英国庭園

  • 2013/06/27(木) 01:45:43

1999年に宮崎グリーン博が開催され、その跡地にフローランテが作られている。今から14年前かぁ。あのとき見た英国庭園のステキさを妻が寝言のように言っていたものだ。現在フローランテでは見かけないので、博覧会の終了とともに取り壊されていたものと思っていたら、なんと現存するらしい。というので行ってみた。

場所がややわかりづらい。フローランテで尋ねると、多くの人が道を聞きに来ると見えて、ちゃんと印刷された道案内の紙片をくれた。フローランテから500mくらい南下した松林の中。

松林の中の道がなかなか風情がある。ここには車が5〜6台分の駐車場がある。平日なら大丈夫のはず。当日は我々だけだった。
かなりさびしいところではある。今時なかなか得がたいロケーション。
英国庭園
英国庭園 posted by (C)オトジマ

英国庭園
英国庭園 posted by (C)オトジマ

松林の中に忽然と庭園が現れる。ここが入り口。
英国庭園
英国庭園 posted by (C)オトジマ

P6208219
P6208219 posted by (C)オトジマ



森の中だから日照が足りない感がある。手前に見える丸い井戸はフェイク。
英国庭園
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英国庭園
英国庭園 posted by (C)オトジマ

周囲には飾り物の柵があって、ここは牧場の中という設定らしい、ヒツジもいる。このヒツジはビニル被覆の金網を丸めて作っている。なかなかうまいことできてる。これも14年前からいるらしい。
英国庭園
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英国庭園
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この階段もフェイク。2階はないので上のドアを開けて中に入ると転落するだろう。
P6208215
P6208215 posted by (C)オトジマ

英国庭園
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藤棚。藤の幹が大蛇のように太く這い上がっている。
英国庭園
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前庭から建物を見る。芝が枯れ加減。冬芝なのでもう終わりの時期だとか。5月までは青々としていたらしい。
英国庭園
英国庭園 posted by (C)オトジマ

玄関上のバラも5月には花盛りだったとか。
英国庭園
英国庭園 posted by (C)オトジマ

これは花の時期の写真
英国庭園
英国庭園 posted by (C)オトジマ

外から見ると2階建てに見えるが、実は吹き抜け。おまけに壁はコンクリート打ち放し。建物もフェイクということ。
英国庭園
英国庭園 posted by (C)オトジマ

カフェになっている。
英国庭園
英国庭園 posted by (C)オトジマ

シフォンケーキと飲み物セットで700円。
英国庭園
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英国庭園
英国庭園 posted by (C)オトジマ

この庭園は昔のグリーン博会場から移設したものかと思っていたら、建設当初からずっとここにあるという。14年前の記憶はほとんど失せているのではじめて来たのとほぼ同じ。花のある時期に来たらなかなか良さそうだ。

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日向景修園

  • 2013/06/26(水) 01:10:26

テレビのローカル天気予報でいつも木花の運動公園の日本庭園が映る。宮崎にあんなに風情のある日本庭園があるんだなぁ、と気になっていたので行ってみた。

そもそも長年県民をしているが、宮崎県総合運動公園というところに初めて行った。とんでもなくだだっ広いので南駐車場から日本庭園までえらく遠い。700mくらいあるんではないか?
車を中央第二駐車場に置いたらかなり近くなるのを知らなかった・・・

日向景修園に到着。昭和56年に完成とあるから約30年もたっているが、今まで知らなかったとは・・・・
景修園
景修園 posted by (C)オトジマ

炎暑の中、長い道のりを歩いた果てにたどり着いた東屋でしばしへたり込む。
景修園
景修園 posted by (C)オトジマ

でかい鯉がうようよ。エサをチョーダイと寄ってくる。
景修園
景修園 posted by (C)オトジマ

景修園
景修園 posted by (C)オトジマ

なかなか立派な庭園である。これで旧大名家とか古刹の庭園ならば、堂々たる観光地になるんだろうが・・・
景修園
景修園 posted by (C)オトジマ

この人工滝は高千穂峡の真名井の滝を模して作られたとか。
海パンやタオルがあれば飛び込んで涼をとりたいところ。
子どもなら許されそうだ。
景修園
景修園 posted by (C)オトジマ

