ブログ転居で最後のポスト

  • 2013/10/03(木) 00:40:23

すでにお知らせしているとおり、このDTIブログが閉鎖になるのでFC2に転居することにした。すでに1週間前からFC2でのポストを始めている。

DTIはあまりメジャーなプロバイダではなかったが3年もいると使い勝手が良くて、すっかり居心地が良くなっていた。当初は1日のアクセスが10に満たなかったが最近では平均200前後にまで増えてきていて、多い日には500、1000まで行くこともある。グーグル検索の上位にあるワードも増えてきていた。そんな中でまたゼロから再出発となる。

私は以前にも幾つかのブログサイトを遍歴している。ヤフーブログでも2度ほどやってみたが、全然アクセスが増えないので半年でやめたこともある。人気ブログサイトだからいいというものでもないようだ。ヤフーブログはほったらかしのままだが、キチンと閉鎖してFC2に再録する価値のある記事だけ再アップロードしようと思っている。

ひと頃は昔から愛用するブラウザOPERAのコミュニティでブログを英語で書いていた。OPERAコミュニティは日本人はあまりおらず、ワールドワイドである。OPERAではHost-Linkというアクセス解析サイトを利用できた。毎日のアクセスが世界地図で表示され世界中からビジターが来るのがわかるのでとても面白かった。私のブログへはおおむね日本文化への関心が高い欧米系諸国からのアクセスが多かったが、ほとんどなかったのが中国、インド、アフリカ、南米。東南アジアは多かったかな。3年ほどやったが、今は放置している。英語で書くとくたびれる。

DTIブログの住人達は混乱に陥っている。盛んに転居通知が飛び交っているようだ。多くの人が私と同じようにFC2に転居しているようだ。いずこのブログサイトもおおむね丸ごと引越しサービスをしているんだが、その対象にDTIブログを含めているのはFC2だけなのである。まぁ、おかげさまで私の場合も過去記事・画像をまるごと引っ越せたのである。

FC2を1週間使ってみて、記事をポストする分には差はないのであるが、アクセス解析がとても使いづらいのが難点。アクセスの情報量は多いのであるが、その都度別画面にログインする必要があり、面倒だ。そのうち慣れるのだろうか。

ともかく、このポストをもってDTIブログ最後のポストとしたい。今後はFC2の「一歩 日豊 散歩」をよろしくお願いします。

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宇佐市大洲

  • 2013/10/02(水) 01:52:26

古い街並専門サイトの「郷愁小路」によれば宇佐市大洲にも懐かしい街並があるという。築上からの帰り道に寄ってみた。

長洲は宇佐市の海岸部、駅館川の河口部にある。昔は肥前島原藩の飛び地で港町として栄えたとか。

何の予備知識もないので、およそこの辺だろう、という地域をグルグル回ってみた。最近でできた広い道ではなく、少し入った狭い道にチラホラ古い建物が散在している。
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P9239373 posted by (C)オトジマ

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P9239374 posted by (C)オトジマ

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P9239375 posted by (C)オトジマ

たしかに古い家屋が残ってはいるが、残念ながらマバラに点在し、まとまって面的につながっていない。それも廃屋か廃屋寸前も多い。
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P9239378 posted by (C)オトジマ

粟島神社近辺になんだか昔懐かしい小路が残ってはいる。大正・明治までは行かず昭和30年代くらいの趣・・・
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P9239383 posted by (C)オトジマ

粟島神社
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P9239400 posted by (C)オトジマ

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P9239389 posted by (C)オトジマ

酒屋。かつては酒造場だったようだ
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P9239390 posted by (C)オトジマ

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P9239391 posted by (C)オトジマ

貴船神社近辺。久保酒蔵前にはやや古い建物が並ぶが、肝心の酒蔵が古くない。
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P9239392 posted by (C)オトジマ

貴船神社近辺。久保酒蔵前
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P9239396 posted by (C)オトジマ

貴船神社。
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P9239397 posted by (C)オトジマ

