一路

  • 2013/05/24(金) 23:14:58

BS日テレの「浅田次郎と眞野あずさが巡る中山道の旅」を見た。

浅田の小説「一路」の舞台となる中山道をめぐる一種の旅番組。
浅田はこう言っていた----昔から江戸時代の参勤交代という奇妙な制度に興味があったが、どうせ誰か他の作家により小説化されているんだろう、と思って放置しておいたが、どうやら参勤交代そのものを具体的に描いた作品はなさそうだ、と気づいて、作品化をはかり「一路」となった---



私も参勤交代にはおおいに興味がある。昔に行って、加賀藩の4000人のパレードをぜひ見てみたいものだ。数十名のお祭りの行列でも楽しいんだから、絶対に見ものであるに決まっている。しかし、その行列は通り過ぎるのに数時間を要し、下々は土下座で平伏しておらねばならないので、見物できる保障はないが・・・

ウィキペディアから引用した丹波・園部藩の行列。園部藩は2万5000石。小さな藩でも結構立派だ。加賀藩ならこれの10倍以上の規模のはず。


わたしは普段あまり時代小説を好んで読むことはないし、浅田次郎にいたっては昔の「鉄道員」(ぽっぽ屋)という短編集しか読んだことがない。が、参勤交代に引かれてこの「一路」を読んでみた。上下2巻の大部な小説である。これが、めちゃくちゃに面白かった。ストーリーも面白いし、江戸時代の道中を豊かにイメージできるし、擬古文的な言い回しや時代的な表現・語彙に満ちた達意の文が快調で日本語の心地よさを十二分に堪能できる。映画化・TVドラマ化も考えられるがその際にはこの浅田節は味わえないだろうから、魅力半減だ。しかし、映像でも見てみたくなる作品ではある。

話は、美濃国に知行をもつある旗本の、中仙道経由で江戸に至る参勤道中を描く。主役は道中を差配する若き共頭。お家騒動が筋運びの道糸となり、厳冬の中仙道の12泊の行軍を描く。なぜ普通の大名の東海道道中にせず、特殊な地位・小録の旗本の中仙道道中にしたのかは、最初違和感があるが、おいおいドラマの仕立て上の必然性がわかってくる。魅力的なのは主役の一路ではなく、もう一人の中心人物の殿様。バカ殿なのか名君なのか、なかなか傑物で時に爆笑もさせてくれるので読む場所にご用心。

コチラに中仙道の楽しい地図がある

この小説で読む限りは参勤交代は大変な事業である。全国300諸侯が250年間も続けた、ということは単純計算では延べで300X250=75000回も大旅行が行われた、ということである。こんなものすごい量の大移動はじつは江戸時代・ひいては日本の形を規定するくらいの影響があったのではないか。

たとえば、300諸侯の領地は全国に散らばるが、参勤交代の制度上、殿様の正室と子どもは江戸常住で、ほとんどの殿様は子ども時代を江戸で育つことになる。すなわち江戸時代の指導者層はほとんど江戸を故郷としていたことになる。明治維新後の版籍奉還・廃藩置県で諸侯は爵位を与えられて全員東京に召還されることになった時、皆唯々諾々と従ったのであるが、実は全員故郷に帰っただけのことであったから、内心喜んだのではないか。貴人にとっては田舎より東京の方が楽しいに決まっている。現在の地方選出国会議員たちの子弟が東京の名門私立学校に行っているようなものだ。選挙区が岩手の小沢氏も山口の安部氏も福岡の麻生氏もみんな東京育ちのお坊ちゃんたち。宮崎2区の江藤拓議員は世襲議員であるが、ド田舎の地元・門川中に通ったというだけでもエライのかもしれない。