景修園
景修園 posted by (C)オトジマ

景修園
景修園 posted by (C)オトジマ

花のある時期とか、紅葉の時期ならまたステキかもしれない。いかんせんこの日は暑すぎた。

庭園に隣接して風土記の丘がある。これは賽の河原だそうな。賽の河原ならもっと荒涼としたイメージだが。
景修園
景修園 posted by (C)オトジマ

千と千尋の神隠しの一場面を思い出す


円墳のレプリカ。重機があればすぐに作れそう。
景修園
景修園 posted by (C)オトジマ



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青島熱帯植物園

  • 2013/06/25(火) 00:51:14

昔々、30年ほど前、青島の国民宿舎を利用したことがある。。隣に熱帯植物園があり、なかなかいい環境だった記憶がある。しかし、当時でさえ、国民宿舎はうらびれ感を漂わせていた。

さて、久しぶりにその植物園にでも寄ってみるか、と国民宿舎を探すと・・・・なくなっていた。跡地は駐車場になっていた。さて、植物園は? ここも例によって閑古鳥が鳴いているようであるが・・・・・
青島
青島 posted by (C)オトジマ

青島
青島 posted by (C)オトジマ

入場料200円を払って温室に入る。
まぁ、こんなもんだろう、という景色。熱帯だから椰子の木やバナナの木や各種のランなどがあるだろう。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

椰子の木が天井につかえている。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

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P6208142 posted by (C)オトジマ

バナナやマンゴーがなっている。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

しかし、いかんせん暑い! 夏に温室の見物をするものではないと気づいた。汗だくになって這う這うの体でそうそうに脱出した。

P6208136
P6208136 posted by (C)オトジマ

屋外にも多数のヤシやらフェニックスやらが生えているが、昨今そんな人工南国風は観光客をひきつける力は乏しい。昭和30年代の観光宮崎の栄華を引きずって、県内中椰子の木ばかりにして、どこもかしこも国籍不明の景色になってしまった。
さらには、フェニックスの虫害の広がり、高く成長したヤシ並木からの葉柄の落下が危険だとかで、その手入れに莫大な金がかかり、今後どうするのか問題になっている。早急に方針転換して、風土に合った樹種を植栽したほうが、素敵な風景になるだろう。

消毒済みのチェックがついたフェニックス。近年枯死が増えている。松の木と似た運命。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

落下した葉柄。これは日向市で
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P6222792 posted by (C)ヒサシ

海岸から青島を見る
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P6208090 posted by (C)オトジマ

青島参道脇のゴミ。やる気のない観光地はこうなるんだなぁ。
P6208092
P6208092 posted by (C)オトジマ

なにやら赤い海草が打ち上げられていた。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

植物園の石垣。丸石をうまいこと組んでるなぁ、と思ったら、モルタルに埋め込んであるだけ。つまり城の石垣と違い、石は構造材ではなく、装飾。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

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青島

  • 2013/06/23(日) 23:40:51

青島は昔は宮崎観光の中心スポットであったが、現在はどうなんだろう。参道入り口近辺の土産物屋街をみるとうらびれた感を強くする。潰れたり閉鎖されたホテルや施設が目立つ。

だいたい我が家で家族ドライブで青島に行った事がない。子ども達は大人になって初めて友人と訪れた、と言っていた。妻にいたっては生まれて60年一度も行ったことがないとか。私もこの30年間にディズニーランドには4回行っているのに青島には一度も行ってない。県民といえども青島は東京ディズニーランドよりも遠いのである。というところでいって見た。

トゥクトゥクタクシーが走ってくる。タイのタクシーのまね。特に料金はなく、チップ制だとか。閑散期の平日というのにずっと行き来しているところを見ると結構商売になっている様子。実はかなり儲かっているんじゃないかな。片道400mくらいだが4人で乗ったらチップ1000円くらいは皆さんはずむんじゃないだろうか。コチラにフェイスブックのページ。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

おなじみの波状岩、鬼の洗たく板。大量のミナを獲っている人を見かけた。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

青島神社から海のほうを見る。青島神社はすべてが土産物店になっている。土産物といっても御籤やお守りのたぐい。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

ビロー樹林内にある元宮。摂社である。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

柱におびただしい数の5円玉や50円玉がビニル紐に通してくくりつけられている。5円はまだしも50円玉は1000枚で5万円になるから結構なお賽銭になるだろう。さらに・・・・
青島
青島 posted by (C)オトジマ

そのビニル紐は有料で100円もするのである。色により祈願内容が分かれる。なかなか商売上手な神社である。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