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P9239404 posted by (C)オトジマ

しばらく以前には古い建物が多かっただろうが、その頃は車の入りにくい細い道ばかりだっただろう。そこに広い道を通すと必然的に古い建築は取り壊されて新しい家ばかりになってしまう。古い家はスキマ風、雨漏り、日当たりの悪さ、シロアリ蝕害、狭い部屋など現代人には住みにくい。当然だろう。

ここには意識的に歴史的街並を残そうという取り組みがないようなので、このまま更新が続き、すぐにも昔の趣はなくなりそうだ。20年前に来るべきだった・・・。

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三島公園・末廣神社

  • 2013/10/01(火) 01:26:30

豊後森の古い街並の北のはずれに三島公園と末廣神社がある。
三島公園は元来は藩主御殿のある森陣屋と呼ばれた場所。

手前の池は「旧久留島氏庭園」大きな石碑は「童話碑」。背景の山は大岩扇山。
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P9229108 posted by (C)オトジマ

旧久留島氏庭園。昔のお殿様の庭。
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P9229105 posted by (C)オトジマ

庭園から山の斜面を登っていく道がある。
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P9229112 posted by (C)オトジマ

登りきったところに栖鳳楼(せいほうろう)がある。これは1832年に8代藩主通嘉(みちひろ)によって建てられた茶屋である。10年ほど前に保存修理工事がなされている。ここからは九重連山や城下が見下ろせるので、実質天守閣的な機能があったとか。
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P9229116 posted by (C)オトジマ

森の町を見下ろす
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P9229163 posted by (C)オトジマ

石を多数配した庭園がある。
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P9229117 posted by (C)オトジマ

こんなに大きな石臼も埋められている。とても人力では回せないくらい重いはず。大宰府の観世音寺の碾磑 ( てんがい )なみ。
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P9229118 posted by (C)オトジマ

栖鳳楼から一段あがると、広い境内の末廣神社がある。
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P9229127 posted by (C)オトジマ

藩主が建てた神社だからとても立派。
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P9229147 posted by (C)オトジマ

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P9229148 posted by (C)オトジマ

文政十二年銘の狛犬。1829だから約200年前。
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P9229162e posted by (C)オトジマ

ここにも砲弾が奉納されている。奉納年が読みづらいが、昭和29年5月、重量207kgとある。奉納砲弾は通常日露戦争が多いものだが、敗戦後9年もたっての奉納ってありうる?敗戦記念か?
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P9229155e posted by (C)オトジマ

拝殿内にある随身。
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P9229145e posted by (C)オトジマ

神社拝殿を見ると必ず絵馬や三十六歌仙がないかチェックするくせがある。ここには素晴らしい三十六歌仙がある。レリーフである。
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P9229136 posted by (C)オトジマ
右:伊勢:三輪の山いかにまち見む年ふともたづぬる人もあらじとおもへば
左:紀貫之:桜ちるこのした風は寒からでそらにしられぬ雪ぞふりける

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P9229143 posted by (C)オトジマ
右:凡河内躬恒:いづくとも春の光は分かなくにまだみ吉野の山は雪降る
左:柿本人麿:ほのぼのと明石の浦の朝ぎりに島がくれ行く舟をしぞ思ふ・・・・・だと思う・・・達筆すぎる・・・

などなど・・ おそらく江戸時代の流行だから墨が消えかかっている。貴重な文化遺産だが、ここにあらばこそ、だろう。

他にも多数。当然36人分揃ってるが以下略。
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P9229138 posted by (C)オトジマ

立派な板絵も奉納されている。残念ながら歌舞伎や古典に造詣がないので何の絵やら判別しがたい。
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P9229144 posted by (C)オトジマ


