佐伯泰英と豊後

  • 2013/06/11(火) 01:06:13

前回ポスト「惜櫟荘だより」からの続き。

私は大昔に東京で出版社でアルバイトをしていたことがある。単なる肉体労働ではあるが大手取次の日販でもアルバイトした。さらには書店にも勤めていた。多少は出版業界の片隅に身を置いたことがある、と言えなくはない。30年前と今では出版業界を取り巻く環境は大きく変わり、雑誌がネット情報に置き換わり、書籍のネット配信の普及するこの先、更に激変も予想されるが・・・。 

出版業界のヒエラルキーはかならずしも規模や売り上げ高によらない。リクルートや学研などはいくら規模が大きくとも情報誌や学参ばかりで一流版元とは言えない。大手では講談社・小学館・集英社はコミックの売り上げも多いが一流出版社である。文芸関係では新潮社・文芸春秋・角川などが伝統的。そんな中で岩波は規模ではさしたることはないが、漱石の昔から別格の一流出版社である。いまだに「岩波=良書」という神話は生きていると思う。ただし出版不況は硬派出版社ほど厳しいので先行きは不透明。昔は岩波と張り合った平凡社は百科事典と道連れに没落し、昔の面影はないんではないか?

本の氏素性を知るためにはタイトル・著者はもちろんだが版元は絶対欠かせぬ情報である。門川の図書館ではこの版元の部分に管理用コードを貼り付けてあるのでわざわざ奥付を開かねば版元がわからないので大変不便である。図書館の担当者に苦情を申し述べたこともあるが、意味を解さなかったようであった。たとえば「宇宙人に出会った」というタイトルの本があったとして、その版元が「岩波」であるのか「たま出版」であるのかでは興味も信憑性もまるで異なる。これが「双葉社」であってもまともな読書人なら見向きもしない。双葉社は『クレヨンしんちゃん』を看板とする中堅出版社であるが、近年は佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズが大看板となっている。

図書館の本は背表紙のシールで版元が確認できない!
P6108083
P6108083 posted by (C)オトジマ

「惜櫟荘だより」を出版した岩波と著者の佐伯泰英というと、常識的にはまったくイメージの反する両者であるが、前回エントリで書いたように、たまたま惜櫟荘が結んだ縁である。佐伯泰英が熱海に家を買って、後に隣家が岩波の別荘であることを知った時、「ああ岩波さんかぁ」と自分と取引のない会社であるから、さして気にも留めなかったという。双葉社・祥伝社・光文社など二流どころが舞台の佐伯にとってはまるで縁のない出版社である。佐伯はことある度に自分は読み捨ての粗製乱造時代小説作家であることを卑下している。そんな佐伯を強く後押ししてくれた人物がいた。俳優の児玉清である。

児玉清は大変な読書家で生前はNHKの書評番組「週刊ブックレビュー」のホストを長年務めていた。あらゆるジャンルの本を毎週5冊も6冊も読む、というのに感心していたものだ。書評も平易・的確・穏当で見識の確かさをうかがわせた。芸能人の趣味の域をはるかに超えた読書のプロで、作家達も児玉の評価を気にした、というくらい。温厚な児玉はどんな本でも決してけなさないことで知られていたから逆に読んだくせにノーコメントというのが作家にとって恐怖だった、という。

2006年、新聞の全面広告用に児玉と佐伯が対談した。佐伯は単なるビジネスの一環でお義理なんだろう、くらいにしか思ってなかったが、実は児玉は「居眠り磐音 」の大ファンで全部読んでいたという。児玉は娯楽読み物の文壇的評価を気にするな、書店のレジを鳴らしてなんぼだ、と佐伯を激励した。児玉はその後いたるところで「居眠り磐音」を宣伝してくれて、結果現在の1500万部の大きな助けとなったと佐伯は語る。

児玉はNHK番組の対談の折も惜櫟荘修復計画に対し、「佐伯さん、これはやりがいのあるプロジェクトです。」と高く評価してくれたという。児玉は2011年に亡くなった。児玉は死の間際、入院先で「居眠り磐音 」の最新刊を読んで「磐音に子どもが生まれた。」と自分のことのように喜んだと言う。佐伯はそれを伝え聞いて「児玉さんの残されたわずかな時間を奪うに値した本であっただろうか・・・と自問し、涙がこぼれそうになった」と書いている。