願掛け用に投げるホタテも売っている。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

元宮への参道には絵馬のトンネルが。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

絵馬を読むのはなかなか楽しい。善男善女の神様へのお願いは健康・合格・良縁などおおむねつましいものである。みなさん大それたお願いはしないものなんだなぁ。面白そうなものを撮ってみた。

航空大学校がある宮崎らしい絵馬。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

ほんとうにつましいなぁ。私も年頃の未婚の娘がいるが、本当にこんな気持ちです。ただし玉の輿でも文句は言いません。
青島
青島 posted by (C)オトジマ


中にはあまりつましくないのもある。日付が4月28日となっているが、まさにその頃が売り抜けのチャンスだったのでは・・・・ それにつけても値の字が間違ってるよ。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

絵馬も国際的になっている。アジアからの観光客が増えてるようだ。この字はなんて読む? 大陸中国の簡体字なのか?名前を見ると韓国人のようにもあるが・・・・
青島
青島 posted by (C)オトジマ

台湾の繁体字。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

ハングル
青島
青島 posted by (C)オトジマ

タイの文字かな?
青島
青島 posted by (C)オトジマ

海水浴場側のビロー樹林。一番南国青島らしい景色。
青島
青島 posted by (C)オトジマ

1960年頃。上の場所だと思うが、もしかすると元宮のあたりか。私と姉である。
1965  6
1965 6 posted by (C)オトジマ

1965年正月の参道の賑わい。小学生の私が写っている。
1965 宮崎 1
1965 宮崎 1 posted by (C)オトジマ

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酔いどれ小藤次留書

  • 2013/06/22(土) 22:47:19

前回ポスト前々回ポストに引き続き佐伯泰英つながり。

NHK・BSで時代劇「酔いどれ小藤次留書」が放送中。「居眠り磐音」と同じく佐伯泰英の原作である。こちらも試しに原作の1・2巻を読んで見た。



主人公の赤目小藤次は豊後森藩の下士である。「居眠り磐音」の豊後関前藩は架空の藩であるが、豊後森藩は実在した。藩主は久留島氏で、物語の中に出てくる第8代藩主久留島通嘉(みちひろ)は実在する。森藩のあった森は、現在玖珠町となっている。久大線森駅はかつては大きな機関区があり廃墟となった扇形庫が名所となっている。久留島氏はわずか12,500石の小名で城主格でなかったため、城を持たなかった。現在でも森に残る久留島陣屋は小さいが立派な石垣があってほとんど城と呼んでさしつかえないという。久留島陣屋の詳細は多数の写真があるコチラのサイトで。



「酔いどれ小藤次留書」第1話「御鑓(おやり)拝借」は物語の発端である。この巻では久留島氏が城を持たなかったことが物語の重要な鍵となっている。江戸城中で西国の諸侯、森藩久留島、赤穂藩森、丸亀藩京極、肥前小城藩鍋島、臼杵藩稲葉の各大名が同席したおり、稲葉雍通(てるみち)は久留島通嘉が城を持たぬことを愚弄し、他の3人も同調した。久留島通嘉はその恥辱を忍んだが、ある機会に本来目通りかなわぬはずの最末端下士・厩番の赤目小藤次にふと洩らす。後日、小藤次は離藩し秘かに藩主の無念を雪ぐべくたった一人で四藩を敵に回し報復を画する・・・・

臼杵藩稲葉氏屋敷。小説中の登場人物稲葉雍通は実在の藩主である。小説中では悪役を演じる。
佐伯 稲葉氏屋敷
佐伯 稲葉氏屋敷 posted by (C)オトジマ

NHK正月ドラマ「酔いどれ小藤次・御鑓拝借」の一場面


この小説もまた文句なしに面白い。私には「居眠り磐音」よりずっと面白かった。磐音はNHKドラマでは山本耕史が演じたのでどうしてもあのスマートなイケメンのイメージがあるが、小藤次は竹中直人が演じている。物語中では、短躯・醜男・高齢であるが、剣の腕は例によって超人的であり胸のすく活躍をするので男性読者にはなかなか共感できるキャラクターである。竹中直人は身長がもっと低ければ適役である。しかし、小藤次は左利きだったのかな?