大名行列ならぬ佐伯八坂神社の秋祭りの行列。
八坂神社 祭り
八坂神社 祭り posted by (C)オトジマ

九州の諸藩は旅程が1000km以上になり、江戸に近い諸藩に比べ出費の点でも大変なハンディを背負う。日向延岡藩は譜代藩。船で方財から出航して海路大阪まで行き、そこからは陸路東海道や中仙道で江戸に向かっていた。徒歩も大変だが、船旅も大変だ。艪漕ぎを併用していたから大勢の水夫が必要で、やはり多額の費用がかかったものだろう。日南の飫肥藩の場合、細島から船に乗り大阪に向かった。大小7隻の船を使い士卒276人内外、水夫269人くらいの規模である。乗客と同じくらいの人数の水夫が必要であった。コチラに詳細がある。

学校の歴史の時間には、幕府が参勤交代を命じた訳として、軍事的反抗を防ぐため大名に散財させて窮乏化をはかった・・・みたいなことを教えるが、浅田次郎はそれは結果論であって、当初はあくまで危急の際、江戸まで行軍するための演習という側面が強かったはず、と言っている。「一路」はそれを前提として物語が展開する。時代背景は幕末であるからかなりアナクロで、そこが面白い所でもある。フトンの中で読みながら眠るには面白すぎて眠れなくなるかもしれないが、ヒマな方には一読をお薦めする。

コチラに「一路」の関連ページがあるので興味ある方は参照。
















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百済の里 正倉院

  • 2013/05/22(水) 01:38:30

旧南郷村の「百済の里」事業は百済の館にとどまらずに、正倉院のレプリカを作るところまで行った。神門神社に伝わる銅鏡と同じ鋳型のものが正倉院にある、という点だけでその鏡の収蔵庫である正倉院のレプリカを作ってしまう、というほとんど牽強付会。総工費17億円は人口たかだか2000人の村にしては過分な投資。

これは本物の正倉院。ウィキペディアより。
Shoso-in
Shoso-in posted by (C)オトジマ

時の南郷村長 田原正人氏のあくなき執念により17億円の巨費を投じて「西の正倉院」が完成したのは1996年。完成に漕ぎつけるまでの艱難辛苦を現地案内所の方が懇切に解説してくれた。同じ話がネット上にあちこち散らばっているが、元は田原氏の苦労話、自慢話に由来するものと思われる。コチラを参照
田原氏の話はなかなか面白い。

まず、その大きさには驚く。奈良にある本物は写真でお馴染みだが、実物を見たことがなく、大きさの感覚はなかったので、ホーッ、こんなにデカイのかと感心する。写真ではスケール感がない。これがコンクリートの建物なら珍しくもないが、純木造だと知っていると驚異だ。近年建てられたものとはいえ、建物に興味のある人には見過せない建築である。本物は宮内庁の管理下で近寄れないが、ここならさわり放題である。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

周囲の緑が美しい。20年の歳月で植栽が落ち着いている。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

高床式だから床下は広い空間で2m以上ある。この柱は上の建物を載せているだけで、上まで貫通しているわけではない。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

この柱を束柱といい、木曽ヒノキ材で直径60cm・長さ250cmで40本あるという。正確な価格を忘れたがこれ1本だけでも400万円くらいするとか!!! とんでもない太っ腹である。私が村長ならここは杉でいいや、と妥協するところ。やはり田原村長はただものではない。建物全体の木材だけで5億円。

束石も古式にのっとっている。大宰府都府楼跡の列石を思い出す。
正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ

20年のうちにいい具合に風化して材が黒ずんでいる。全く塗装はしていないとか。時代が経過すれば本物のように真っ黒になるだろう。
正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ

正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ

予備の束柱が展示してある。外の柱とちがい新品同様にキレイ。
いわば400万円が転がっているのであるが、このお宝をドロボーするのはかなりの体力がいる。
正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ

表面にヤリガンナの削りあとが見られる。電動プレーナーではないよ。
正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ

と思っていたら、しっかりヤリガンナの展示があった。
正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ

館内の様子。ここは建物を鑑賞すべきところで、展示物には驚くようなものはない・・・少なくとも考古学素人には・・・
正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ

