも倒壊しそう。足場用の単管で支えている。まさにリバーサイドでスリル満点。揺らしたら大変なことに。

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