実は小藤次は代々、藩の江戸屋敷詰めの厩番であり、江戸の生まれで故国の豊後森に行ったことがなく、第1話「御鑓拝借」では豊後はまったく出てこず、物語は江戸から東海道箱根の間で展開する。豊後に興味を引かれて読み始めたがやや残念。しかし小藤次は一度豊後森を訪ねることを期しているので、その後の展開で森が出てくるのかもしれない。いずれにせよ、その後も延々と続く物語は「居眠り磐音」や佐伯の他のシリーズ物と同様に江戸を中心に展開するようだ。



「酔いどれ小藤次留書・御鑓拝借」は西国赤穂・丸亀・小城・臼杵・森の5藩がからんでいる。そのうち臼杵・森は佐伯好みの豊後国。いずれも現在でも地方の小都市だから昔はなおさら田舎だっただろう。赤穂は小藩とは言え忠臣蔵の舞台だから知らぬ者はいないが、他は全国的知名度はあやしい。しかし、物語中では登場人物たちは公知の地名としてそれを語る。「それどこ?」と言う人物はいない。学校教育やマスコミが普及し、国民の教育水準が江戸時代と比較にならないほど高い現在でも、東京の街角で「小城」や「臼杵」、ましてや「森」を知っているかアンケートを取ったら悲惨な結果になるだろう。まぁ、物語だからそんなもんだろう、とも考えられるが、意外と江戸時代の人々の地理的教養は高かったのかもしれない。

下:武鑑の加賀前田家のページ   一ツ橋大学ライブラリーより


江戸時代を通じ、「武鑑」は一貫してベストセラー本だったという。大名をはじめとした武家の領地・知行高・家紋・家系などが記された紳士録である。身分制社会では何につけて個人の能力よりも先祖伝来の知行高がそのまま身分の尺度となる。交際や商売には前もって相手の諸元を知っておく必要があるから武鑑は武家のみならず、商人にも必需品であった。そんな中でおのずと人々は国名や藩名、石高を諳んじるようになっていたのではないか。一般の寺子屋でも手習いのテーマに「国尽くし」という全国の地名を覚える課題は定番だったらしい。今の中学生が47都道府県を覚えるのに手こずるのに、昔の子供は70ばかりある旧国名を覚えていたのだ。ともかく地理好きの私は、物語に地名がたくさん出てくるとそれだけでも楽しいのである。

6月21日放送の一場面。庭師に扮した小藤次が悪を懲らしめる。


NHKドラマ版では藩名はすべて架空のものであった。森藩は九重藩となっている。確かに森よりも九重の方が大方の人には場所がわかりやすくはあるが、荒唐無稽な物語をなんとか支えていたリアリティは雲散霧消してしまう。それでなくともドラマではセット撮影でこなすためや、展開を速くするためにストーリーは大幅に改変されているし、セットや衣装は小奇麗だし殺陣では血は飛び散らないし、小説の醍醐味はなくなっている。原作では小藤次の日常生活のディティールがこまごまと描写されて生活感のリアリティを出している。これが殺陣場面の連続だったらいかにも単調になってしまう。NHKドラマで興味を持たれた方は本の方でもお読みになるとまた楽しめるに違いない。

コチラに後日豊後森の城下を訪れた時のレポートを書いているので参照。











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佐伯泰英と豊後

  • 2013/06/11(火) 01:06:13

前回ポスト「惜櫟荘だより」からの続き。

私は大昔に東京で出版社でアルバイトをしていたことがある。単なる肉体労働ではあるが大手取次の日販でもアルバイトした。さらには書店にも勤めていた。多少は出版業界の片隅に身を置いたことがある、と言えなくはない。30年前と今では出版業界を取り巻く環境は大きく変わり、雑誌がネット情報に置き換わり、書籍のネット配信の普及するこの先、更に激変も予想されるが・・・。 

出版業界のヒエラルキーはかならずしも規模や売り上げ高によらない。リクルートや学研などはいくら規模が大きくとも情報誌や学参ばかりで一流版元とは言えない。大手では講談社・小学館・集英社はコミックの売り上げも多いが一流出版社である。文芸関係では新潮社・文芸春秋・角川などが伝統的。そんな中で岩波は規模ではさしたることはないが、漱石の昔から別格の一流出版社である。いまだに「岩波=良書」という神話は生きていると思う。ただし出版不況は硬派出版社ほど厳しいので先行きは不透明。昔は岩波と張り合った平凡社は百科事典と道連れに没落し、昔の面影はないんではないか?

