映画 『星を追う子ども』 

  • 2012/08/30(木) 12:18:39

齢から言ってもアニメに熱中する年代ではないが、昔からジブリのファンであるついでに新海誠作品は気になっている。新海は別にジブリ出身ではないが。

『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』が代表作で昨年長編作品『星を追う子ども』が公開された。彼の来歴と作品については知らない人はウィキペディアを参照して欲しい。

例えば『ほしのこえ』(2002年)は25分の短編で、監督・脚本・演出・作画・美術・編集をほぼ一人ですべてを作り上げた、というのが特筆すべき点である。実写ならともかく、あるいはパラパラマンガレベルのアニメーションならともかく、クォリティの高い作品であるから大変なことである。


しかし、無名の若者がアニメーションを製作するとなると、この方法しかない。新海はこの作品で一躍注目を浴びた。『雲のむこう、約束の場所』(2004年)も似た雰囲気のSF作品である。彼の作品の美点は背景の美しさである。彼はスタートがゲームのCG作成であるから背景もCGであるが、筆で描いたように情感がある。
ピアノによる音楽も美しい。

下:新海は線路や鉄道をよく登場させる。電車の表現は秀逸。

予告編


『秒速5センチメートル』(2007年)は長編ではあるが、3部構成でつなぎの部分やオープニング、エンディングの長いクレジットロールを除くと実質1時間もないから、大々的な劇場用ロードショー作品とは言いがたい。この作品はSFもアクションもファンタジーもないラブストーリーで、彼は新境地を開いた。第一部(30分)は当時ネットでAVIファイルが出回ったので見ていたが、あらためて宮崎の小さな映画館での公開を見に行った。これまた背景が大変美しい。ジブリ作品の背景のクォリティは有名であるが、新海作品には特有の詩情とCGならではの別のテイストがあり、なかなか心地よい。そのかわり、と言っては何だが動画はあまり動かず、水準はありきたりである。お金とスタッフが足りないからである。背景の力と音楽だけで映画が成立している。







Youtubeで映画のサワリと山崎まさよしの主題歌が視聴できる


私は次の作品を期待していたのであるが、うかつなことに1年も前に本格的劇場用長編『星を追う子ども』が公開されていたことを知らなかった。ゲオの棚を見ていてやっと気付いたくらいである。かなり旧聞に属するレビューではあるがひとこと。

この作品は過去の作品とは異なり、ファンタジーに属する。少女が地底の異世界を旅し試練を乗り越えるという話。この作品では本格的にたくさんのスタッフと外注スタジオの協力を得ているので2時間の長丁場がずっと動画の密度が高い。背景はおなじみの美しい新海ワールドに満ちている。ストーリーもなかなか良い。

おなじみの線路

オート三輪が出てくるので一昔前の時代設定か?

主役は少女


・・・・が、どうも過去の新海作品のインパクトがない。それはどの場面にも話の展開にも既視感があるからである。新海自身の過去作品はもちろん、世にあふれかえる数々のファンタジー、ジブリ作品などでどこかで見た景色のバリエーションばかりなのである。ジブリの宮崎駿氏が「今はファンタジーの時代ではない」と言うのがわからんではない。いかにすぐれた作家でも、国籍不明の中世的世界を舞台にしたファンタジーを作ると、類似発想の作品群の中に埋もれてしまい、類型化をまぬがれない。私のようにゲームやアニメのファンタジー、海外映画の実写系ファンタジーに関心がなくあまり見たことのない人間でも食傷気味なくらいである。

「天空の城ラピュタ」の一場面と同一。

「ナウシカ」のマンガ版や「ハウルの動く城」で見たことのある設定。

「ナウシカ」の風の谷の光景が想起される。風車の形が違う。

廃墟の点在する荒野を旅行けば、「ゲド戦記」や「ブレイブストーリー」に似てくる。


とはいえ、『星を追う子ども』がターゲットとする青少年にはこの作品は訴求力があるのかもしれない。新海監督はまだ若く、才能にあふれている。私の好みに合う今後の作品に期待したい。

下:予告編

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追撃機 (1958年米映画)