珍しいのがこのホコの大群。実用上のものではなく奉納用のものだと思われる。神門神社に奉納されていたもの。1000本以上あるという。小さいものは彫刻刀くらいから大きなものは1mくらいのものまで。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

展示物
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

三十六歌仙図はよくある奉納品。江戸時代初期のものとか。神社の拝殿にあったにしてはかなりよく保存されている。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

放水銃。
正倉院
正倉院 posted by (C)オトジマ



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百済の里 南郷

  • 2013/05/21(火) 02:04:32

かつての南郷村神門(みかど)、現在の美郷町南郷区は「百済の里」として村おこしを図った。20年ばかり前に「百済の館」を作り、その後「西の正倉院」を建てた。百済の館ができた時に見に行った記憶があるが、正倉院は建って19年も経つというのにいまだ行ったことがない。

南郷区は小丸川の上流に当たる。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

神門の中心部。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

まずは物語の発端となる神門神社へ。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

杉の巨木が歴史を物語る
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

狛犬は昭和初期の軍国時代の奉納。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

神社から百済の館を見下ろす。屋根もどことなく和風とは異なる。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

この塀は明らかに朝鮮風
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

こお角度で見るとまるで韓国に行ったみたいだ。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

鮮やかな彩色も朝鮮風。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

地面は磚と呼ばれるレンガ、というよりテラコッタ。
百済の里
百済の里 posted by (C)オトジマ

中では試着用のチマチョゴリが何着もあって着てみることができる。
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P5158033e posted by (C)オトジマ

神門には百済王の伝説がある。少なくとも宮崎県民にはおなじみの話。毎年の「師走まつり」はテレビニュースの恒例。詳細は知らないので詳しくは他のサイトに譲ることにする。ネットを見ていたら百済王伝説は史実とは認めがたいので町に異議申し立てするサイトがあった。コチラ。なかなか面白そうな論だが、根幹に「嫌韓」感情があるんではないか。「伝説」なんだからそうメクジラたてずとも・・・・と思うが。全国には根拠不明の伝説が満ちている。

ただし、韓国ではこの小さな村の小さな取り組みは過大に評価されているのかも。韓国首相も務めた金鍾泌(キム・ジョンピル)氏も訪れたようで植樹している。



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蒲江 楠本浦 八十八体仏

  • 2013/05/19(日) 00:44:01

蒲江、入津湾の最奥に楠本浦という集落がある。昨年はここの天満社をレポートした。海辺のステキな神社である。昨年の写真。
入津 天満社
入津 天満社 posted by (C)オトジマ

入津 天満社
入津 天満社 posted by (C)オトジマ

昨今、いずこも田舎には廃屋が増えているが、ここには現役の家屋で屋根に草の生えたお宅が目立つ。
楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

楠本浦に八十八体仏があるという。国道388号沿いに案内看板はないのでわかりづらい。わからないほうがいいのかもしれない。
楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

建物は新建材の新しいもので面白くもなんともないが・・・
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P5127959 posted by (C)オトジマ

中には素晴らしい仏像がズラーリ・・・。  圧巻!
楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

四国八十八箇所の本尊たちである。製作は天保11年。作者は岡本数馬。200年近く経過しているが、屋内にあったためか保存状態がいい。八十八体が1本のクスノキから彫られたという。
楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

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P5127947 posted by (C)オトジマ

楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

各本尊の下の台座には札所番号、本尊の種類、発願者の氏名が彫りこんである。
楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

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P5127952 posted by (C)オトジマ

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P5127954 posted by (C)オトジマ
よくぞ廃仏毀釈を乗り越えて無事伝わったものだ。ただ、気になるのはセキュリティ。昨今の仏罰を怖れぬ仏像ドロボーが心配だ。

庚申塔や地蔵も集められている。裏山は墓地になっている。
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P5127956 posted by (C)オトジマ

墓地上がり口にヤカンがたくさんぶら下がる。いつも墓参りするマメな人々がいるのだろう。私などは盆と彼岸だけ。
楠本浦
楠本浦 posted by (C)オトジマ

所変わって以下は蒲江元猿海岸にある大師堂。
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P5127828 posted by (C)オトジマ