本の氏素性を知るためにはタイトル・著者はもちろんだが版元は絶対欠かせぬ情報である。門川の図書館ではこの版元の部分に管理用コードを貼り付けてあるのでわざわざ奥付を開かねば版元がわからないので大変不便である。図書館の担当者に苦情を申し述べたこともあるが、意味を解さなかったようであった。たとえば「宇宙人に出会った」というタイトルの本があったとして、その版元が「岩波」であるのか「たま出版」であるのかでは興味も信憑性もまるで異なる。これが「双葉社」であってもまともな読書人なら見向きもしない。双葉社は『クレヨンしんちゃん』を看板とする中堅出版社であるが、近年は佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズが大看板となっている。

図書館の本は背表紙のシールで版元が確認できない!
P6108083
P6108083 posted by (C)オトジマ

「惜櫟荘だより」を出版した岩波と著者の佐伯泰英というと、常識的にはまったくイメージの反する両者であるが、前回エントリで書いたように、たまたま惜櫟荘が結んだ縁である。佐伯泰英が熱海に家を買って、後に隣家が岩波の別荘であることを知った時、「ああ岩波さんかぁ」と自分と取引のない会社であるから、さして気にも留めなかったという。双葉社・祥伝社・光文社など二流どころが舞台の佐伯にとってはまるで縁のない出版社である。佐伯はことある度に自分は読み捨ての粗製乱造時代小説作家であることを卑下している。そんな佐伯を強く後押ししてくれた人物がいた。俳優の児玉清である。

児玉清は大変な読書家で生前はNHKの書評番組「週刊ブックレビュー」のホストを長年務めていた。あらゆるジャンルの本を毎週5冊も6冊も読む、というのに感心していたものだ。書評も平易・的確・穏当で見識の確かさをうかがわせた。芸能人の趣味の域をはるかに超えた読書のプロで、作家達も児玉の評価を気にした、というくらい。温厚な児玉はどんな本でも決してけなさないことで知られていたから逆に読んだくせにノーコメントというのが作家にとって恐怖だった、という。

2006年、新聞の全面広告用に児玉と佐伯が対談した。佐伯は単なるビジネスの一環でお義理なんだろう、くらいにしか思ってなかったが、実は児玉は「居眠り磐音 」の大ファンで全部読んでいたという。児玉は娯楽読み物の文壇的評価を気にするな、書店のレジを鳴らしてなんぼだ、と佐伯を激励した。児玉はその後いたるところで「居眠り磐音」を宣伝してくれて、結果現在の1500万部の大きな助けとなったと佐伯は語る。

児玉はNHK番組の対談の折も惜櫟荘修復計画に対し、「佐伯さん、これはやりがいのあるプロジェクトです。」と高く評価してくれたという。児玉は2011年に亡くなった。児玉は死の間際、入院先で「居眠り磐音 」の最新刊を読んで「磐音に子どもが生まれた。」と自分のことのように喜んだと言う。佐伯はそれを伝え聞いて「児玉さんの残されたわずかな時間を奪うに値した本であっただろうか・・・と自問し、涙がこぼれそうになった」と書いている。

磐音
磐音 posted by (C)オトジマ

私も高踏的な先入観に毒されて大衆娯楽時代小説にあまり縁がなかったのであるが、あの児玉さんがお薦めするくらいなんだから読んでみるか、ということで大変遅まきながら「居眠り磐音」第1巻「陽炎の辻」を買ってきた。その夜のうちにわずか4時間もかからず350ページを読み終えた。読者のほとんどは50代以上の男性らしいから、活字が大きく、セリフが多く、平易・快調、物語はどんどん進み、要所要所にチャンバラが入り、切られた側は「ぐえっ」と叫んで死ぬ。江戸情緒も纏綿、時代背景も活写。まぁ、面白いといえば面白いが、私にはクセになる、というほどではなかった。なにせ現状でも全43巻もあるのであるから前途遼遠で思いやられる。しかし、次の巻を読んでもいいな、という気にはならないではない。都会の長距離電車通勤の人やリタイア世代にはうってつけか。

杵築の武家屋敷街。右が大原邸。
杵築2010
杵築2010 posted by (C)オトジマ

ところでこの「居眠り磐音」の主人公坂崎磐音は豊後・関前藩6万石の藩士である。物語の冒頭はそこで展開する。いざこざの末、磐音は浪人となって江戸に住まうことになり、その後の物語はずっと江戸で展開する。これがそのまま豊後の小さな町で展開するなら藤沢周平の海坂藩もののようになる。関前とは当然架空の町である。