  • 2012/08/28(火) 13:51:10

朝鮮戦争を舞台にした映画、という点に惹かれて見てみた。
ストーリーはしょうもないメロドラマである。メロドラマにするんだか、戦争映画にするんだかはっきりしろ、と言いたくなる中途半端さであるが、これが半世紀前の流行なのか。メロドラマもどうにも感情移入できない三角関係である。

映画冒頭が米軍支配下の伊丹空港。映画の舞台の半分は朝鮮戦争の米軍の兵站基地であった日本、半分が戦闘のある朝鮮半島である。

見ごたえがあるのは実写の戦闘機群。昔の映画だと戦闘機は明らかな模型か、実物かになる。この作品は軍の協力の下でほとんど実写。それも大群で出てくる。戦闘機がプロペラ機からジェット機に移行した頃で、戦闘のスタイルも機関砲で撃ち合うドッグファイトという旧来のやり方。

当時の米軍主力機、F-86セイバー


これが編隊で飛ぶと大迫力。今じゃ見れない光景。


映画はしょうもないが、こんな場面を見るためだけでも一度見る価値はある。これが実写であるから驚き。押井守の「スカイクロラ」の一場面を見るようである。というか、「スカイクロラ」が昔の航空戦へのノスタルジーで作られているというべきか。


スカイクロラの一場面。もちろんCGアニメ。

スカイクロラでは震電ばりの前翼型、後部にプロペラのある戦闘機が活躍する。アニメとは思えないリアルさが売り。


敵役の北朝鮮のMiG-15、のところ。実際は米軍機の塗装を変えて撮影しているのでミグには似ていない。37mm砲を装備していたので映画中でも発射音はドンドンドンといかにも砲らしい音である。撮影は朝鮮半島ではなく、アメリカの砂漠地帯の基地のようである。


米軍将兵は戦闘の合間に休暇で日本にちょくちょく戻る。その時のドライブの場面。京都の郊外の山中の設定らしい。1950年代、私が生まれた頃の日本の様子がカラーで見れる。とにかく道路が地道ばかり。悪路というのが日本の道の表現であった。自転車は二人乗り。自転車は重要な交通手段であった。


馬車が走っている。馬車は多かったが車輪はゴムタイヤのことが多かった。


めざす料亭にたどり着くと、車体はハネ返りでドロだらけ。
これも昔の当たり前の風景。


監督は「眼下の敵」を作ったディック・ パウエル、主演はロバート・ミッチャム、という当時としては豪華なラインナップなんだろうが、あまりパッとしない映画。

※DTI閉鎖にともない、ブログ移転してます。以下にどうぞ。FC2の「一歩 日豊 散歩」


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天地明察

  • 2012/08/25(土) 00:00:47

「天地明察」著者 冲方 丁 (うぶかた とう)

「天地明察」は映画化され9月公開。オフィシャルサイトを見るとなかなか面白そうである。2010年の本屋大賞を受賞しているベストセラーである。ふだんはベストセラーはあまり読まないのであるが、暦学に惹かれて読んでみた。


江戸時代前期の天文暦学者、囲碁棋士であった渋川春海の改暦に取り組んだ人生を描く。渋川についてはウィキペディアに功績と略歴が掲載されているのでそれを読むと、ほぼこの本の粗筋をたどることができるので読むヒマのない方はウィキで済ませることができる。


江戸時代の数学をテーマにした各種の本や小説はいくつか読んだことがあるが、暦関連は全然知らなかったので、興味深く読めた。昔の暦法は太陰暦である。地球の公転周期を一年、月の公転周期を一月とすると両者の日数はきれいな整数比にはならないからカレンダー作成にはややこしい計算が必要になる。日本では平安期以来、先進国である中国大陸から宣明暦を導入して使っていたのであるが、長い年月のうちに誤差が大きくなり、さらには中国と日本との経度差も勘案する必要があることがわかり、改暦の必要が生じてきた。

なにせ400年前のことであるから、世の中、合理性だけで物事が進む時代ではない。渋川春海は、わけのわからん幕府や朝廷の間で翻弄されながら人生をかけて貞享暦を完成し、改暦を実現した。この本ではその経緯をヒロイン「えん」を始めとした渋川春海の周囲の様々な人物とのかかわりを中心に描く。人間関係を描けば心理描写が多くなり、私にはかなりまどろっこしく感じられた。暦学や算学ばかりで話しを進めると話が膨らまないからだろう。