実はこの神社がいわくのある神社なのである。

ウィキペディアによれば----

慶長6年(1601年)、来島長親によって玖珠郡などを所領とする豊後森藩が立藩された。来島氏はその格式のため城を持つことが許されなかったため、長親はそれまで玖珠の拠点とされてきた角牟礼城を廃して、角埋山の山麓に陣屋を置いた。
陣屋の敷地内には、来島氏の故地である伊予大三島の大山祇神社の祭神を勧請して三島神社(末広神社)が造営されていたが、天保8年(1837年)、第8代藩主の久留島通嘉が、三島神社の改築を口実として、石垣や茶屋の「栖鳳楼」(せいほうろう)を増築するとともに、藩主御殿庭園、栖鳳楼庭園、清水御門庭園を造らせ、城構えのように整えた。
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城持ち大名ではなかった久留島が神社建立にかこつけて実質的な城を作った。ということ。実際、神社の周囲は堅固な石垣に囲まれていて、予備知識がなかったら城と思い込む人も多いだろう。

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P9229170 posted by (C)オトジマ

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P9229165 posted by (C)オトジマ

以前のポストでNHK時代劇ドラマ「酔いどれ小藤次」について記した。---コチラを参照---



ドラマの原作となったのは佐伯泰英の「酔いどれ小藤次留書」シリーズ。以前のポストから引用する---

「酔いどれ小藤次留書」第1話「御鑓(おやり)拝借」は物語の発端である。この巻ではわずか1万2000石の小名、久留島氏が城無し大名だったことが物語の重要な鍵となっている。江戸城中で西国の諸侯、森藩久留島、赤穂藩森、丸亀藩京極、肥前小城藩鍋島、臼杵藩稲葉の各大名が同席したおり、稲葉雍通(てるみち)は久留島通嘉が城を持たぬことを愚弄し、他の3人も同調した。久留島通嘉はその恥辱を忍んだが、ある機会に本来目通りかなわぬはずの最末端下士・厩番の赤目小藤次にふと洩らす。後日、小藤次は離藩し秘かに藩主の無念を雪ぐべくたった一人で四藩を敵に回し報復を画する・・・・

この物語に出てくる藩主・久留島通嘉は上の栖鳳楼を建てたり、石垣を作った人物。彼の代には苛斂誅求に対して大規模な百姓の逃散が起こっており、評判は悪かったとか。もちろん物語はフィクションであるが、この本を読んだ時から、一度ここを訪ねてみたかったので念願がかなった。

玖珠町も由来がピンと来ない「童話の里」よりも「酔いどれ小藤次の里」で売り出した方が観光客が来るんではないか?久留島記念館の係員の方も「是非、竹中直人に来て欲しい」と言っておられた。彼はNHKドラマ中で森藩ではなく「九重藩」となっていたことに対し、「事実と異なる」とNHKに抗議の電話をしたそうだ。NHKは「まぁ、フィクションですから」と軽くいなしたとか。実は森には赤目という姓は全くないそうだ。ついでに久留島姓もいないとか。藩主一族が皆東京に転居したからだろう。

本を読んで、若き藩主久留島通嘉に親近感が湧いたので、菩提寺の安楽寺にも行ってみた。
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P9229121e posted by (C)オトジマ

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P9229124e posted by (C)オトジマ

本堂の裏に歴代藩主の墓所がある。殿様たちの墓は意外と小さく質素で民間人の墓石と異ならない。貧乏な藩だったんだなぁ。貧乏のあまり、参勤交代を出来なかった年も幾度かあったという。
1万2000石じゃーねぇ。
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P9229126e posted by (C)オトジマ

これが8代久留島通嘉の墓石。
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P9229128e posted by (C)オトジマ


●お知らせ●
3年間愛用してきたこのDTIブログが突然閉鎖されることになりました。利用者にしてみればジェジェジェ!!!、と晴天の霹靂。アメリカ資本のサイトだからかクールに前触れもなく12月で閉鎖です。
おかげさまでこの間15万ほどのユニークアクセスをいただきました。DTIブログ内のランキングでは10位台にいました。まぁ、国内ではマイナーなブログサービスだからでしょうが。アクセス解析が便利で使いやすいサイトだったので残念です。

ということで、F2Cブログに引越します。当分両サイトに並行して同じブログ名で同じ記事を書きますが、もしブックマークに登録されている方はコチラに切り替えていただけたらと思います。今後ともよろしくご愛読お願いします。

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