豊後の海に面し、坂のある城下町というと、杵築・日出・臼杵・佐伯などが思い浮かぶ。関前藩は大阪から海路臼杵浦に至り、そこからは陸路、という記述がある。日出は物語中で隣藩として出てくる。作者の姓が「佐伯」だから佐伯もよさそうだが、私の希望では石高・譜代外様にこだわらなければ杵築を想定したい。NHKの時代劇「陽炎の辻」のロケは杵築市の武家屋敷「大原邸」で行われている。

大原邸
国東 2011 秋
国東 2011 秋 posted by (C)オトジマ

「居眠り磐音」にかぎらず佐伯作品の舞台として豊後の小藩が多いのが特徴である。「密命」の金杉惣三郎は豊後相良藩出身、「吉原裏同心」の神守幹次郎は豊後岡藩出身である。NHK時代劇『酔いどれ小籐次留書』の小籐次は豊後森藩久留島氏の配下。相良藩は存在しないが、後の岡藩・森藩は存在する。

なぜ豊後なのか、について佐伯は『惜櫟荘だより』の中でこう言っている。母方の祖先は豊後在で大友宗麟の配下であったが天正年間に薩摩に追われ肥後に逃げた一族らしいので豊後に愛着がある。別のところではこう言っていた。佐伯は北九州・折尾の出身で、九州に土地勘がある。小藩を舞台にするとなると九州はどこも外様の大藩ばかりであるが、豊後には小藩ばかりという特徴がある。それなら日向だって島津領を除けば小藩ばかりなんだけどな・・・

大原邸の庭
杵築2010
杵築2010 posted by (C)オトジマ

コチラに「居眠り磐音」公式サイト。

※DTI閉鎖にともない、ブログ移転してます。以下にどうぞ。FC2の「一歩 日豊 散歩」













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惜櫟荘だより

  • 2013/06/09(日) 18:59:25

5月26日、BS朝日「惜櫟荘ものがたり」を見た。惜櫟荘(せきれきそう)とは岩波書店の創業者・岩波茂雄が熱海に建てた別荘である。現在は作家の佐伯泰英の所有になっている。

数年前、NHKBSの書評番組で児玉清と佐伯泰英の対談を見たことがある。対談の場所はこの「惜櫟荘」であった。佐伯に関心はなかったが惜櫟荘のすばらしいたたずまいが強く印象に残っている。

BS朝日、惜櫟荘ものがたり」サイトより
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top_ph01 posted by (C)オトジマ

BS朝日の番組は惜櫟荘の2年に及ぶ修復工事の模様をドキュメンタリーにしたものである。佐伯は相模湾の見える高台の家屋を購入していた。その後に隣家が岩波書店の建物であることを知る。そんな時、この岩波別荘が売りに出されていることを知り、そこにマンションでも建てられたら自分の家からの眺望が台無しになることを恐れ、借金での購入を決意した。この建築は著名な建築家吉田五十八(よしだいそや)の手になるものであり、吉田自身これを終生最も納得の行く自作だと語ったという。

佐伯の著書『惜櫟荘だより』より。佐伯の住居から俯瞰したもの。隣家とはいえ、かなり離れている。
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img049 posted by (C)オトジマ

佐伯は惜櫟荘の来歴を知るほどに、これは将来に残すべき貴重な文化遺産であると考えた。惜櫟荘は戦時中に完成しているから築70年ほどであるが、純木造であり、長期的な保存や実際の居住を考えると全面的は解体修復を必要としていた。たかだか30坪の小さな建築であるが凝りに凝った数奇屋建築であり、特殊な材料や専門職人による高度な技術を要し、2年もの時間を要した。番組でも佐伯の著書にもかかった費用は述べられてないが莫大な金額になるはずである。そこらはとても気になるところ。

室内からの相模湾の眺め
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prg_03 posted by (C)オトジマ

惜櫟荘が岩波の所有だった時、ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダがここに宿泊した。彼は雨の降るこの窓からの眺めを絵に描いて、置き土産とした。かなり本格的な絵であり、広重の浮世絵を彷彿とさせる。実はワイダは少年時代に見た浮世絵から美術を志し、美術大学在学中に映画に転向した経歴を持つから、絵が達者なのは当然なのである。黒澤明みたいだ。残念ながらその絵がネット上に見当たらない。『惜櫟荘だより』にはモノクロの写真版があるが、やはりカラーでないと・・・