小説として暦法への着目はなかなか面白い。素人には暦法なんてなんのことやらわからないのであるから、昔の暦法の仕組みに詳しく立ち入ったところで、渋川春海の工夫や苦労を描写して欲しいところであるが、私にはそこらがやや物足りない。司馬遼太郎式の詳しいウンチクを聞きたかったものだ。

宣明暦の不都合の証明に、日食・月食の予想の間違いが利用される。春海がおかす決定的なミスとして、春海が宣明暦に変えて推す、より近代的な授時暦が、ほんのわずかな日食の予想をはずす場面がある。
今年5月の金環日食では、ほんの数百メートルの観測場所の違いで完全な金環になるかならないかの差があったらしいから、中国で作られた授時暦が北京と2000kmも離れた江戸での観測と食い違うのにさして不思議はない。それに思いが至らなかった春海らの日本の学者たちもずいぶん迂闊だな、と気になった。今年の金環日食騒ぎの後で冲方丁がこの本を書いていたなら、そこらの既述やストーリー展開に変化があったかもしれない。


ともかく、春海はその失敗を機に日本に合った大和暦(貞享暦)の完成に至るのである。という結末なのだが、読者は結局、最後まで天文の話ばかりで、暦法のなんたるかはよくわからないままに放置されるのである。著者がそんなもの周知のことだと考えているのかもしれない。

主人公春海の本職は碁打ちであるが、算学をたしなむ中で天文学や暦学にのめりこむ。江戸時代の算学では欠かせない神社奉納の算額が出てくる。思わず解いてみたくなる出題である。解いてみたら、二次方程式を使わず三平方の定理と相似比だけで解けた。現在なら優秀な中学生でも解ける問題であるが、400年近く前には難問だったのかもしれない。

下:「天地明察」中に現れる算額。斜辺の長さは三平方の定理より15寸と当初から作中で示される。いろんなブログで解法が示されているようだが、自分で解かなきゃ面白くない。


私の解き方はコチラ
















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眼下驟雨

  • 2012/08/23(木) 11:54:27

青空が現れたので、諸塚スカイラインを一周しようと思って出かけたのだが、国道388号を奥にすすむと次第に雲行きが怪しくなる。

harbyさんが以前カブで造次郎山に登っていたのに習い、宇納間-和田間の和田越から林道に入る。グーグルマップで見ると和田越バイパスのトンネルとトンネルの間から旧道に入れそうだが、実際に行ってみると、ガードレールでブロックされていて車両での進入はできない。

やむなく引き返して、トンネル手前から旧道に入り、曲がりくねった峠越えの道を行くと、造次郎山方面の林道の分岐が現れる。
おおむね舗装されているが、部分的に地道もあり。

造次郎山近辺はおおむね造林地帯でナビがないとどこが山頂やらわからない。標高733m。山頂わきを林道が抜けている。
麓を見下ろすと田代方面が見える。雨雲が部分的に雨を降らせ、雨脚が見えている。
造次郎山
造次郎山 posted by (C)オトジマ

造次郎山
造次郎山 posted by (C)オトジマ

造次郎山
造次郎山 posted by (C)オトジマ

伐採現場。赤松を伐っている。
P8193681
P8193681 posted by (C)オトジマ

その後、諸塚方面へ行く稜線沿いの道は厚い雲の中。諸塚スカイライン周回はとりやめ。麓に降りてきたら晴れていた。

延岡方面に美しい入道雲と金床雲。カナトコなんて死語化している。いまじゃアンビルと言うらしい。ホームセンターには小さい家庭用が売っているが、昔の鍛冶屋には大きな金床が据えてあった。
P8193733
P8193733 posted by (C)オトジマ

遠見山方面の入道雲
P8193731
P8193731 posted by (C)オトジマ

一見ビバリーヒルズかと思いそうな。一ヶ岡近辺。
P8193734
P8193734 posted by (C)オトジマ


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五十鈴川

  • 2012/08/22(水) 00:56:41

今年の夏は、この近辺に限っていうと天候不順。夏らしいカンカン照りの日が少ない。特に週末が不順なので家族持ちは子ども達を泳ぎに連れて行けないのでは・・・と心配だ。

五十鈴川、小松の川原には車が何台もきてはいるが、以前の賑わいはない。30年前、このあたりには面白い淵がいくつもあった。国道拡幅で様変わり。さらには護岸改良で河畔林が伐採されてしまい、川原も人工的になってしまうし、すっかり面白くなくなった。
五十鈴川
五十鈴川 posted by (C)オトジマ