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P5127832 posted by (C)オトジマ

左の稚拙な不動明王には思わず笑ってしまう。楠本八十八体仏のプロの業とはえらく技量が違うが、これはこれでいいものだ。
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P5127829 posted by (C)オトジマ


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蒲江 西野浦

  • 2013/05/17(金) 00:59:53

仙崎山から下り、ふもとの西野浦をうろついてみた。
西野浦は複雑な形の入津湾沿いの波静かな漁村である。

潮が引いている。
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P5127893 posted by (C)オトジマ

西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

裏通りを歩いてみる。道路改良以前はメインストリートだったところ。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

漁村特有の細い路地の向こうに真っ赤なホンダN1がかわいい。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

仙崎砲台の積み石と同じ平たい石の石垣。
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P5127906 posted by (C)オトジマ

西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

バイク屋さんを覆いつくす木。何の木?
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

堂々たる構えの民宿。屋根瓦は古いが、板壁は新しい。この地域ではこんな茶色に塗った板壁の家が多い。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

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img024e posted by (C)オトジマ

昔の防波堤のようだ。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

どこにもカキがびっしり
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

ほとんど波のない河内湾は入津湾の一部で湾最奥にあたる。国道388号線より。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

こんな入り江を見ると、オールズバーグの絵を思い出す。
西風号の遭難
西風号の遭難 posted by (C)オトジマ

遠景の山が仙崎山と思われる。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ

ここでカヌーやボートを漕ぐと楽しそうだ。
西野浦
西野浦 posted by (C)オトジマ


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仙崎砲台

  • 2013/05/15(水) 00:54:42

蒲江のマリンカルチャーセンターの裏山に高平山キャンプ場がある。眼下にマリカルを見下ろす絶景の地。そこから半島の先端に向けてサイクリングロードがあり、終点が仙崎つつじ公園である。ここに入津湾側の西野浦から登ってみた。標高差およそ300mを九十九折の細い林道で15分くらい。

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img024e posted by (C)オトジマ

西野浦の林道登り口から集落を見下ろす。向こうは西浦湾。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

仙崎つつじ公園からの絶景。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

蒲江、北浦方面。左端水平線に深島。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

空気の透明度が今ひとつで、四国がオボロに見える程度。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

水平線は見えない。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

300mの眼下に豊後水道。まったく白波の見えないおだやかな海面。定置網がいくつも仕掛けてある。
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P5127850 posted by (C)オトジマ

鳥羽一郎もここに来たのかな?
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

つつじ公園を仙崎山から俯瞰。おおきな広場があり、野外ステージもある。水道・トイレもあるのでキャンプもできそうだ。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

西浦湾方面。西浦湾は入津湾の一部で湾は複雑な形状をしている。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

つつじ公園に「砲台跡」という表示があるので、仙崎山山頂方面に登ってみた。公園から整備された遊歩道を登る。山頂の標高は412m。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

セメントの構築物が現れる。土台は積み石である。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

確かに砲台然としている。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

直径10mくらいの円形の構築物が3つ並ぶ。昔は砲塔があったのだろうか。天蓋がなかった可能性もある。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

ネット上で調べても昔の写真がなく、ここに設置されていた説明板はすっかり消えてしまっていた。
なんでも戦時中に海軍が設置した対潜水艦用の15cmカノン砲だったとか。30cmという話もあるが、それはありえないだろう。丹賀砲台が30cmであるがあの巨大さとは比べるべくもないし、砲弾をここまで持ち上げるのは容易なことではない。

仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

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P5127869 posted by (C)オトジマ

この窪みは弾薬庫と思しい。
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P5127880 posted by (C)オトジマ

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P5127884 posted by (C)オトジマ

仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

基部は戦国時代の山城風の石積み。資材は現地調達したようだ。現在では周囲に大きな車道も見あたらないが、麓から400mの高地まで人力でセメントや砲を担ぎ上げられるわけもないので、車道を開削したはずである。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