『惜櫟荘だより』は岩波の広報誌「図書」に2年にわたり連載され、岩波書店から単行本化されたものである。佐伯がたまたま惜櫟荘を入手するに至った経緯、修復の模様、そして佐伯のスペインでの回顧譚が中心である。佐伯の経歴は知らなかったのであるが、小説化に転向する以前は売れないカメラマンでスペイン在住時は堀田善衛宅の食客だった時期もあるという。堀田に興味ある人には面白いエピソードが語られる。その後作家に転向し長い不遇時代が続く。スペインを題材にしたした小説や国際冒険小説がさっぱり売れなかった。同じくスペイン物の冒険小説ばかり書いてベストセラー作家になった逢坂剛がいるが最近は逢坂剛も時代物に転じている。

左:双葉社文庫「居眠り磐音 江戸双紙」第1巻。右:『惜櫟荘だより』
佐伯
佐伯 posted by (C)オトジマ

佐伯は時代小説に転じ、六十を過ぎてから時代小説文庫作家としての地位を固める。今、書店の文庫の棚を大きく占拠する佐伯のシリーズ物は10にものぼるがおおむねこの10年以内にスタートしている。月間で1冊以上を書き下ろすという超売れっ子である。NHKの時代劇ドラマ「陽炎の辻」になった「「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズはなんと43巻1500万部というから寅さんなみの超ロングベストセラーである。仮に10%の印税が入るとするとこのシリーズだけでおよそ10億円!

佐伯は六十過ぎて富豪になったのであるが、その金を古建築の保存に費やしたのである。惜櫟荘は元来が岩波茂雄の趣味で建てられた現代数奇屋建築で、成金趣味とは対極にあり、大変趣味が良い。風前の灯だったこの貴重な建築遺産は、佐伯に買われて幸運だった。ここは佐伯の本を1冊くらいは読まねばなるまい、という気になってきた。

次回エントリで「居眠り磐音 江戸双紙」の感想を記す。

※DTI閉鎖にともない、ブログ移転してます。以下にどうぞ。FC2の「一歩 日豊 散歩」




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花桃の里

  • 2013/06/05(水) 02:05:13

NHK「花桃の里にいらっしゃい」を見た。NHKの番組紹介ではこうある----
---「天国に一番近い里」――美しい景色への愛着と、高齢化への一抹の不安を込めて、彼らは自分たちの集落をそう呼ぶ。中国山地の奥深く。13人が暮らす島根県邑南町の川角(かいずみ)集落では、春、住人たちが植えたおよそ1000本の桃の花が咲き乱れる。その光景はまさに「桃源郷」。皆で花見客をもてなす「花桃祭り」までの、集落の人たちの5か月間を見つめる----

番組からのスクリーンショット
花桃の里
花桃の里 posted by (C)オトジマ

花桃の里
花桃の里 posted by (C)オトジマ

山間部の限界集落。かって人口100人以上あったものが現在ではわずか13人で老人ばかり。廃屋が目立ち、遺棄された棚田が多い。ここの老人達が荒れ放題の棚田の草を刈り、花桃の苗を植え始めたのが5年前。昨年春、始めての「花桃まつり」を開催した。思いがけず1000人以上の見物客が来た。老人達はそれに励まされ、日本一美しい花の里づくりにまい進している。実生で苗を育てすでに1500本を植え、1000本が開花するようになっている。老人達は生き生きとして本年で2回目の祭りの準備に取り組む。今年は昨年を上回る1200人が訪れたという。この放送で来年はヒトケタ多い客が来るんではないだろうか?なかなか心温まるドキュメンタリーであった。遺棄された段々畑の活用法としてどこでも見習うことができるのではないだろうか。

花桃の里
花桃の里 posted by (C)オトジマ

花桃の里
花桃の里 posted by (C)オトジマ

実は私の近所でも似た例が。
門川神社裏の山すそに花桃の並木道がある。
これは花の時期、3月の写真。菜の花もサクラもいっぱい。
裏山
裏山 posted by (C)オトジマ