雨がパラついてきたところ。
五十鈴川 小松
五十鈴川 小松 posted by (C)オトジマ

さらに上流の上井野の川原。車でのアプローチが容易で透明度も高く、いい水泳場になっている。
五十鈴川
五十鈴川 posted by (C)オトジマ

五十鈴川
五十鈴川 posted by (C)オトジマ

さらに上流の舟方トドロ付近で。老夫婦が川遊び。
五十鈴川
五十鈴川 posted by (C)オトジマ

上井野から支流に入った三ヶ瀬川で。
三ヶ瀬川
三ヶ瀬川 posted by (C)オトジマ

007
007 posted by (C)オトジマ

五十鈴川は上流まで多くの水遊びポイントがあるが、車でアクセスするのが楽なところはあまりない。最近は人が近づかないので川原に降りる道がいよいよヤブになってしまっている。みなさん、夏の思い出は川にありますよ!お金をかけて海外旅行や東京ディズニーランドにいくよりも、子どもは川に連れて行ったほうが喜びます。


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嘉穂劇場

  • 2012/08/21(火) 01:28:21

飯塚には伊藤伝右衛門邸のほかに、嘉穂劇場という名所がある。山鹿の八千代座を見ているので似たようなものか、とあまり興味はなかったが、せっかく近所まで行ったのであるから寄ってみた。古い商店街の奥にひっそりと建つ大きな建築である。明治の八千代座に比べ、昭和初期の嘉穂劇場はたたずまいがずっと新しい。



火事や台風で二度立て替えられたという。近年は水害に遭ったこともある。最初は大阪の中座を模した造りだったというからさぞ立派だったろう。









二階席からの眺めは八千代座とほとんど同じ。昔の劇場はこれが定型だったのだろう。客席はさして広いようには見えないが、上の写真を見ると定員1236人とある。イスがない分、いくらでも押し込むことができるんではないか。


舞台から客席を見る。舞台は広い。間口10間、奥行き9間というからほぼ正方形。回り舞台も大きい。


花道はつきもの


桟敷席


いろんな有名人がこの劇場を訪れている。おなじみの寅さんは「男はつらいよ 幸福の青い鳥」でここに来ている。永六輔が若い。


戦前のポスター。浪曲が盛んだった頃。今では想像がつかない。


「敏子殺人事件」と思ったら「敏子殺し、大事件」のようだ。


有名歌手も多く名前が見える。全盛期の1962年(昭和37年)には年間の公演は延べ266日もあったという。それが10年後の1970年代には10〜15日に落ち込んだ。テレビの普及が原因だ。このポスターは落ち目の頃だろう。右の「殿方皆殺し」の惹句が昔懐かしい。今の人たちはこんなコピーではそそられないだろう。


これは数日前に済んだばかりの公演。まさに今が旬の脚本家と俳優による一人芝居、ミヤコ蝶々へのオマージュ。これはこんな舞台で見ると価値がありそうだ。


昔の小道具が陳列されている。これは動物のかぶりもの。


さらし首、ちょん切られた腕や足。


半世紀前、年間266日も公演があった頃の賑わいはいかばかりであったろうか? 石炭の衰亡とテレビ時代の到来は同時であったから、あっという間に斜陽化したのだろう。



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伊藤伝右衛門邸 再び

  • 2012/08/20(月) 01:27:00

飯塚の伊藤伝右衛門邸は2年前に訪れたが、娘達は見たことがないというので盆休みの娘達を伴って行ってみた。前回も朝一番乗りだったが、今回も駐車場には一台も車がいなかったので一番乗り。込み合ってないので快適。

巨大な長屋門に懸けられた、麻生太郎の揮毫になる「伊藤伝右衛門邸」の木の看板は前回私が訪ねた直後に盗まれて話題になった。結局盗品は出てこず、新しく作り直したというが、どうやら揮毫は直筆ではなく、前回のものから版を起こしてスクリーン印刷したもののようであった。