こうみると本当に山城に見える。
仙崎砲台
仙崎砲台 posted by (C)オトジマ

ちょっとした広場があり、モルタルの破片が散乱している。
台所みたいなので戦時中は司厨所だったのだろうか。
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P5127875 posted by (C)オトジマ

なんでも戦時中には完成しなかったとか。小さな陣地とはいえ、機械力の満足になかった時代だから大変な苦労で構築されたはずだ。いまでは樹林に覆われていかにも廃墟となっているが、昔は展望が利いたと思われる。


豊後水道には各所にこんな砲台が配備されていたのである。近所には鶴御崎の砲台群がある。丹賀砲台については昨年のレポートがあるので参照。


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蒲江のうず巻

  • 2013/05/13(月) 12:54:51

4月にも行った蒲江に再び。なにせ高速無料で1時間でいける手軽な場所である。

蒲江けんちゃん日記帳」は蒲江銘菓「うず巻」を製造している方のブログで私は毎日愛読している。高速開通で観光客が激増し、「うず巻」も飛ぶような売れ行きだという。そりゃ、買いに行かなくちゃ。ココ「正栄堂」がけんちゃんのお店。
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P5127810 posted by (C)オトジマ

店売りではなく「道の駅かまえ」での売り上げが主体らしい。近所の道の駅に寄ってみると・・・
大変な賑わい。高速で北上し蒲江ICで降りた車はほぼ100%ここに寄っていると見ていいようだ。当然宮崎ナンバーが多い。
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P5127811 posted by (C)オトジマ

ありました、「うず巻」のコーナー。うず巻は蒲江の名物で作っている業者は数軒あり、この売り場にもいくつかの店のうず巻があるが価格は皆同じ。あとはパッケージ勝負。
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P5127818 posted by (C)オトジマ

正栄堂のうず巻を買って帰り、切ったところ。アンコをスポンジケーキで巻いたようなものか。1本220円、これは2本セット420円。
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P5127961 posted by (C)オトジマ

店内には海産物がいっぱい。
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P5127820 posted by (C)オトジマ

取れたての貝類。
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P5127822 posted by (C)オトジマ

これは蒲江では「ジンガラ」というそうだ。先週の記事で宮之浦で潜ってこれを取り、ゆでて食べた。
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P5127815 posted by (C)オトジマ

大分県南ではかつて真珠養殖が盛んだった。子供の頃には副産物の真珠貝の貝柱をよく食べたものだ。いまでも真珠養殖は小規模に行われているらしい。貝柱はすっかり価格高騰しているとか。
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P5127824 posted by (C)オトジマ

高山海水浴場。砂利の海岸。むこうの山は先月登った背平山
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蒲江 posted by (C)オトジマ

元猿海岸。高山海岸とつながっている。向こうにマリンカルチャーセンター。
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ

マリンカルチャーセンターは巨大な建物。各種研修施設として作られた県の施設。団体で400名宿泊できる。息子が高校生の時、入学後のオリエンテーション合宿がここであった。当時は延岡からここまで来るのに佐伯経由で3時間はかかったはず。地の果てのように遠くて生徒達は乗り物酔いしただろう。
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ

今日も三重高校の新入生たちが合宿。海を見ながら弁当を食ってる。山の中の子ども達だから初めて海を見て感激!---ってことはないだろうな、今時。
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ

団体さんはライフジャケットを着ているところを見ると船に乗ってサンゴ見物に行くようだ。
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ

駐車場の車列、これ全部宮崎ナンバー。宮崎県民は大分観光にずいぶん貢献してるぞ。
蒲江
蒲江 posted by (C)オトジマ



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平戸  田平教会

  • 2013/05/13(月) 11:01:22

平戸の最終目的地は田平教会。田平は平戸島の対岸の九州本土。
平戸大橋のある田平口から国道204号を離れ、海岸沿いにしばらく南下すると丘陵地帯の畑の中に突然教会が現れる。