磐音
磐音 posted by (C)オトジマ

私も高踏的な先入観に毒されて大衆娯楽時代小説にあまり縁がなかったのであるが、あの児玉さんがお薦めするくらいなんだから読んでみるか、ということで大変遅まきながら「居眠り磐音」第1巻「陽炎の辻」を買ってきた。その夜のうちにわずか4時間もかからず350ページを読み終えた。読者のほとんどは50代以上の男性らしいから、活字が大きく、セリフが多く、平易・快調、物語はどんどん進み、要所要所にチャンバラが入り、切られた側は「ぐえっ」と叫んで死ぬ。江戸情緒も纏綿、時代背景も活写。まぁ、面白いといえば面白いが、私にはクセになる、というほどではなかった。なにせ現状でも全43巻もあるのであるから前途遼遠で思いやられる。しかし、次の巻を読んでもいいな、という気にはならないではない。都会の長距離電車通勤の人やリタイア世代にはうってつけか。

杵築の武家屋敷街。右が大原邸。
杵築2010
杵築2010 posted by (C)オトジマ

ところでこの「居眠り磐音」の主人公坂崎磐音は豊後・関前藩6万石の藩士である。物語の冒頭はそこで展開する。いざこざの末、磐音は浪人となって江戸に住まうことになり、その後の物語はずっと江戸で展開する。これがそのまま豊後の小さな町で展開するなら藤沢周平の海坂藩もののようになる。関前とは当然架空の町である。



豊後の海に面し、坂のある城下町というと、杵築・日出・臼杵・佐伯などが思い浮かぶ。関前藩は大阪から海路臼杵浦に至り、そこからは陸路、という記述がある。日出は物語中で隣藩として出てくる。作者の姓が「佐伯」だから佐伯もよさそうだが、私の希望では石高・譜代外様にこだわらなければ杵築を想定したい。NHKの時代劇「陽炎の辻」のロケは杵築市の武家屋敷「大原邸」で行われている。

大原邸
国東 2011 秋
国東 2011 秋 posted by (C)オトジマ

「居眠り磐音」にかぎらず佐伯作品の舞台として豊後の小藩が多いのが特徴である。「密命」の金杉惣三郎は豊後相良藩出身、「吉原裏同心」の神守幹次郎は豊後岡藩出身である。NHK時代劇『酔いどれ小籐次留書』の小籐次は豊後森藩久留島氏の配下。相良藩は存在しないが、後の岡藩・森藩は存在する。

なぜ豊後なのか、について佐伯は『惜櫟荘だより』の中でこう言っている。母方の祖先は豊後在で大友宗麟の配下であったが天正年間に薩摩に追われ肥後に逃げた一族らしいので豊後に愛着がある。別のところではこう言っていた。佐伯は北九州・折尾の出身で、九州に土地勘がある。小藩を舞台にするとなると九州はどこも外様の大藩ばかりであるが、豊後には小藩ばかりという特徴がある。それなら日向だって島津領を除けば小藩ばかりなんだけどな・・・

大原邸の庭
杵築2010
杵築2010 posted by (C)オトジマ

コチラに「居眠り磐音」公式サイト。

※DTI閉鎖にともない、ブログ移転してます。以下にどうぞ。FC2の「一歩 日豊 散歩」













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この記事に対するコメント

じなしです

杵築市武家屋敷の画像、大原邸のほんのすこし先、勘定場の坂を下りる右手前に叔母(故人)の家があります。叔母が嫁した先代が手に入れた武家屋敷でしたが今は普通の家となっています。
作家の葉室麟も豊後の地方をよく題材にしてくれているようです。
世界農業遺産に登録されたこともあり国東半島さらに注目されるとうれしいです。
トトロさんが解説をいれると〜読んでみたくなります。

  • 投稿者: -
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  • 2013/06/11(火) 21:49:51
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じなしさんへ

「居眠り磐音」ならアマゾンで1円で出てますよ。送料が250円しますけどね。おっしゃられる屋敷は磯谷邸の並びですね。私が気になるのは磯谷邸の向かいの立派な土塀のお宅です。公開されていないのが残念ですが、ぜひ中を覗いてみたいものです。じなしさんが買い取って公開したらどうですか?

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