この屋敷は稀代の石炭成金である伊藤伝右衛門と、悲劇と熱愛に生きたヒロイン、柳原白蓮の物語を踏まえると味わいが10倍になるのであるが、今回はそれには触れずに写真だけ。


写真でも真夏のカンカン照りがわかると思うが、実際に猛暑だった。邸内には冷房はないが、部分的に蔵の中などではクーラーが効いていたので我慢できないほどではない。
伊藤邸
伊藤邸 posted by (C)オトジマ

強烈に明るい庭と暗い室内との対比が美しい
伊藤邸
伊藤邸 posted by (C)オトジマ

伊藤邸
伊藤邸 posted by (C)オトジマ

ダイニングルーム
伊藤邸
伊藤邸 posted by (C)オトジマ

タタミの廊下


ピカピカの廊下。よく手入れされていて、気持ちいい。


各所に季節の花が生けられている
伊藤邸
伊藤邸 posted by (C)オトジマ

欄間の切り抜き。菊と桐


沓脱石の巨大さに驚く。長さが5mくらいはある。10tくらいあるんではないか?クレーンのない時代に庭師はどうやって運んだ?


二階の白蓮の部屋から庭を見下ろす。緑あざやか。前回は紅葉のころだったが、緑もなかなか美しい。


庭のあづまやから屋敷を見る。涼風が心地良かった。


庭園の外に病院が建っていて大変目障りである。庭に面した病室は特別室となっていて借景でチャッカリ儲けているとか。
伊藤邸
伊藤邸 posted by (C)オトジマ

伊藤伝右衛門と柳原白蓮に関してはかつての訪問のときくどくどと書いたので省略した。詳しくはコチラの過去ポスト4本を参照して欲しい。

二度目の訪問でも十分興味深く見ることができた。伊藤伝右衛門については成金のヒヒオヤジくらいにしか考えていなかったが、なかなか立派な人物だったのではないか、とも思えてきた。白蓮も住んだ別府の別荘「赤銅(あかがね)御殿」は解体され、現在大分県竹田市に移築されているという。個人宅なので公開されていないが、いずれ公開して欲しいものである。




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五高記念館

  • 2012/08/19(日) 00:30:04

私の父は旧制延岡中学4年から飛び級で第五高等学校に進み、その後東京帝大に進んだ秀才だった。しかし、彼のその後の人生は昭和恐慌や戦争、戦後の荒波の中をうまく泳げずに恵まれない人生だった。

私が子供の頃、彼が五高同窓会の名簿を購入したので見てみたら、父のやや上の学年に当時の総理大臣であった佐藤栄作の名があったのを覚えている。万葉学者として有名な犬養孝は五高・東大を通じて同級生だったらしい。卒業生には他にもキラ星のごとく各界の有名人や経済人がいた。教授にも夏目漱石やラフカディオ・ハーンなどがいた名門校である。

下:大正の末頃か。父のいた文科甲類1組のクラス写真。生きていれば100歳以上の方々ばかりだからほとんど亡くなっているはずだ。写真を見ても誰が誰だか誰にもわからないくらい昔である。背景は現在の五高記念館となっている校舎。


下:父のアルバムにあった写真。現在より樹木がはるかに若い。


40年ぶりくらいに黒髪の熊本大学に行ってみた。40年前にはヒッチハイク旅行で学生寮に泊めてもらった。
残念ながら盆期間中は五高記念館内部の観覧はできなかったので外観だけ見た。NHKの「坂の上の雲」ではロケ地として使われた。大変美しい建物で、周囲の古木とともに時代の貫禄を感じさせる。

下:周囲の木々が鬱蒼と茂る






巨木が多い。100年以上も経てばイヌマキもこんな巨木になる。


五高記念館の横に熊本大学資料館別館がある。かつて五高時代は化学実験室だった建物。


五高記念館も資料館別館も重要文化財である。赤レンガが美しい。今村教会とともに九州を代表する赤レンガ建築だそうだ。




歴史ある国立大学だけに熊本大学構内は緑が濃い。最近のように大学が都心から郊外に脱出する時代にはこんな落ち着いたキャンパスは貴重である。こんな学校で学べる学生は幸福だ。