教会は道路の側に尻を向けていて、西の方、つまり海の方に正面がある。昔は海の側からアクセスしたものか。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

和瓦とレンガの様式建築の美しいコンビネーション。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

これが正面。堂々たる姿。
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P5057772 posted by (C)オトジマ

引きで。麓から教会敷地に登る石段から撮影。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

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P5057774 posted by (C)オトジマ

教会建築の時、この炉で石灰を作ったという。石灰と赤土を混ぜたアマカワでレンガの目詰めをした。信者たちが食べたあとの貝殻を持ち寄り、ここで焼いて作った---とある。
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P5057776 posted by (C)オトジマ


田平教会は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つとして世界遺産暫定リストに登録されている。1918年(大正7年)鉄川与助により設計・施工された。

田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

ここの教会のステンドグラスは具象的で美しい。浦上や今村、平戸の教会が単純な幾何学模様であるのと異なっている。これがオリジナルかどうかは知らない。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

ステンドガラスはそれぞれ違う絵柄だが、座席から先は立ち入り禁止なので一部しか見れない。観光客向けに絵ハガキセットとして売っている。
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P5057785e posted by (C)オトジマ

教会の隣は墓地になっている。墓はすべて海のほうを見ている。
こんなにズラリとキリスト教式の墓石が並んでいる光景は初めて見た。墓石は頭に十字架がついているだけで一般の日本式墓石とあまり変わらない。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

歴代司祭の墓は大きくて立派だ。仏教の寺でも歴代住職の墓が立派だったりするのと同じことか。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

左:仏式の墓では戒名が見られるが、ここの墓にはかならずカタカナの洗礼名が書かれる。
右:平たい墓石もある。元来はこの形だったのではないか。
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P5057797e posted by (C)オトジマ

昔は土葬だったから、こんな形の墓もある。
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P5057795 posted by (C)オトジマ

長崎県では彫った文字を金色に装飾している派手な墓石が多い。
キリスト教式でも変わらない。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

海の向こうは平戸島。日没時には素晴らしい夕景が見れるのではないだろうか。西方浄土だか天国だがが向こうに見えるかもしれない。
田平天主堂
田平天主堂 posted by (C)オトジマ

NHK教育の「美の壷」を見ていたら、長崎の出津教会(いずし)が紹介された。自然石を積んだ石壁の素朴な建物である。司祭の名にちなみ「ドロ様壁」と呼ばれたという。一目見るなり「見たい!」と思い、行く計画を立てたのである。しかし連休中の長崎市内の混雑を思うと、あの市内を突破して西彼杵半島の海沿いを行くのはかなり時間がかかるようなので、今回はあきらめたのである。出津教会も世界遺産(文化遺産)暫定リストへ追加掲載が決まった長崎県内にある教会の一つ。まぁ、リストにある他の教会がいくつか見れたので今回は満足。

※DTI閉鎖にともない、ブログ移転してます。以下にどうぞ。FC2の「一歩 日豊 散歩」


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宝亀教会

  • 2013/05/12(日) 01:21:52

平戸島、紐差からやや平戸市街よりに宝亀という小さな集落があり、宝亀教会がある。国道から離合もできない細い坂道で畑や林の中を登っていく。ほんとにこんなところに? 物見遊山の外来者が入っていくのが気が引けるようなひなびた小さな集落である。
宝亀
宝亀 posted by (C)オトジマ

駐車場は結構広くて、県外車が何台か停まっていた。こんなところにも観光客が来るんだ・・・ まぁ、自分もそうだけど・・・
宝亀
宝亀 posted by (C)オトジマ