裏山
裏山 posted by (C)オトジマ

裏山
裏山 posted by (C)オトジマ

裏山
裏山 posted by (C)オトジマ

花の時期には通りがかる人は皆車を停めて写真を撮っている。
これは現在の様子。
裏山
裏山 posted by (C)オトジマ

もう青い実がなっている。ウメとほぼ同じくらいの実であるが、これ以上は大きくならず食用にはならない。
裏山
裏山 posted by (C)オトジマ

山の斜面にはサクラの若木がいっぱい。そのうちサクラの名所にもなりそうだ。
裏山
裏山 posted by (C)オトジマ

ビワやウメ、カキもある。
裏山
裏山 posted by (C)オトジマ

ここの地主の方が下刈りをしているところに出会った。
彼のお母さんが実生でハナモモの苗をたくさん育てていたのでここに植えたそうだ。山の斜面には町の森林組合が補助金を25万円出すから杉の植林をさせてくれ、と申し込みがあったそうだが先行き真っ暗な林業もバカらしい。小規模な林業だといざ伐採・出荷となると木材代金より業者への支払いの方が多くなるという。それくらいなら皆さんに喜んでもらえる花の咲く木でも植えた方がマシだ、と考えたという。

しかし、一文にもならぬハナモモやサクラを植える、といっても杉の植林と同じで10年は下刈りを続けねばならないから、大変なご苦労である。それに、ハナモモは木が大きくなるとめっきり花が少なくなるそうで、花が楽しめるのは若木のうちだけだという。それに大変虫がつきやすく、枯れる木も多いらしいから大変だ。そういって、彼はまた山の斜面に分け入って刈り払い機のエンジン音をたてはじめた。美しい花があるところには、こういった無償の善意があるんだなぁ、と感じ入った次第。

これは美郷町田代で。
西郷
西郷 posted by (C)オトジマ

西郷
西郷 posted by (C)オトジマ


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赤猫異聞

  • 2013/06/02(日) 02:19:05

入梅で雨の日々。さらにいろいろ身辺雑事が多く、特に記すほどのこともない日々である。

前回記した浅田次郎の「一路」につづき、同じ著者の「赤猫異聞」を読んだ。何の予備知識もないが単にタイトルが面白そうだから読んだだけ。浅田は話作りのうまさには定評があるのでどれを読んでもだいたいは面白いはず。

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P6028076 posted by (C)オトジマ

タイトルの赤猫とは全然ネコのことではない。江戸名物の大火の折、収監中の囚人を一時的に解き放つことの隠語である。
明治維新、年号が明治に改まった頃、まだ奥州や蝦夷では旧幕軍と官軍の戦争が続いており、江戸は幕府支配から新政府支配への過渡期。江戸時代を通じて小伝馬町に置かれた牢獄が舞台。ここを差配するのは幕府以来の牢役人達である。折りしもの大火で天保以来の「解き放ち」が行われる。それを「赤猫」と称した。火事が牢獄に類焼して混乱が起こるのを防ぐために、いったん400名の囚人は解放されるが、鎮火後には自主的に速やかに戻らねばならない。物語はその囚人達の中の3人の重罪人を巡る彼らの人生模様と転変する時代、解き放ちの3日間のミステリアスな出来事を描く。時代設定は「一路」から10年も経っていないが、世相は大きく変わってしまっている。

物語は事件から7年後に、牢役人の二人と重罪人3人(牢名主である博徒、夜鷹の元締めである女、旗本くずれの剣客)の回想として語られる。ということは地の文は全くなく、会話も極力少なく、ほとんどは当事者の語り、であるが、例によってメチャメチャ面白い。ここでも浅田の文体の巧みさにうならされる。ストーリーの面白さだけでなく、文体が心地よいと、読書の醍醐味は倍増する。江戸から明治の移行期の世相も興味深い。読んで損はない小説である。

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P6028077 posted by (C)オトジマ

たまたま安部龍太郎の「開陽丸、北へ」も同時に読んだのであるが、これも全く同じ時代背景である戊辰戦争から函館戦争にかけて。安部の文体は簡潔で話の展開にだけ注意を注げるようになっている。この物語の登場人物たちは榎本武揚ら旧幕臣なのであるが、彼ら海軍軍人の会話はほとんど「江戸時代」を感じさせない近代的なものである。安部がそれなりに時代考証をしているなら、幕末の幕府海軍内の用語・術語、言い回しはすでに帝国海軍並になっていたのだろうか。同じ1868年の出来事を描きながら、浅田の文からは浮世絵とか白黒写真が連想され、安部の文からはカラー写真が連想されるくらい時代の印象が異なる。もちろん、いずれが良いという意味ではない。








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