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普光寺

  • 2012/08/18(土) 00:00:15

harbyさんのブログで最近大分県豊後大野市の普光寺が紹介されていた。磨崖仏が有名らしいが、全然知らなかった。阿蘇方面に行く道すがら寄ってみた。

寺に近づくと大きな駐車場が二つもある。参拝者が多いことを物語るが、この日は我々と他の一台だけ。

参道の入り口。民家の庭先を歩いていく。


普通、寺は山の上にあって石段を登るものだが、ここでは谷底に向かって降りていく。




鬱蒼と木が茂り、いかにも湿気の多そうな参道である。


山門が現れる。屋根には草が茂る。「ピアノ寺」と書いた赤いノボリとハングルの表示。


harbyさんのブログでは「荒廃していて残念だ・・・」みたいに描かれていた。harbyさんのように30年前を知らないので荒廃しているんだか、これが普通なんだか判断しがたい・・・。
木の間から洞穴と磨崖仏がいきなり現れる。来ていた若いカップルの女性が「ワァ!ビックリしたぁ。すごーい。」と嘆声を上げる。


寺の境内から谷間に降りて、洞穴まで行く道がある。道や茂みは荒れ気味だが楽に行ける。久しく整備されていない感はある。


磨崖仏が現れる。不動明王である。大きい。11.4mあるという。鎌倉時代の作らしいからかなり古い。800年ほど昔か。


磨崖仏の横には二つの洞穴があり、手前の洞穴には舞台がある。


舞台の上には電子ピアノが箱をかぶって置かれている。自動演奏で鳴らすこともあるようだ。行事とかまとまった観光客があれば鳴らすのかもしれない。背後が野外音楽堂のように半球形の洞穴なので音の響きは素晴らしいはずだ。対岸の寺の境内でもよく聞こえると思う。ぜひ聴いてみたい。


中央には譜面台があり、楽譜が開かれたまま。古めのJ-POP.


向こうに寺の境内がある。


洞穴の天井に巨大なハチの巣が。


もう一つの洞穴には護摩堂があるが、ロープが張られて進入禁止らしいので遠慮した。


洞穴には多数の石仏が並んでいる。


洞穴内にも磨崖仏がある。これは小さい。


舞台から対岸の境内方面を見る。斜面にはアジサイが植栽されているが、一面つる植物に覆われている。この寺はアジサイ寺としても有名らしいが、はたして今年は賑わったのだろうか??


本堂にはピアノがある。自由に演奏していい。上手に弾けたらお供えの缶飲料を一個もらえるとか。娘が弾いてみたが、手入れがよくないようで鍵盤の動きがよくないようだ。


本堂は小さく格別なものではないが、磨崖仏と石窟のロケーションが素晴らしい寺である。たしかにharbyさんの言われるように、やや荒れ気味のようだが、住職だけでこの広い谷を整備するのは大変だ。行政の力も借りてこの地域の宝を生かして欲しいと思う。

「ゆっくり自然浴」のみっきーさんのブログに今年のアジサイの写真があった。アジサイの時期にはピアノの自動演奏をやっているらしい。

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今村カトリック教会

  • 2012/08/17(金) 00:47:16

福岡県の大刀洗町は鳥栖の隣町。筑紫平野の平坦地にある。
ここに教会建築の傑作、今村カトリック教会がある。
九州の建築遺産としては有名な100年前の建物である。かねて見たいと思っていたので、太刀洗を通過する機会に寄ってみた。
ウィキぺディアの解説はココ

ありきたりの農村地帯の集落の中にあり、場所はとてもわかりづらい。ナビの助けがないとなかなかたどり着けない。もしナビに登録されていない時にはスマホの地図アプリがあると助かる。

手前側に教会がある。むこうの入り口は表通りからかなり入り組んでいるところにある。


堂々たる教会の威容


この日は信徒の通夜の日とかで、人々が集っていた。納骨堂にも大勢。8月15日だったからお盆の行事かな?とも思ったがカトリックに盆はないよね。

ここは観光施設ではなく、宗教施設なのでしかるべき心得が必要だ。内部撮影は禁止されている。入り口は閉鎖されているので、見れるのかな? とも思ったが、関係者と思しき老人が現れ、内部に招じ入れてくれた。エアコンは効いていないが内部は暑くはない。天井が高く、長崎の浦上天主堂に似た荘厳な雰囲気である。祭壇には各種の像が飾られ、ステンドグラスからは外光が差し込む。ステンドグラスは幾何学的な模様で、一部は100年前のフランス製だという。残念ながら写真はナシ。