小さいけれど赤い壁がかわいい教会だ。
宝亀
宝亀 posted by (C)オトジマ

明治31年(1898年)頃建設らしいからすでに100年以上経っている歴史ある教会だ。世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会の1つである。
宝亀
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宝亀
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瓦は和瓦。洋風建築に和瓦という組み合わせは相性がいい。
宝亀
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宝亀
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この教会は内部撮影禁止なので窓の外から撮ってみた。ステンドグラス越しなので色つき。
宝亀
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宝亀
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教会に来た近所の老人が「これはモチの木」と教えてくれた。このかわいらしい教会は観光用や結婚式用のチャペルではなく、地元の人々の信仰の場だというのがあまり実感できない。おそらく集うのは老人ばかりではないか。
宝亀
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宝亀からもう一つ北にある入り江が川内である。湾の対岸から見る川内集落は私にとっては夢の中の景色のように思えた。
紐差
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紐差に行く途中は国道を通り過ぎただけだが、この集落の中を通り抜ける旧道があるはずで、古い家屋が残っているはずだ、とめぼしをつけ、帰りには旧道を通ってみた。
川内
川内 posted by (C)オトジマ

やはり古い店や家屋が残っている。車が少なく静かだ。
懐かしい街並。
川内
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この床屋は現役だと思う。ネジネジのサインに電源コードが来ている。グルグル回ってはいなかったが。重要文化財クラスの床屋だ。
川内
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このタバコ屋も現役。昔は旅館だったような。
川内
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川内
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川内
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蒲鉾屋が多い。この集落の名産品だという。一軒に寄って蒲鉾を買い、食べてみた。おいしかった。
川内
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川内
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紐差
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平戸 紐差教会

  • 2013/05/11(土) 08:13:53

平戸市街は細長い平戸島の北端にある。そこから国道383号で南下し、17kmはなれた島中央の集落である紐差へ。

島とはいえ道路は快適で、ぜんぜん島を走っているという感じはしない。平地が少ないからか、いたるところに石垣を築いた棚田が見られる。向こうに赤い平戸大橋が見える。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

対岸は九州本土、田平地区。田平教会がある。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

対岸に、江迎の風車が見える
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

というところで、紐差(ひもさし)の紐差教会に着く。
小さな町なのに立派な教会が丘の上にそびえる。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

紐差教会は九州各地の教会建築で有名な鉄川与助の設計である。去年、太刀洗の今村教会を訪れるまでは知らない名前だったが、その後急に興味が湧いた。長崎県には彼の設計した教会が多い。五島列島には行けそうもないが、折りあらばあちこち行ってみたい。

紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

紐差教会は昭和4年、鉄筋コンクリート造である。
鉄川は今村教会や田平教会のようにレンガ造の名建築が多いが、昭和になって鉄筋コンクリート造が一般化して、この紐差教会ではじめて教会建築に鉄筋コンクリートを導入したとか。まぁ、見物する方はレンガの方がはるかに風情があっていいのであるが、立てる側となると、予算や構造設計や強度で鉄筋コンクリートの方が楽に決まっている。

まぁ、真四角な近代建築と比べればはるかに優美な建築である。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

この小さな町にこんなにたくさんの座席が必要なの?と疑問になるくらい大きい。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

ステンドグラスの模様は単純である。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

天井にも細かな細工が。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

教会から見る紐差の入り江、木ヶ津湾。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

P5057723
P5057723 posted by (C)オトジマ

紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

教会のアーチから麓をみると、神社の屋根が見える。国土地理院の地図を見るとこの場所には神社の鳥居のマークはあるが、教会にはなんの印もなくてその存在が抹殺されているようだ。地図記号にはキリスト教会のマークはないんだな。
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

その素盞鳴神社神社から教会を仰ぎ見ると・・・。樹林がジャマで教会がよく見えない。うまく両方が見えれば、平戸の寺と教会のアンサンブルみたいな面白い絵が撮れると思ったんだが・・・
紐差
紐差 posted by (C)オトジマ

P5057729
P5057729 posted by (C)オトジマ

明治44年の奉納
P5057730e
P5057730e posted by (C)オトジマ

この日訪れた4つの教会。すべて平戸市内。
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hirado map posted by (C)オトジマ

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