せめて外観だけでもその美しさを堪能して下さい。


設計・施工にあたったのは、長崎県を中心に九州地方で多くの教会堂建築を手がけた鉄川与助。ウィキペディアによれば、宮崎市の宮崎教会も手がけている。現存するなら見たいもの。


塔の最上部は鐘楼になっている。






屋根瓦は新しい。城島瓦だとか。「鳩除けの薬剤を塗布しているので鳩が来ない」と案内人が言うそばからハトが塔に止まった。


正面から見たときが迫力がある。


ウィキぺディアによれば太刀洗は江戸時代を通して隠れキリシタンが生き延び、明治になって外人宣教師によってそれが発見され、あらためて洗礼が実施されて1000名以上が受洗したという。
現在の太刀洗町の人口15000人に対し、現在の受洗者は約1000名というから、約7%。日本の平均からするととても高い密度である。ここでは教会は歴史遺産ではなく、信徒の日常の場として使われているようだ。

ちなみにここでは信徒以外の結婚式を受けつけていて、費用は10万円だとか。その他に生花に10万円ほどかかるという。一般の結婚式場にあるインチキチャペルよりはよほど有難いかもしれない。

信者でもないのに、物見遊山でやって来た観光客を門前払いにもせず、拝観料も取らずに見せていただいたのは有難いが、案内は、寺男然とした老人によるもので、どうにも要領を得ずまどろっこしかったのがいささか残念。
それはともかく、こんな変哲もない農村に100年前にこんな立派な建築が建てられた、というのは驚き。さぞ費用がかかっただろうに。当時、ドイツから多くの献金が寄せられたという。
ウィキぺディアによれば鉄川与助の手になる教会は長崎県を中心に大変多い、折りあらば訪ねてみたい。以下はウィキからの転載。

明治期 献堂
冷水教会(南松浦郡新上五島町・中通島) 明治40年竣工 木造
旧野首教会(北松浦郡小値賀町・野崎島) 明治41年竣工 煉瓦造 長崎県指定有形文化財
堂崎教会(五島市・福江島) 明治41年竣工 煉瓦造 長崎県指定有形文化財
青砂ヶ浦教会(新上五島町・中通島) 明治43年竣工 煉瓦造 国の重要文化財
楠原教会(五島市・福江島) 明治45年竣工 煉瓦造
佐賀教会(佐賀県佐賀市)
大正期 献堂
山田教会(平戸市・生月島) 大正元年竣工 煉瓦造
今村教会(福岡県三井郡大刀洗町) 大正2年竣工 福岡県指定有形文化財
宮崎教会(宮崎県宮崎市)
大曽教会(新上五島町・中通島) 大正5年竣工 煉瓦造 長崎県指定有形文化財
江上教会(五島市・奈留島) 大正7年竣工 木造 長崎県指定有形文化財
旧大水教会(新上五島町・中通島)
田平天主堂(平戸市) 大正7年竣工 煉瓦造 国の重要文化財
頭ヶ島教会(新上五島町・頭ヶ島) 大正8年竣工 石造 国の重要文化財
細石流教会(五島市・久賀島) 大正10年竣工 木造 ※現存しない
平蔵教会(五島市・福江島)
昭和期 献堂
手取教会(熊本県熊本市)
大牟田教会(福岡県大牟田市)
呼子教会(佐賀県唐津市) ※旧馬渡島教会(馬渡島)を移設
八幡教会(福岡県北九州市)
戸畑教会(福岡県北九州市)
紐差教会(平戸市) 昭和4年竣工 鉄筋コンクリート造
大江教会(熊本県天草市) 昭和8年竣工
新田原教会(福岡県行橋市)
水俣教会(熊本県水俣市)
崎津教会(熊本県天草市) 昭和9年竣工
小倉教会(福岡県北九州市)
水の浦教会(五島市・福江島) 昭和13年竣工 木造
愛野教会(雲仙市)
浦上教会(長崎市) 昭和34年竣工 ※原爆で倒壊した旧浦上天主堂を再建
諫早教会(諫早市)
桐教会(新上五島町・中通島)
船隠教会(新上五島町・中通島)
丸尾教会(新上五島町・中通島)




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